第四十五話 湯楽屋の十八番
豪奢な料理に舌鼓を打ちながら、薫は美喜恵に付き添う形で訪れた人々との談笑に混ざっていた。
ワイン片手に繰り広げられるのは他愛のない世間話から仕事の話。でっぷりと太ったビール腹を据えた如何にも財界を牛耳っている風のある男のセクハラ染みた言葉も気さくに流す様は年長者の器を感じさせた。
「きつくないのか?」
ふと尋ねると返ってきたのは笑顔だった。口は災いの元、どこぞの誰が聴いているかも知れない公の場で他者の侮辱や中傷は命取りになる。会社という大所帯にいなくとも組織の上下関係や礼節については仲の良かった編集者に聞かされていたから暗黙でも理解できた。
きっとこの旅館に出資する株主だろうか。涼しい顔で受け流せる精神力が欲しいものだ。心の中でぽっと呟いた。
「さて、そろそろかしらね」
美喜恵が時計を一瞥、それから嘆息と共に呟いた。
「何か催しが?」
「えぇ。今日のメインイベント」
「クリスカと光莉が見当たらないんだが、いいのか?」
「だからこそよ」
「除け者にするのか?」
「いえいえ。私ってそんなに腹黒く見えるかしら」
クフフと不敵な笑みを浮かべる彼女に、薫は否定することしかできなかった。
だが二人がいないからこそできるイベントとはなんだ。疑問が払しょくされぬまま、ホールの照明が暗転。
若い仲居さんが美喜恵に駆け寄るとマイクを渡した。スポットライトが彼女を捉える。
「お集りの皆々様、遠路遥々当館『湯楽屋』へお出で下さいましてありがとうございます」
落ち着いた声色で前置きを挟むと、
「主役が逃亡しました。なのでこれから皆様で探していただきます」
まるでデスゲームの導入だなと薫は思う。
「勿論タダでとは申しません。見事的中させた方には当館でも最上級のお部屋にご招待させていただきます」
「大盤振る舞いだな」
「クリスカの持ちだけどね」
「……いいのか?」
「いいのよ。いつものことだから」
いつものことなのか。もうツッコむ気力もなくなりそうだったので頭で独り言を呟いた。
「今からスタッフがお配りする紙に地図と行き先の候補地が書かれています。空欄にお名前を、行き先の候補地一つに丸を記入していただいてスタッフにご提出ください。皆さまの提出が終わりましたら答え合わせを始めたいと思います」
薫も仲居さんの一人から紙を貰い参加させられる。会場には薄明かりが灯り、鉛筆の滑る音が沈黙に響き渡った。
候補地は約30個。抜け出した割に冷静だった美喜恵に選定基準を聞こうとしたが、多分またあの微笑みで返される。
「はーい書き終わりましたかー?」
数分で紙を回収し始める。会場には熟考する参加者の姿もあったが、ほとんどの者は渡されて一分もしないで記入を終えていた。熟練者はもはや考える事でもないということか。
「では後を付けて貰ってる方のカメラ映像を出しますので、しばらく食事のお供としてお楽しみください」
ホワイトスクリーンが天井から垂れてくるとプロジェクターに真っ暗闇の映像が映し出された。
「にしても無音なのか」
「カメラには白黒の暗視モードもついているんだけど、すぐに答え合わせしたら味気ないじゃない」
ウィンクを添えて。
「まぁあの子自身も夜風浴びたくて出てるだけだと思うから」
「前からなのか?」
「えぇ。一番最初は本気で逃げたけれど、若かりし頃の私を泣かしたからそれ以来ちゃんと戻ってくるようになったの。あの子って意外と優しい所あるのよ」
想像に難くないけど、何やってるんだあの吸血鬼は。凛々しく堂々としていて垢抜けた雰囲気も持ち合わせているが、他者への情けや思いやりは相当なものだ。おかげで薫も今ここで立つことが出来ている。
「泣かしたら、それはそれで良くないな」
「それに……おっと、ここだけの話なんだけど」
美喜恵が周りに聞かれまいと口元に手を添えて、
「その後大胆にも私に告白してきたのよ。最悪のタイミングでしょう」
「あぁ。無神経にもほどがあるな」
「でしょでしょ。それで断られて禁術に手を染めたの。野心的でちょっと惚れ直しちゃったかな。ワインに自分の血を混ぜて私に飲ませたのよ」
薫は息を呑む。それって諸々人体に悪影響なのではと疑問が過ぎるが、それ以前に腹いせとも思える行動に二の句が継げなかった。
「まぁ、それで私って今みたいに中々死ねない身体になってしまったのだけど」
「吸血鬼の血を飲むと、寿命が延びるのか?」
「あながち間違いではないかも。けどそれだけじゃないの。例えば夜目が効くようになったりとか、人間からすればメリットしかないかもね」
「そしたら光莉も」
「あら、彼女はまた別よ? 唾液と血ではその性質が異なるの。まぁ本来吸血鬼が自らの血を渡すってことが盟約の一部みたいなところだから、あの子ったら」
呆れた様子でどこか上の空な美喜恵。しかし喜びとも哀れみとも取れない微妙な表情を暫し浮かべ、湿っぽい気分になったのか話題を変えた。
「さ、こんな話は終わり。そうだ、クリスカが今日穿いているパンツの色を——」
「彼女の名誉のために口を塞がせていただくます」
この人も存外口が軽い。抑えながら意外なことを聞きそうになり、薫はあまり口外しないでおこうと心に留めた。
自己紹介で言っていた恋人というのも嘘ではない。しかし薫もこの話で職業病のスイッチが入ったらしい。
「美喜恵、後でいい。昔の事をもっと聞かせてくれないか? 対価なら払う」
「喜んで話しちゃうわよ。でもお金は要らないわ。どうしてもっていうなら、ちょっとお酒を奢って貰おうかしらね」
「望む所だ。さぁ、ゲームの続きだ」
「そうね。そろそろ足を止めてもいい頃合だけど」
二人は画面を注視する。白く光線を伸ばすライトの光が消え、彼女達の追跡も佳境を迎えるのだった。




