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園に来た男の子が配信者だと知ってから、帰り道が長い  作者: ユキ@異世界転生と俺TUEEEはもう辞めて現実的に生きよう


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7/22

無理しないでください

 木曜日の夜、二十一時半。連絡帳を書き終えて、職員室の電気を消した。今夜も最後だった。


 駅前のコンビニに寄った。ペットボトルのお茶と、おにぎりを一個。それだけ手に取った。


 雑誌コーナーで誰かが立ち読みしていた。何気なく見て、息が止まった。


 瀬野くんだった。黒いパーカー姿で、料理雑誌をぱらぱらとめくっている。


「あ」


 声が出た。瀬野くんが顔を上げた。私を見て、目が少しだけ大きくなった。


「柊さん」


「瀬野くん、こんな時間にこんなところで」


「こんばんは。こんな遅くまで、お疲れさまです」と瀬野くんは雑誌を棚に戻した。「すぐそこに住んでるんで、ちょっと、料理の本だけ見て帰ろうかと」


「料理するんだ」


「ときどきだけ」


 声が小さい。外で会うと、職場とはまた違う気がした。職場では白いTシャツ姿しか見たことがなかったから、黒いパーカーの瀬野くんは別人のようだった。声は同じなのに、雰囲気だけ少し違う。


 二人でレジに並んだ。前後で並んでいるだけなのに、なんだか落ち着かなかった。瀬野くんはコンビニコーヒーとサンドイッチを買っていた。私はおにぎりとお茶だけだった。


「夜ご飯、それだけですか」


 瀬野くんが私のかごを見て、少し心配そうに聞いた。


「うん、お腹すいてないし」


 嘘だった。お腹はすいていた。でも家でこのおにぎりひとつ食べて、すぐに寝るつもりだった。それを言うと、瀬野くんに何か言われそうな気がした。


 会計を終えて、二人で店を出た。改札の方へ並んで歩く。


「電車、どっち方面ですか」


 瀬野くんが聞いた。


「上り。北の方」


「僕は下りなので、ここで」


 改札に着くと、瀬野くんは少しだけ立ち止まった。私も立ち止まった。


「お疲れさまでした」


「うん、また明日」


 瀬野くんは改札を抜けようとして、足を止めた。少し振り返って、また前髪を流した。


「あの、柊さん」


「ん?」


「柊さん。僕、いつも先に帰っちゃってて……無理しないでください、本当に」


 それだけ言って、瀬野くんは改札を抜けて、階段を駆け降りていった。


 私はその場で動けなかった。改札の音、別の人の足音、自動アナウンス。それらが全部、急に遠くなった。


 無理しないでください。


 頭の中でその言葉だけが残った。


 電車に乗って、扉のそばに立った。窓に映る自分の顔を見ながら、ずっとその言葉を反芻していた。三島主任にも前に同じことを言われた。あのときも珍しいと思った。十五年も同じ園にいる三島主任が、そんなことを言うのは。


 でも瀬野くんの「無理しないでください」は、響き方が違った。


 三島主任の言葉は、保育士仲間としての距離感のある優しさだった。瀬野くんの言葉は、なんだろう。もっと近い。私のことを、私の生活のことを、心配している声だった。


 駅徒歩十五分のマンションまで、いつもより足が遅かった。家に着いて、ドアを開けて、靴を脱いで、リビングの電気をつけた。冷蔵庫を開けて、コンビニのお茶を入れた。冷たいお茶を一口飲んだ。


 無理しないでください。


 その声が、まだ残っていた。


 ベッドに腰掛けて、スマホを手に取った。「こえつき」のアイコンを思い出した。瀬野くんのスマホに見えた、あの水色のアイコン。


 アプリ、まだダウンロードしていない。今夜は、もうそんな元気もない。


 瀬野くんは、配信しているんだろうか。アイコンを見たときから、ずっと勝手にそう思ってた。でも、ただのリスナーなだけかもしれない。


 配信してたら、嬉しいな。あの絵本のときの声が、夜にも流れていたら。


 ベッドに横になって、暗い天井を見ていた。

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