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京都陰陽師・真琴の怪異譚 ~怪異より先に、人の事情が視えてしまう~  作者: KASANE
大学生編

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第10話 よるの望遠鏡(後編)


 逢坂さんは、生きていた。


 北川さんに調べてもらうと、すぐにわかった。逢坂は、実家にいた。大学は籍だけ残して、半年、一歩も外に出ていない。


 理由は、北川さんもはっきりとは知らないという。ただ、四年になって就職活動がうまくいかなかったらしい、とだけ。


 研究室でも、サークルでも、いつのまにか彼の居場所は、ひとつずつ消えていった。誰も追い出してはいない。ただ、誰も引き止めもしなかった。


 わたしは、もう一度、夜の部室に来た。


 夜のほうが、念はよく見える。


 在室ボードの名札から、細い緒が、一本のびていた。


 死のにおいがするのに、その緒は切れていなかった。ぷつりと終わってもいない。どこか遠くの、生きている人のところまで、ちゃんとつながっている。


 わたしは、それを、長いあいだ見ていた。


 死霊の緒には、死のにおいがする。けれど、緒は切れている。還る体が、もうないから。


 生霊の緒には、死のにおいはしない。生きている人の念は、あたたかいから。


 でも、この緒は、どちらでもなかった。


 死のにおいがして、それでいて、生きている人につながっている。


 生きているのに、死んでいる人のにおいだ。


 もう自分は終わったと、本気で思っている人の、においだった。


「逢坂さん、何があったんですか」


 わたしは、暗いボードに向かって、聞いてみた。


 返事はない。けれど望遠鏡が、きい、と小さく動いて、また夜空を探した。半年前の星を、まだ観ているみたいに。



 北川さんは、ボードのほうを見ないようにして、立っていた。


 わたしは、その手元を、視ていた。


 彼の指先からも、緒がのびていた。生きた、あたたかい緒。逢坂さんの名札に巻きついて、毎晩そっと「在室」へ動かしていた。


「あなたですね」


 わたしは言った。


「毎晩ここへ来て、逢坂さんの名札を、在室に戻していたのは」


 北川さんの肩が、跳ねた。


「……気づいたら、やってたんです。朝には不在になってて。だから、戻して」


「逢坂さんが、まだここにいることに、しておきたかった」


 北川さんは、答えなかった。


 わたしは、ことばを選ぶのをやめた。選んだら、噓になる。


「心配、ですか」


 わたしの声は、自分でも、すこし冷たかった。


「あなたが在室に戻していたのは、逢坂さんのためですか。それとも、追い出した自分を、なかったことにするためですか」


 北川さんの顔が、ゆがんだ。


「……半年前。おれが、言ったんです。来ないなら、部長代わってくださいって。新歓の名簿、人数が合わないからって」


 声が、震えていた。


「正直、ほっとしたんです。あの人がいると、みんな、気をつかうから。なのに――名札を見るたび、それが」


 言葉が、続かなくなった。


 わたしは、それ以上は、問わなかった。


 言ってしまえば、わたしはこの子を責められる。でも、わたしにその資格があるのかは、わからない。


 わたしも、ある場所からいなくなった人間だ。家を出て、振り返らないことにした。残された誰かが、わたしの名札をどうしているのかも、知らないままで。


 いなくなる側は、いつも、自分のことしか考えていない。残される側のことは、視えても、わからない。


「祓えますか」


 北川さんが、すがるように言った。


「祓えません」


 わたしは言った。


「これは、逢坂さんの念です。生きている人の念は、わたしには切れない。鎮めることは、できます。望遠鏡も名札も、もう動かなくなる」


 わたしは、桃木剣の先を、緒の根もとに当てた。死のにおいが、すこしやわらいだ。


「でも、それだけです。念は鎮められても、人は連れ戻せません。逢坂さんを、ここに戻せるのは――わたしじゃ、ないんです」



 北川さんは、長いあいだ、ボードの前に立っていた。


 それから、自分の手で、逢坂さんの名札を、つまんだ。


 今度は、こっそりではなかった。


 彼は、その名札を、「不在」の欄に、ゆっくりと貼りなおした。


 半年ぶりに、正しい場所に戻った名札は、ただの、白いマグネットに見えた。死のにおいは、もう、しなかった。


 望遠鏡が、ことん、と力を抜いて、ふつうの角度に戻った。


「……連絡、してみます」


 北川さんは、ボードを見たまま、小さく言った。


「出てくれるか、わからないけど」


 わたしは、うなずいた。


 出てくれるかどうかは、わたしにも、視えなかった。


 逢坂さんが、また星を観に来るのか。それとも、名札が不在になったことすら、知らないままなのか。


 北川さんの「連絡」が、謝罪になるのか、言い訳になるのか。


 視えなかった。


 わたしの目は、念は視えても、人と人のあいだに、これから架かる橋までは、視せてくれない。



 帰り道、冬の夜空は、よく晴れていた。


 学食の、いちばん高い日替わりは、けっきょく食べそびれた。


 空には、星が出ていた。半年前も、たぶん、同じ星が出ていた。


 誰かがいなくなっても、星はいつもどおりに昇る。それが、やさしさなのか薄情なのかは、わたしにはわからなかった。


 寝不足は、肌に出る。


 わたしは、首をすくめて、自転車をこいだ。

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