同じ顔のアカウント(前編)
情報端末室は、夏でも寒い。
機械のために冷やしている部屋だ。
人間の都合は、あとまわしになっている。
本体の唸りが床から上がってきて、足の裏がずっと震えている。
わたしは提出用の書式を印刷し終えて、椅子を引いた。
画面の隅に、メールが一通。
差出人は、知らない女子学生の名前だった。
件名に『輪つなぎ』とある。
このごろ学内でよく聞く、招待制のサービスだ。
(わたしを誘って、何になるんですの)
本文は一行しかなかった。
『偽物を、見つけてください』
迷惑なもののたぐいだ。
消した。
――戻ってきた。
同じ差出人。
同じ一行。
もう一度消す。
戻る。
三度目に、文面だけが変わった。
『わたしが、二人います』
隣の席で、誰かが椅子を鳴らして立った。
その音が、やけに遠い。
わたしは腕をさすった。
冷房のせいだと、思うことにした。
◆
結局、その日のうちに登録した。
招待の文面を無視して帰るには、あの戻り方は行儀が悪すぎた。
プロフィールの欄はほとんど空のままにしておく。
顔写真は載せない。
(見られる側になる趣味はありませんわ)
自分のページを開くと、下のほうに「足あと」という欄があった。
誰が見に来たかが、そこへ残るらしい。
一件、ついていた。
時刻を見る。
十一分前。
わたしが登録を終えたのは、九分前だ。
(……わたしが、いない時間ですわね)
足あとの主のページを開いた。
女子学生の顔写真。
二回生。
日記の一覧が、ずらりと並んでいる。
いちばん下に、日付のない一行があった。
『偽物は、もう一人です』
名前で検索をかけた。
同じ名前が、二つ出た。
同じ顔写真。
違うアカウント。
片方は登録が古く、日記が二百件を超えている。
片方は先月できたばかりで、日記が四件しかない。
◆
新しいほうへ、短いメッセージを送った。
翌日、大学の中庭で会った。
石畳が、朝からもう焼けている。
蝉の声が、話し声を全部押し下げていた。
写真の人と、同じ顔だった。
中原佳奈さん。
二回生。
膝の上で、鞄の持ち手をずっと握っている。
「新しいほうが、わたしです」
開口一番に、そう言った。
「古いほうも、あなたの顔ですけれど」
「……それも、わたしです」
言っている意味が通らない。
「順番に伺います」
古いほうのアカウントも、もとは中原さんのものだった。
いまは入れない。
入るための言葉を、友人に預けたまま返してもらえない。
「わたし、文章が下手で」
中原さんは、そこで少しだけ笑った。
「あの子に、直してもらってたんです」
◆
まず、人の手から考える。
(怪異を疑うのは、人間を全部潰してからですわ)
一、友人が乗っ取った。
――ただし中原さん自身が、長いあいだ書かせていた。奪われたのか、預けたままなのかが分かれない。
二、中原さんのほうが嘘をついている。
――古い日記には、本人しか知らないはずの出来事がいくつも書いてある。
三、二人で作ったものを、仲違いのあとで両方が自分のものだと言っている。
――いまのところ、これがいちばん通る。
どれも人間の話だ。
人間の話に、十一分前の足あとは出てこない。
◆
若槻沙月さんは、隠しもしなかった。
「書いていましたよ」
紅茶の缶を両手で持ったまま、あっさりと言う。
缶はもう汗をかいていて、指のあいだから雫が落ちた。
「最初は頼まれたからです。プロフィールも一緒に作りました」
「日記も、ですか」
「直してるうちに、全部です」
「コメントの返事も」
「ええ」
悪びれない。
嘘もついていない。
「でも」
若槻さんは、缶をテーブルへ置いた。
「読んでた人が好きだったのは、あっちの佳奈です」
わたしは、その言い方を聞き逃さなかった。
「写真は、あの人でしょう」
「文章は私です」
◆
古い日記の一件を選んで、中原さんに尋ねた。
三年前の、高校の学園祭の話だ。
「これは、どなたが」
「……そこまで書いたのは、あの子です」
わたしが細部を訊くと、中原さんは答えられない。
同じ問いを若槻さんへ向けると、即答が返ってくる。
誰が見ても、古いほうの中身は若槻さんのものだった。
◆
洛都大学のコミュニティは、芳賀さんという学生が管理していた。
「入学したころなら、覚えてますよ」
芳賀さんはあっさり言った。
「入ってきたばかりのころ、飲み会に来てましたから」
「どちらが」
「中原さんです。本人が」
最初から成りすまして作られたものではない。
古いほうは、確かに中原さんのアカウントとして生まれている。
最初から偽物だった、という線が消えた
◆
その夜、閉室の時間まで端末室に残って、古い日記を頭から読んだ。
人が減るほど、蛍光灯の鳴る音が大きくなる。
初めのほうは、短い。
言い切りが多く、ぎこちない。
昼に会ったばかりの中原さんの、話し方に似ている。
ある月を境に、それが変わる。
言い回しが増える。
拾う話題が変わる。
コメントへの返し方が、若槻さんの喋り方とそろっていく。
同じ人の名前のまま、書いている人間が入れ替わっていた。
◆
画面の右下で、時計が動いた。
新しいほうのアカウントに、日記が一件増えている。
中原さんが、十分前に書いたものだ。
短い。
三行しかない。
古いほうのアカウントを開く。
同じ三行が、そこにあった。
投稿の時刻は、十一分前。
――中原さんが書くより、先に。
(また、十一分)
足あとのときと、同じ幅だ。
更新をかける。
中原さんが一行足す。
古いほうには、その一行が先に出ている。
これでは、新しいほうが真似をしているように見える。
(逆ですわ)
(逆なのに、そう見える)
新しいほうのページに、見覚えのない一文が浮いていた。
『真似を、やめてください』
背中の産毛が、いっせいに立った。
(帰ります)
(今日はもう帰ります)
顔は動かさない。
画面へ伸ばした手だけが、少し浮いていた。
書いたのは中原さんではない。
誰かが、中原さんへ言っている。
◆
翌日、二つのページを紙に出して並べた。
刷りたてのインクが、まだ薄く匂う。
目を細める。
新しいほうから緒が伸びて、まっすぐ中原さんへ届く。
これは正しい。
古いほうにも、緒がある。
根は同じ一枚の顔だ。
中原さんへ向かって伸びていく。
――途中で、曲がった。
切れてはいない。
別の場所から出ているのでもない。
行き先だけが、そこで折れている。
曲がった先は、若槻さんだった。
わたしは動けなくなった。
(……こちらが、本物?)
◆
若槻さんに、もう一度会った。
緒は、やはり彼女へ結ばれている。
念のほうが、この人を「本人」だと言っている。
「おかしいですわ」
つい、地が出た。
舌打ちして、言い直す。
「……おかしい、です」
「何がです?」
若槻さんが顔を上げる。
わたしは、その向こう側に伸びている一本を見た。
「顔は、あの人なのに」
一拍、置く。
「この怪異だけが、あなたを本人だと思っている」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




