星占い?(前編)
「わたしの知らないところに、わたしのお店ができていた。」
何を言っているんだ。わたしは。
時計台の下。
いつも座っているベンチの前に、列がある。
先頭から数えて、三十七人余り。
十一月の風が、銀杏の葉を石畳の上で転がしていた。
列の学生は、みな首をすくめている。
手をこすっている子。
カイロを握りしめたまま、動かない子。
三十七人ぶんの白い息が、同じ方向へ流れていた。
全員が、同じベンチを見ている。
そのベンチは、わたしの席だった。
最後尾には、手書きの札が立っている。
『最後尾はこちら』
角の丸い、やたらと丁寧な字だった。
(……なんですの、これは)
足を止めたわたしを見て、先頭の女子学生が立ち上がった。
「星占いの人ですよね」
「違います」
「え」
「わたし、星占いはしません」
できないのではない。
しない。
その二つは、まるで違う。
けれど彼女は、聞こえなかったことにしたらしい。
「三日、待ったんです」
三日。
わたしがこの列を見たのは、今朝がはじめてだった。
◆
わたしの家は、星を見る一族の家だ。
暦を作り、方角を決め、動いてよい日と、動くべきでない日を選ぶ。
千年、それだけをやってきた。
わたしはその家を家出した身だが、手順のほうは血に残っている。
だから星は見れる。
ただし、そこから出てくるのはこういうものだ。
――丑の日、北はよろしくない。
――今月の下旬、水辺に近づくな。
縁や相性も見ることはある。
婚姻の日取りも、方角も見る。
けれど、今日のあなたが何位だとか、恋愛運が何点だとか、そういうものではない。
何位だとか、そういうものは一つも出てこない。
朝のテレビでやっているあれとは、はじめから別の商売なのだ。
そう説明した。
説明したんだが…
三十七人は、一人も帰らなかった。
「じゃあ、方角でいいです」
先頭の女子学生が食い下がった。
「今日、告白するので」
「北はやめてください」
「北ですか」
「相手が北にいるなら、明日にしてください」
彼女は、真剣な顔でメモを取った。
わたしは、自分の口を塞ぎたくなった。
(……これでは、星占いと変わらない)
帰らないどころか、うしろで何人か増えていた。
この人たちが待っているのは、暦ではない。
誰かに、自分の一日を保証してもらうことだ。
それは、わたしの家の商売ではなかった。
◆
鞄の中で携帯が鳴った。
私服の刑事さんだった。
『大津さん、大学で店を開いてるって?』
「開いていません」
『こっちにも噂が回ってきたぞ。よく当たるらしいじゃないか』
「切りますよ」
『まあ待て。困ったら電話しな』
困っている。
もう、じゅうぶん困っている。
通話を切ると、列の三番目に並んでいた男子学生が、紙袋をベンチに置いた。
「あの、これ、お礼に」
紙袋の口から、甘い匂いが上がった。
みかんだった。
六個。
(……六個)
わたしの冷蔵庫には、もやしが一袋しか入っていない。
断ろうとした口が、勝手に止まった。
「……お預かりします」
我ながら、安い。
(……鍋にすれば、二日もつでしょうか)
みかんの話をしているのに、鍋のことを考えていた。
◆
噂には、必ず最初の火元がいる。
先頭の女子学生に訊いた。
「どこで聞きましたか」
「サークルの先輩です」
その先輩を、翌日の昼に捕まえた。
「生協の前に、ビラが貼ってあって」
生協前の掲示板は、画鋲の穴だらけだった。
サークルの勧誘。
家庭教師の募集。
下宿の空き部屋。
その一角に、それはあった。
『〈視える〉学生が、無料で相談に乗ってくれます』
『水曜日の昼、時計台の下です』
紙は高級和紙だった。
二色刷りだ。
きちんと、ラミネートの加工もされている。
それなりに、金がかかっている。
名前は書いていない。
書いていないが、水曜の昼に時計台の下にいる黒髪の女は、この大学に一人しかいない。
(無料。……無料)
