第四十六話 初めての星空
星空を見るのは何度目でしょうか。私は自分自身に問いかけます。
道から今度は畦道のような荒い土手の上を歩いて暫く、クリスカさんが気まぐれに「この辺りでいいか」と立ち止まり、小高く積まれた恐らく石垣の上に座り込むと、横川の時とはまた違う夜空が頭上には広がっていました。
黒に近い、水に黒と若干の蒼を刺したキャンパスに無数の光が散在し、各々が無秩序に光を発している。星影が一つ、また一つ、誰が作ったかもわからない芸術に心を奪われてしまいます。
「横川の空とはまた違うでしょ?」
「冷たい風にあたりながら眺める星も綺麗です」
新月の夜こそ星を眺めるのに最も適した日。確かでもいつ消えてしまってもおかしくない恍惚な輝きに私は感嘆を漏らして心奪われてしまっていました。
「でも本当に抜け出してきて良かったんでしょうか?」
背筋を伝う後ろめたさ。背徳感とはまた違う、罪悪感とも言うべき感情は、私の表情を曇らせていました。
見るやクリスカさんはニタニタと不穏な笑みを見せて言います。
「あらぁ、そんなに心配?」
「はい……なんか、まるで行いに背いたようで」
「大丈夫よ。そんなに私の事、信頼ならない?」
「そんなことないです!」
「でも、その眼は何?」
「えっ」
目は口ほどに物を言う。誰が発見したんでしょう。眇めて力の入った瞼をクリスカさんは見逃しませんでした。
「そろそろ戻りましょう。私と薫さんで選んだケーキもあって」
「私、今は甘いものより香ばしい鉄の香る血が良い」
「あの」
「私が忘れさせてあげる。ねぇ、吸っても、いいでしょう」
「ダメっです。ここ、お外ですし。さっきから妙な視線が」
「いいじゃない。さぁ、首筋を出しなさい」
私は催促されますが、それ以前にクリスカさんがドレスの襟を剥いています。
そっぽに顔を背けるとすかさず、
「どうして顔を背けるの?」
紅潮しているからです、とは応えられず、言い淀みました。赤らめた頬を見られたくないのと、これから来る壮絶な快楽の波を暗黒の闇の中とは言え、公衆の面前で感じるのに抵抗があったからです。
そして静かに牙が首筋を一度這い、カプリ。唾で艶めかしく響く吸血の音と直後に訪れる心地良さに身体が痺れて言う事が効かなくなりました。
想定内とはいえ、あまりにも強引で理不尽です。けれど怒る気にはなれなくて、複雑な想いが過ぎりました。
「ふぅ、美味しかった」
満足げに闇へ言葉を放つクリスカさん。その横でドレスにつく汚れなんてお構いなしに私は身体を伸ばしてへばっていました。
唯一動かせる首で目線を彼女に持っていき擦れた声で訊きます。
「私の血、そんなに美味しいですか」
煙たがったり、顔を窄めたり、散々マズいと酷評された血をまるで熟した果実をその髄まで味わい尽くす様に飲むことへの真意を解こうとします。
不粋な質問をしたなと思ったのは言葉が出た後でした。
「うん。美味しいよ。でも一番最初に頂いた時よりもずっと美味しくなってる」
「それは良かったです……ふぁ」
「あぁ気絶しちゃダメ」
欠伸の直後襲う突如とした眠気。星のようにいつ途切れてもおかしくない恍惚な意識で聴き入れていました。眠らないようクリスカさんは必死に私の頬をビンタしています。
「痛い……痛いです」
「もう、眼を離したら寝てしまいそうね」
吸血は吸われる側も物凄く体力を使うので、悪戯心で長く吸って殺してしまったなんてこともあったそうです。
クリスカさんの頑張りも虚しく、殆ど睡魔に意識を持っていかれた私を今度は座らせて肩に寄せました。
寒空に冷たい肌。ここで寝たら死ぬぞ、シチュエーションが違えばまさに雪山と錯覚してしまいそうな寒さです。当然、私達は遭難者。
「ねぇ、光莉がいつの日か言ってた従者になりたいって話」
「は……い」
「主はさ、私じゃダメかな?」
途切れそうな意識。その言葉に若干の間を置いて私は無意識の領域から言葉を発します。
「ダメ……な訳、ないじゃないですか」
「こんな私でも、貴方の主でいいの?」
「むしろ……クリスカさんがいい……でしゅ」
そこで私の意識は深い眠りの底へと墜ちてしまったのでした。




