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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~女子大生陰陽師は、祓わず視て納める~  作者: KASANE
大学生編

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第13話 最後の住人(前編)


 その電話は、夜中にかかってきた。


 わたしはちょうど、二つ目のもやしの袋と睨み合っていたところだった。

 月末は、いつもこうだ。冷蔵庫の中身と財布の中身が、競うように心細くなる。


 画面に出たのは、登録していない番号。

 けれど、声でわかった。先月も小銭仕事を回してきた、私服の刑事さんだ。


「夜分にすまんね。……明日、ちょっと、来てもらえへんやろか」


 時計は、午前二時を回っていた。

 (――こんな時間に電話してくる大人を、わたしは信用しないことにしているんですのよ)

 舌打ちして、心の中で言い直す。信用しないことにしている、だ。


 いつもなら、この人はまず報酬の話をする。出るのか、いくらか、現金か。

 なのに今夜は、その順番をすっ飛ばして、用件から切り出してきた。

 声が、すこし掠れている。


「取り壊しの現場でな。業者が、もう、誰も入りたがらへん」



 次の日の夕方、わたしはママチャリで町の外れまで行った。


 立ち漕ぎで坂をひとつ越えると、住宅地がだんだん途切れて、空き地が増えてくる。

 そこは、更地になりかけた一画だった。


 工事用のフェンスが、ぐるりと張られている。

 古い長屋が一棟だけ、半分壊された姿で残っていた。

 まわりはもう土がならされて、平らになっている。

 夕陽のなかで、その一棟だけが、抜きそびれた乳歯のように見えた。


 重機が一台、爪を地面につけたまま、途中で止まっている。

 誰かが作業を投げ出して、そのまま帰ったみたいに。


 刑事さんは、フェンスの隅で煙草を消した。


「最後まで住んではった爺さんが、先月、亡くなってな。桐山さん、いう人や」


「立ち退きを、拒んでいた」


「よう知ってるな」


「家が、そう言っています」


 刑事さんは、なんとも言えない顔をした。

 わたしのこういう物言いに、この人はまだ慣れない。


 半分だけ残った長屋は、壊された側の壁から、畳と柱の断面を晒していた。

 断ち切られた部屋は、もう部屋の形をしていない。

 なのに、玄関の引き戸だけが、妙にきちんと閉まっている。

 誰かが、まだ、そこで暮らしているみたいに。



 日が落ちると、現場は急に静かになった。

 重機が止まり、人の声が消えると、土の匂いだけが濃くなる。

 掘り返されたばかりの、湿った土の匂いだ。


 わたしは、懐中電灯をつけなかった。

 視るのに、明かりは邪魔になる。


 引き戸の前に立つと、足の裏が、つめたくなった。

 (――地面が、湿っていますわね。雨も、降っていないのに)


 気のせいだと思いたかった。けれど、靴底を通して、冷たさはじわりと昇ってくる。


 わたしは手袋を嵌めて、引き戸に触れた。


 ――ぞわり。


 桐山さんの念は、すぐにわかった。

 錆びた水の匂いが、かすかにある。亡くなった人の念だ。


 でも、それはこわいものではなかった。

 ただ、座っている。

 古びた湯呑みを持って、じっと、何かを見ている。


 わたしは、その視線をたどった。

 てっきり、外を――壊されていく町を、見ているのだと思った。


 違った。


 桐山さんは、下を見ていた。

 畳の、もっと下。

 地面の、底を。


 (――なぜ、足元を)



 わたしは引き戸から手を離さずに、桐山さんの念を、もう少し読んだ。


 二十年。

 いや、もっと長い。この人は、ずっとここに座っていた。

 立ち退けと言われても、動かなかった。


 近所の人は、頑固な爺さんだと思っていただろう。

 本人も、たぶん、そう思っていた。


 でも、念のいちばん底に、言葉にならない一本が通っていた。


 ――ここを、空けては、いけない。


 理由は、本人にもわからない。

 ただ、座っていなければならない気がして、座り続けた。

 湯呑みを持って、足元を見張りながら、二十年。


 わたしは、ゆっくりと息を吐いた。

 (――この人は、ただの、居座りじゃありませんわ)


 そして、足の裏の冷たさの、ほんとうの意味に気づいた。



 念は、引き戸から、わたしの手に昇ってくる。

 でも、足の裏から昇ってくるものは、別だった。


 地面の下。

 土の、もっと下。

 桐山さんとは比べものにならない大きなものが、そこに横たわっていた。


 ひとつではない。

 数えられない。

 声にならない声が、層になって、地面の底にぎっしりと折り重なっている。


 そして、その上に、たった一人。

 桐山さんが、蓋のように座っていた。


 (――この人が、ずっと、押さえていた)


 最後の住人。

 最後の、蓋。

 その人が、先月、死んだ。


 長屋が壊され、畳が剥がされ、蓋が、いま、ずれかけている。

 業者が入りたがらなかったのは、これだ。

 理屈はわからなくても、人は、足の下の気配に気づく。


 わたしは、引き戸から手を離した。


「……刑事さん。この爺さん、いま、納めたら――」


 言いかけて、わたしは口をつぐんだ。

 背すじに、嫌な予感が昇ってくる。


 桐山さんを納めれば。

 この人の未練をほどいて、楽にしてあげれば。

 ――最後の蓋が、外れる。


 桐山さんひとりなら、わたしで足りる。

 でも、この人を納めた瞬間に起きることは、たぶん、わたしの手に余る。


 はじめて、はっきりと、そう思った。


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