わたしはその二文字をしばらく眺めていた。
家賃は無料ではないんですけど…
◆
ビラの下のほうに、小さく体験談が刷ってあった。
――動くなと言われた日に、動かなかったら助かった。
心当たりは、一つしかない。
語学クラスの宮坂は、購買のパンをくわえたまま、あっさり認めた。
「言ったじゃん、大津さん。来週の火曜、北はやめとけって」
「言いました」
「あの日、原付で北のほうまで行くつもりだったんだよ。やめたら、その道で事故があってさ」
宮坂は、自分の手柄のように胸を張った。
「すげえよ、あれ」
「すごくありません」
わたしはパンの袋を指さした。
「あの週の火曜は、雨でした」
「……あー」
「北の道は工事中で、片側交互通行です。事故は起きます。起きなくても、おかしくない」
「じゃあ、当たってないってこと?」
「暦は当たりません」
わたしは、そこで一度言葉を切った。
「当たったように、見えるだけです」
人は、外れた日のことを覚えていない。
当たった日だけを、他人に話す。
噂とは、そうやって肥え太る。
太るあいだに、わたしの名前だけが混ぜ込まれていく。
「でも大津さん、ほかにも視えるんだろ」
宮坂が身を乗り出した。
「おれ、今日どう?」
断ればよかった。
面倒だったので、わたしは目だけを動かした。
「西で、失せ物在り」
宮坂の顔が固まった。
それから、彼はポケットを三回叩いた。
「……財布、西館のトイレかも」
走っていく背中を見送って、わたしは息を吐いた。
(だから、嫌なんです)
当ててしまうから、こういうことになる。
◆
ビラには、水曜の昼と書いてあった。
誰も、それを守っていない。
翌日、列は一目では数えられない人の群れになっていた。
わたしの許可は、どこにも要らないらしい。
三日目には、整理券が配られていた。
四日目には、二列に並ばせる係の学生が立っていた。
係は、腕章までつけている。
受付表には、一人五分と書いてあった。
誰が、一人五分と決めたのかは、最後まで分からなかった。
五日目の朝、ベンチの脇に貼り紙が増えた。
『雨天中止』
(中止するのは、わたしのはずでは)
運営だけが、日ごとに立派になっていく。
わたしはそこに座らされて、星の話はしませんと言い続けていた。
「あの、単位って落ちますか」
「教務課へ行ってください」
「彼氏の浮気が」
「探偵へ行ってください」
「就職、どうなりますか」
「……わたしが知りたいです」
十五分で、三人。
星の話は、一度も出てこなかった。
誰も、星など見ていない。
見てほしいのは、自分の明日だ。
◆
人を数えるのは、昔からの癖だ。
数えていれば、いない者に気づく。
三十七、四十一、三十六。
人数は毎日変わる。
変わらないものが、一つあった。
紺のダッフルコートを着た小柄な女子学生が、毎日、列の最後尾に立っている。
初日もいた。
二日目もいた。
三日目もいた。
けれど、彼女の順番が来たことは、一度もない。
前が三人になると、列を離れる。
そして、また最後尾に並び直す。
靴は毎日同じだった。
コートの裾には、同じ泥はねが残っている。
鞄からは、折り畳んだ紙の角が覗いていた。
手はいつも、赤く悴んでいる。
寒いのに、彼女は毎日ここに立っていた。
(……この列を作ったのは、あなたではないでしょうね)
四日目の夕方、わたしは彼女の後ろ姿を、目を細めて見つめた。
念が絡んでいれば、緒が見える。
死者なら匂いが残る。
生霊なら、緒の先が本人へ戻っていく。
――何もなかった。
一本も。
彼女のまわりは、気味が悪いほど、きれいだった。
怪異なら、視ればいい。
人は、視ても出てこない。
残っているのは、赤くかじかんだ手と鞄から覗いた紙の角だけだった。
わたしは、いちばん面倒な種類の列に、座らされていたらしい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




