第三十八話 ようこそ『湯楽屋』へ
美喜恵さんが得意げな様子で案内する古風な趣のこの旅館は何を隠そう彼女が統べるお屋敷でした。クリスカさんは以前から存じていて、よく通っていたとかで、気づけば彼女が抑えていた日当たりの悪い角部屋へ籠っていました。
「あの子はいつもそうなのよ。朝来て、すぐ部屋に籠るの。私が居てもそうだから、いいの。寝る子はよく育つ。あの子はほんの五十余年前から成長する兆しがないけれど」
全く気にする素振りのない美喜恵さん。熟知していて呆気なのと私以上にクリスカさんの事を気に掛けたり、知っていることが少し悔しい気もしました。これが嫉妬でしょうか。
「お昼の間はお二人とお話しようと思ってたから」
「私達がいることもご承知だったのですね」
「久々に連絡が来たと思ったら、今日は三人だって聞いていたから興奮していろいろ考えちゃったのよ。それで遠路遥々、北陸まで足を伸ばしてくれたこともあるし、せっかくだから地元のお魚とかお野菜で作ったご馳走を囲みながら」
名案です。私は屈託のない笑みで頷いて後を追いました。
「けど、いいのか? 旅館の朝と言えば、旅行者のチェックアウトでごった返す忙しい時間帯じゃ?」
「お客様の事なら頼れるスタッフのみんながいるから心配ないの。むしろ、一線を退いた老人が混ざっても変に気を遣ってしまうから迷惑でしょうし」
「そういうものなのか」
「えぇ。旦那にも先立たれ、仕事も勇退したんだから長閑な田舎で一人死ぬまで隠居したいわね。もう十二分に尽したから」
遠い、果てぬ空を見上げるような寂しい瞳で語ります。
「もう身体も無理が効かなくなってきたからさっさと誰かに預けようと思っていたのだけど」
「でも、凄くお若くてお元気そうに見受けられますけど」
「そう? 嬉しいこと言ってくれるじゃない光莉ちゃん。でもね、こう見えても私、九十越えのおばあちゃんなのよ?」
「きゅ、九十!?」
「全然、そうは見えない」
「よく言われる」
華奢で老いも感じられないその出で立ちに半分冗談だと思ってしまいます。いえ、多分冗談でしょう。
「本当?」
「本当。後でクリスカに聞いてみるといいわ。歳の近い人間の友達って言うと、もう私くらいなものじゃないかしら」
啖呵を切るのならきっと嘘ではなく真実だと確信します。
そして、廊下を歩き切った旅館の奥深く。襖で仕切られた角部屋に、割烹着姿の女性が一列になって私達を出迎えてくれます。
「さぁ、たんと味わってくださいませ」
低い檜のテーブルに所狭しと並ぶ和食料理の数々。刺身に漬物、一口サイズの昆布が浮かんだ煮え滾る小鍋の横には鮮やかなピンク色の牛肉が華のように盛られた大皿と、別に野菜と白みを帯びる魚の切り身が添えられた大皿。
そして前で大きく手を広げ、誇らしげに私達へ改めて歓迎の挨拶を告げました。
「ようこそ当館『湯楽屋』へ。従業員一同を代表して歓迎を申し上げます」




