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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怪異より先に、人の事情が視えてしまう~  作者: KASANE
大学生編

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第13話 最後の住人(後編)


 その人は、いつのまにか立っていた。


 更地の真ん中に、黒っぽいスーツを着て。

 足音も気配もなかった。

 わたしは視ることには慣れている。

 なのに、この人がいつそこに来たのかまったくわからなかった。


「……御厨」


 名前が勝手に口から出た。

 家の者が、声をひそめて口にする名。

 写真を焼こうとした、と聞いた特級。


 わたしは身構えた。

 (――この人は、置いていかれたものを、もう一度捨てる人だ)


 御厨はわたしを見た。

 値踏みするでも、嗤うでもない。

 ただ、見た。


「大津の娘か」


 低い、乾いた声だった。


「こんな時間に、こんな場所で。……大学は」


「は」


「明日も、講義があるだろう」


 わたしは言葉に詰まった。

 てっきり、能力のことを訊かれると思っていた。

 なのに、この人が気にしたのは、わたしの明日の時間割だった。



 御厨は、地面にちらりと目をやった。


「気づいているな。その爺さんが、蓋だ」


「……ええ」


 わたしはすこし悔しかった。

 自分で気づいたことを、先に言われた。

 (――でも、この人も、同じものを視ている)


「飢饉の年の、捨て場だ」と御厨は言った。

「弔う余裕もなく、運ばれてきた者たち。何百年ぶんも、重なっている。……その上に、最後の一人が座って、蓋をしていた。本人も知らずに」


「再開発で、掘った。蓋の主が、死んだ。このままだと、町ひとつ分の地面から、いっせいに溢れる」


 町ひとつ分。

 わたしは、その規模をうまく想像できなかった。

 わたしが視てきたのは、いつもひとりだった。

 でも、この人が視ているのは土地そのものだ。



 御厨は懐から、白い紙の束を出した。

 わたしの式札と似ているようで、違う。

 もっと、無機質だった。


「何を、なさるんですか」


「還元する」


「……成仏、ではなく」


「成仏という言葉は、使わない」


 御厨は紙を一枚、地面に置いた。


「執着がほどければ、個は消える。情報になって、循環に還る。土に。水に。次の、生まれてくるものに」


「情報」


 わたしは、その言葉をつい繰り返していた。


「何百年も、ここで待っていた人たちを。……情報、ですか」


「そうだ」


「便利な言い方ですわね」


 口が勝手に動いた。

 毒だ。

 気を抜くと出る、わたしの悪い癖。


「ひとまとめにして、ほどいて、循環とやらに流して。それで、誰にも悪く思われずに済む。……『情報』なら、泣きませんものね」


 御厨はわたしを見た。

 怒りも呆れも、なかった。


「便利だから、使う」


 ただ、それだけ言った。



 御厨が地面に手をかざすと、白い紙が土の上でひとりでに伸び、格子のように広がっていった。


「抑える。だが、その爺さんが蓋をしているうちは、土地が動かない。……動かなければ、還元もできない」


「蓋を、外せと」


「お前の領分だ。わたしは、その爺さん一人を、ほどく気はない」


 わたしは息を呑んだ。


 桐山さんを納める。

 それは、わたしの仕事だ。

 でも、納めた瞬間、蓋が外れる。

 外れたものを、この人がほどく。

 ――わたしが、引き金を引くことになる。


「わたしが納めたら、あの人たちは、消えるんですよ」


「お前が納めなくても、蓋は、じき外れる。そのときは、抑える者がいない」


 御厨の声は、淡々としていた。


「お前が、その爺さんを、ちゃんと送る。わたしが、下を受け止める。……それが、いちばん、こぼれない」


 役割分担、というやつだ。

 わたしはすこし唇を噛んだ。

 この人のやり方は、好きになれない。

 でも、いまは、この人の手がいる。



 わたしは引き戸に、もう一度、手を当てた。


 桐山さんは、まだ下を見ていた。

 湯呑みを持って、足元の底を。

 二十年。

 誰にも知られず、気づかれず、ただ座って、押さえていた人。


「もう、いいんですよ」


 わたしは、言った。


「あなたは、じゅうぶん、見張りました。……あとは、ちゃんと見られる人が、来ています。だから、もう、立ってください」


 桐山さんの視線が、はじめて下から上がった。

 湯呑みを持った手が、ゆっくりと畳に置かれる。

 錆びた水の匂いが、すうっと薄れた。


 立ち退き、というのは、こういうことだったのかもしれない。

 この人は二十年かけて、やっと、ここを出ていく。


 満足したのか、安心したのかは、わからない。

 わたしには、そこまでは視えない。



 桐山さんがほどけた瞬間、足の下がぐらりと動いた。


 蓋が、外れた。

 地面の底から、声にならないものが、いっせいにせり上がってくる。

 (――ひっ。来ますわ。来ます)


 でも、せり上がったものは地表に届かなかった。


 御厨の広げた白い格子が、それをしずかに受け止めていた。

 暴れもせず、叫びもせず。

 ただ、ほどけて、紙の目を通り抜けて、土へ、水へ、夜気へと、薄れていく。


 何百年ぶんもの誰かが、いま、消えていく。

 悲鳴ひとつ、なかった。

 それが、いちばん、こわかった。



 地面のざわめきがやんだ。


 御厨は紙を仕舞った。

 町は、何も知らずに眠っている。

 誰も、足の下に何があったか知らないままで。


「終わった。帰れ」


 御厨は、背を向けた。


「……あなたは」


 わたしは訊かずにいられなかった。


「あの人たちを、覚えていてあげないんですか。ほどいて、消して、それで、おしまいですか」


 御厨は足を止めた。

 振り返らずに、言った。


「覚えているのが、お前たちの仕事だ。ほどくのが、わたしの仕事だ」


 そして、すこしだけ声を落とした。


「――だから、大学は、辞めるな」


「は」


「国家には、術師は足りている。……普通の大学生は、足りない」


 わたしは、その背中を見送った。



 夜の道を、ママチャリで下りながら、わたしは考えた。


 わたしは、あの人をこわい人だと思っていた。

 置いていかれたものを、もう一度捨てる人だと。


 たぶん、半分は当たっている。

 あの人は、ほどく。消す。覚えない。


 でも、半分は外していた。

 あの人は、わたしに明日の時間割を訊いた。

 そして、覚えているのは、わたしの仕事だと言った。


 坂の途中で、わたしは漕ぐのをやめた。

 風が、頬を撫でていく。


 桐山さん。

 飢饉の、名前も知らない人たち。

 わたしは、その全部を覚えていられるだろうか。


 ……たぶん、無理だ。

 それでも、忘れない人間が、ひとりくらい、いてもいい。


 ちがう、はずだ、なんて、もう思わなかった。

 ただ、ペダルを、踏みなおした。

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