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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怪異より先に、人の事情が視えてしまう~  作者: K3/KASANE
正しいほうの味方

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正しいほうの味方(前編)

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!

 三枝千紘は、野外調査準備室の扉を閉めた。


 古い蛍光灯が、天井で低く鳴っている。


 机の上には、翌日の夜間調査で使う反射材とヘッドライトが積まれていた。


 三枝は、その横のファイルを開く。


 安全講習受講者。


 参加可否。


 一枚だけ抜く。


 破らず、四つ折りにして鞄へ入れた。


 壁の丸時計を見る。


 午後六時四十分。


 床には、装備確認のための黄色い線が一本引かれている。


 三枝は線の上に立った。


 誰もいない部屋で、低く言う。


「女は危ないから、残ってろ」


 一度、唇を閉じた。


 少しだけ区切りを変える。


「女は危ないから。残ってろ」


 何も起こらない。


 三枝は床を見つめる。


 それでいい、という顔をした。


 携帯電話を開く。


 宛先は、大庭直樹。


 明日の六時四十分、装備確認をお願いします。


 送信。


 丸時計の秒針だけが、静かな部屋で時を刻んでいた。



 講義が終わったとき、廊下に知らない女子学生が立っていた。


 学生が左右へ流れていく中で、その人だけ動かない。


 こちらを見ている。


 嫌な予感というものは、だいたい当たる。


「大津真琴さん、ですよね」


「そうです」


「少し、相談したいことがあります」


 やはり当たった。


 わたしは鞄の肩紐を直す。


「大学のことなら、事務へ」


「怪異のことです」


 帰る理由が一つ消えた。


「依頼ですか」


「はい。お礼はします」


 金額を聞く気にはなれなかった。


 顔色が悪い。


 寝不足というより、ずっと何かを思い詰めていたような顔だ。


「三枝千紘です。二回生です」


「で?」


 三枝さんは、廊下を行く学生へ一度視線を向けた。


「男の人が言っていないはずの言葉を、その人自身の声で聞くんです」


 わたしは黙った。


 言っていない言葉。


 本人から聞こえる。


 聞き間違いなら、わざわざ相談に来るはずがない。


「誰です」


「大庭直樹さん。三回生です。明日の夜間調査のまとめ役をしています」


 三枝さんは歩き出した。


 わたしも横へ並ぶ。


「わたし、明日の調査から外されたんです」


「理由は」


「安全講習を受けていないから、って」


「それなら理由はあります」


「分かってます」


 返事が早かった。


「でも、わたしが『女だからですか』って聞いたら、大庭さん、『そういう話じゃない。規則です』って、それだけで」


「それだけ?」


「終わりです」


 三枝さんは唇を噛む。


「前にもあったんです。女の子は危ないから、とか。記録だけしてればいい、とか」


 足が、一瞬だけ止まりかけた。


 ――女は、視えればよい。


 昔からある家の言葉が、勝手に脳裏をかすめる。


 便利な言葉だ。


 女が何かをしたがったとき、できない理由を考えなくて済む。


「今回も、そういう意味にしか思えなくて」


 三枝さんが言った。


 わたしは返さない。


 準備室の扉が見えてくる。


 その前で、三枝さんが小さく息を吸った。


「真琴さんなら、正しいほうの味方をしてくれますよね」


 妙な言い方だった。


 正しいほう。


 最初から、二つに分かれているみたいに聞こえる。


「まず、見ます」


 それだけ答えた。



 野外調査準備室は、土と金属のにおいがした。


 壁際に長靴。


 棚には折り畳んだ反射ベスト。


 大庭直樹さんは、机の上でヘッドライトを一つずつ点けていた。


「点灯、問題なし」


 横で森川七瀬さんが紙へ丸をつける。


 三回生。


 女性だった。


「森川さんも、明日の調査へ?」


「行きます」


 森川さんが答える。


 三枝さんの肩が少し強張った。


 大庭さんは、こちらを見る。


「三枝さん。もう説明しましたよね」


「わたしじゃなくて、この人に説明してください」


 大庭さんの眉が寄った。


「安全講習を受けていない人は参加できません」


 短い。


 たしかに、もう少し言い方はある。


「男の人には、そんなこと言わないでしょう」


 三枝さんが食い下がる。


「男も二人外してます」


 大庭さんはヘッドライトを置いた。


「未受講だからです」


「森川先輩は行くじゃないですか」


「森川は受けてるから」


「経験者だからでしょう」


「だから、講習も終わってる」


 議論は平行線をたどる。


 女性の森川さんは参加する。


 男性二人は参加しない。


 これだけなら、性別で分けたようには見えない。


 (見えないだけ、かもしれませんけれど)


