第十一話 伝承の血脈
その頃、下の階の応接間では、クリスカさんと父『七見 士郎』が正対して紅茶を前に、当事者抜きで談笑をしていました。
暖色の落ち着いた照明に彩られる静かな高級感を放つ一室。革張りのアンティーク調のソファーにクリスカさんは座り、秘書も兼ねる壮年の使用人がすかさず紅茶を注いでテーブルに出します。
「こちらへいらっしゃるとお電話で頂いた時は驚きましたが、光莉と一緒だったとは」
「あの子とは偶々よ。高速列車のホームで声も漏らさずに泣いているのだもの。気になるじゃない?」
「娘がお見苦しい場面を。その寛大な慈悲に感謝を申し上げます」
座ったまま一礼し、士郎はティーカップを取りました。澄んだ茜色のフレーバーティーは柑橘系の爽やかな香りを部屋に漂わせていて、クリスカさんも釣られて紅茶に口をつけました。
「先ほどの様子を見るに、道中数々のご無礼があったと見受けられるのですが、どうかお許し願いたい」
カタンとティーカップが受け皿に置かれて、クリスカさんはキョトンと士郎を見つめました。身震いして小さく笑ったのはその直後の事です。まるで思い違いを面白がっているように顔を背けて、堪えるように丸めた身体を真正面に直します。
「無礼なんてとんでもない。突然連れ出したのは私ですし、名乗らなかったのは事実。顔が本家の使用人に空似していたから、躊躇ったというのもあるのだけど」
「左様でございますか」
力強い視線がクリスカさんから返り、士郎もホッとした様子で肩の力を少しだけ抜きました。
「無礼と言えば、あなた達の方がよっぽど目に余るわ」
それを悟ってか、クリスカさんの放った一言が二人の空気を凍らせます。
「……僭越ながら、理由をお伺いしても?」
「光莉の瞳、死んでいたわ。あそこまで娘を放置するなんて、常軌を逸している、としか言えないもの」
「事情を伺われたのですね」
「数多の星が輝く空の下で洗いざらい、ね」
「追い出され続ければ、傷だらけにもなりましょう。身の程を知り、大人になればいずれ自ずと道を開いてくれると、信じて好きなようにさせてはいましたが」
刹那、クリスカさんの表情が強張りました。
「大人になる——ね。フフッ」
「何かございますか?」
「そしたら私は、まだ子供と言うことになるわよ?」
「クリスカ様が子供?」
「身の程も弁えず、屋敷を離れて好き勝手闊歩している小娘の方がよほど子供に見えないかしら。大人になれば諦めもつく、大人になれば現実を受け入れて他の道を自ら模索する。それって全員に果たして当てはまるかしら? 少なくとも光莉にはそうではないはずよ。これって余程あなたが娘に対して淡泊なのか、現実に打ちのめされ続け、傷を負った者から目を逸らすために都合の良い言い訳を重ね続けているだけかのどちらかなのよ」
傷つくことが大人になることではないと、きっぱりとクリスカさんはこのとき言い切りました。
両手を組んで、訝る士郎もそれ自体は想像に難くなかったはずです。クリスカさんも同様にそう思いました。
問うこともせず、一方的に批判的な言葉を浴びせたのも、その裏に隠した自らの失態があったからと、士郎は悩んだ様子を見せた末に白状しました。
「——私も、手を差し伸べられれば、それで良かったと思っています」
「甘やかしすぎたと思っていたの?」
「お見通しなのですね。使用人を志すのなら、もっと縛りつけて育てたほうが良かったと、後悔しています」
「だから、娘を突き放して、敢えて何も手を出さなかった。ただそれが裏目に出て、見ていられなくなった。そうなのね?」
「その通りです」
無知というのは恐ろしいと、クリスカさんの内心は総毛立っていました。
もはやすれ違いなんてレベルの話ではありません。この親子は想像以上に深刻な軋轢を抱えているように感じたのです。
なのでクリスカさんは何時か見た七見家に関する伝記の一部を記憶の片隅から掘り起こし、入れ知恵を呟きます。
「一つ、良い事を教えてあげる。あなたの娘、光莉の血に関する可能性のことよ。アルタリィ家に仕えた使用人達がすべて網羅された人事ファイルのようなものが屋敷にはあるの。勿論、複製版だけどね。好奇心が盛んだった私はその中である面白い記述を見つけたの」
「面白い記述?」
あまりに見苦しく、哀れでならないこの男にせめてもの慈悲と本来羽ばたくべき才能の再起を込めて、シニカルな笑顔で告げました。




