第十二話 大人になる条件
「かつてこの家から出た者に若い頃の血は恐ろしく不味かったと書かれていた人間がいたと記述されていたの。けれどその続きにはなぜか、天寿を全うするその日まで仕えたと追記してあったわ。なぜだかわかるかしら?」
「恋慕やそれに似た感情がお互いを引き寄せたとかでは、ないのでしょうか?」
「数百年前のお話だけど、当時から我が家は縁談に関してだけは厳しいわよ? ましてや、当主の権限が一家一族の全てを掌握していたから、現代の吸血鬼一族ほど、本人の意思を尊重するなんて弛みはないし、駆け落ちシンデレラストーリーなんてしようものなら追放よ?」
ロマンチックなのは結構。さすがに命までは取らないが、戒律を乱そうものなら容赦はしない。アルタリィ家の家訓とも言うべき文化だが、現在は時代の流れで本人の意思も汲んでくれるようにはなったそうです。
真っ向から切り捨てると、紅茶で一呼吸を置いてクリスカさんはその答えを示します。
「吸血を重ねるたびに血が変化し、主だけが感じられる魔性の味になったそうなの。特異体質なんて一時は家族でも話題になったけれど、数百年間の時が経つにつれて、偶然だったと誰もが思っていた」
「特異体質……?」
「後に原因不明の突然変異と結論づけられた。その再来とも呼ぶべきかしら」
目尻を鋭く伸ばして睨むように士郎を見つめたクリスカさん。曇り始める表情にすかさず反応します。
「何か心配事でも?」
「いえ……こう申し上げるのは大変失礼に当たると存じますが……確証はあるのでしょうか?」
「確証? あぁ、そうね」
考える素振りを見せ、口角を上げました。そんなの端から分かり切っていることのように。
「あるわけないじゃない」
士郎が咽ます。唐突な不意打ちに慌てて呼吸を整えます。
「何かおかしいことでも?」
「いえ、てっきり光莉が伝記に当てはまるような体質なのだと、確信を得ているものと推測していたもので」
「可能性の話よ。境遇もその使用人と似ているし」
でなければ、二年間も吸血鬼に棄てられ続ける理由が見当たりません。そもそも吸血鬼と契りを交わした使用人の血は配偶しようともその遺伝を消滅させます。吸血鬼の唾液には血液の変容を促す作用があるのも吸血鬼の間では周知の事実で、その法則に倣えば彼女の血も不味いはずがないと、クリスカさんは長年身内が培った研究成果を根拠に考えを固めました。
「では、どのように」
「確認する方法なら簡単よ。しばらく私の旅に付いてきてもらおうと思っているの」
「気は確かなのですか?」
クリスカさんは首肯します。けれど士郎の懸念は、旅に出ることではなかったのです。
「万が一、クリスカ様の期待に適わない血であった場合、娘はどうなるのでしょうか?」
「あらぁ? 傷つけば大人になると宣っていたのは、どちら様だったかしら」
嗤います。クリスカさんは、士郎が漏らした弱みに付け込んで、好き放題に嘲笑います。言葉を失い、黙りこくってしまいました。
まるで手玉に取って遊んでいる様です。そんな嬉々とする笑みを消すためにカップの紅茶を飲み干すと、立ち上がって言いました。
「なんて、また彼女をゴミ溜めのような環境に放り出そうなんて、考えてもないんだけどね」
横で雑務をこなしていた使用人は明らかに憤り、それを鎮めるように士郎は目配せを届かせていました。けれどそこにも静かな怒りがあったことに違いありません。
ここをゴミ溜めと称したのは、クリスカさんなりに分析した彼女の感情でした。嫌悪感と諦観に満ちた顔。思い出すだけで、悪戯に切りつけられ続けた心が想起されました。
伸ばそうとしたなど、結果論に過ぎない。本人に届かなければ、尚のこと。
代弁者などと気取るつもりはなかったのですが、あまりに憐れで鈍感な彼に思わず漏らしてしまったのです。
「ただ、委ねるなら光莉本人かしらね。彼女の気持ち、意思を確かめないことには、私達の旅路も始まらないから」
「……では、そのように」
もはや止める術も隙もありません。ここで変な気を起こせば、家が傾いてしまうのではと、士郎は危惧していて、クリスカさんの一挙手一投足に振り回されるがままになっていました。
保身。眼前で見つめていると疑問が絶えませんでした。どうして彼は素直に罪滅ぼしをさせてくれと口に出さないのでしょうか。甘やかした、辛い思いをさせただのを言うのであれば、本人のそのことを未練がましく懺悔すればいい。クリスカさんは頭の片隅でそう思います。口には出しませんが。
「さてと、じゃあ早速なんだけど光莉に会わせてくれいないかしら?」
「承知致しました。ご案内して」
部屋で付き添っていた使用人に彼が一声掛けると、扉が開いて彼女の部屋へ先導します。
夜の明ける少し前、毅然と振舞うクリスカさんに頭を抱え始めた士郎。吐いた大きな溜息は痛みを重ね続けることへの呻きのような声色でした。