 わたしは三枝さんを見る。


 彼女は大庭さんしか見ていない。


 大庭さんは時計を確認した。


「先に装備を終わらせます。明日の班を組み直すなら、そのあとで」


「先に話してください」


「点検が先です」


「また規則ですか」


 声が尖る。


 わたしは二人の間へ割って入った。


 床の黄色い線を踏む。


 頭の奥に、まだ家訓の一行が残っていた。


「順番を変えてもいい」


 自分で思ったより、硬い声になる。


 二人が黙る。


 わたしは線から外れた。


「大庭さん。先に一つだけ見せてください」


「何をです」


「いつも通り、装備を確認してください」


 大庭さんが黄色い線の内側へ入る。


 壁の時計を見る。


 六時四十分。


 秒針が、十二を越えた。


 その瞬間だった。


 大庭さんの足元から、光を吸い込むような黒い染みが音もなく立ち上がった。


 煙ではない。


 人の形に切り抜いた薄汚れた布を、背後から無理やり押し当てたような影。


 冷気をまとった肩が、大庭さんの肩へ重なる。


 首が重なる。


 貼り付くように、口の位置まで重なった。


 大庭さん本人の唇は固く結ばれている。


 なのに、大庭さんの喉からではなく、その影の口元から直接、湿り気を帯びた声が漏れ出た。


「女は危ないから、残ってろ」


 準備室の空気が、底からすっと凍りつく。


 三枝さんが小さく言った。


「ほら」


 大庭さんが振り向く。


「何です?」


 何も聞こえていない顔だった。


 わたしは影ではなく、その下を見る。


 緒がある。


 黒い影から、血管のように細い糸が伸びていた。


 ただし、大庭さんの肉体には食い込んでいない。


 足元をすり抜け、床の黄色い塗料の中へ深く沈み込んでいる。


 そこから、もう一本。


 壁の丸時計へ向かって、黒い糸がすっと這い上がっていた。


 (人じゃない)


 そう直感した。


 ほんの一瞬。


 けれどすぐに、別の考えが頭をもたげる。


 強く押し殺した言葉なら、場所へ染み着くこともあるのかもしれない。


 人へ向けた念が、いつも人だけに留まるとは限らない。


 筋は、通る。


 通る筋を見つけたとき、人は安心してしまう。


 わたしも同じだった。


「その言葉は言っていない」


 大庭さんが言った。


「本当に?」


「言ってません」


 机のファイルへ手を伸ばす。


「講習の一覧があります。見れば――」


 大庭さんの手が止まった。


 紙を繰る。


 もう一度繰る。


「……ない」


「何がです」


「参加可否の一覧。一枚、ない」


 三枝さんが、わたしを見る。


「まだ確認するんですか」


 その言葉だけが、耳元で囁かれたように妙に近く聞こえた。


 前の件が脳裏をよぎる。


 視えている。


 分かっている。


 それでも、証明できない。


 確認を重ねるたびに、訴えた側だけが擦り切れていく。


 そんな場面を、ついこのあいだ見たばかりだった。


 控えを探す。


 講習の担当者へ確認する。


 別の記録を当たる。


 取るべき手順はいくらでも思いついた。


 でも、やめた。


 (もう、十分でしょう)


 そう思ってしまったからだ。



 準備室には、いつの間にか班の学生が何人か戻っていた。


 装備を取りに来たらしい。


 大庭さんが、もう一度繰り返す。


「僕は言っていません」


 わたしは影の消え失せた床を見つめた。


 黄色い線。


 丸時計。


 胸の奥に、拭えない違和感が残っている。


 それでも、口を開いた。


「少なくとも、この部屋に残っているものは、あなたと重なっています」


 断定はしていない。


 そのつもりだった。


 けれど、周りの学生たちの顔色が変わる。


 森川さんが大庭さんを見る。


 後ろの学生が、気まずそうに目を逸らした。


 大庭さんは、向けられた視線を一つずつ受け止める。


「分かりました」


 ヘッドライトを机へ置く。


「僕が抜けます」


 三枝さんが顔を上げた。


「大庭さん」


「明日の班長、代わってもらいます。今から組み直します」


「そこまでしなくても」


 森川さんが声をかける。


「このまま僕がまとめるほうが、やりにくいでしょう」


 大庭さんは、わたしを責めなかった。


 その沈黙が、かえって痛い。


 鞄を持つ。


 扉へ向かう。


 ドアノブへ手をかけたところで、彼は足を止めた。


「大津さん」


「はい」


「それ、いつの僕の言葉ですか」


 わたしは瞬きをする。


「いつ……?」


「僕が言ったっていうなら、いつ言ったんですか」


 答えが出ない。


 大庭さんは、それ以上何も言わずに出ていった。


 扉が静かに閉まる。


 わたしは黄色い線へ目を落とした。


 次に、壁の丸時計を見る。


 秒針だけが、何も知らない顔で進んでいた。


慈恩編のストックは、結構あるけど、

まこっちゃんの話のストックはない('ω')ノ白旗

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