隣で聴く声
休日、蒼の部屋へ行くと、玄関に知らないスニーカーがあった。
「はじめまして! 凛です。お兄ちゃんがお世話になってます」
瀬野凛。十七歳の、蒼の妹だった。ショートヘアにパーカー姿で、部屋の真ん中に立っている。笑うと、目元が蒼に似ていた。
「お兄ちゃんが女の人の話したの、初めてなんですよ。お母さんもびっくりしてました」
「凛、余計なこと言わなくていいから」
蒼は前髪を触りながら、目をそらした。凛は気にせず続けた。
「奈月さん、お兄ちゃんの配信聴いてたんですよね。あれ、もともとは私に電話で読んでくれてたのが始まりなんです」
「そうなの?」
聞き返した私に、凛は何度かうなずいた。
「小さい頃、両親が離婚して、私、夜になると眠れなくなっちゃって」
そこだけ早口になってから、凛は口元だけで笑った。
「話の途中で私が寝ちゃっても、切らないでいてくれて。朝起きたら通話だけ切れてる、みたいな日が何回もありました」
蒼は窓の外を見ていた。凛はその横顔をちらっと見て、続けた。
「私が一人で眠れるようになって、その電話は終わったんです。でもそのあと、お兄ちゃんが配信を始めました。他にも眠れない人がいるかもしれないって」
「そのとき、お兄ちゃんに言われました。疲れてる日はやらない、って。声が雑になったら意味ないから、って」
蒼は何も言わなかった。私は凛の話を聞きながら、夜凪の配信が始まる前の夜を初めて想像した。
凛が帰った後、部屋にはエアコンの音だけが残った。
二十二時になると、蒼がデスクに座ってマイクのスイッチを入れた。
「今日も配信していい?」
「うん」
私は蒼のベッドで横になった。スマホは鞄にしまったままだった。
——今日もおつかれ。ゆっくり目を閉じていいからね。
蒼の声が、部屋の中に流れた。机の前に座る蒼が息を吸って、言葉にしている。その音が、同じ空気を通って私のところまで届いていた。
最初にこの声を聴いた夜を思い出した。暗い部屋で一人イヤホンを耳にはめていた。どこか遠くの誰かだと感じていた声が、今はすぐそばにある。
目を閉じても、机の方から蒼の声が聞こえていた。
配信の最後に、蒼が「おやすみなさい」と言った。小さなクリック音のあと、エアコンの音が戻ってきた。
私は目を閉じたまま、「おやすみ」と返した。
しばらくして、ベッドの端が少し沈んだ。蒼が隣に入ってきた。何も言わないまま、私の肩に触れない距離で横になった。
もう一度目を閉じた。蒼の声を探さなくても、息をする音がすぐ隣にあった。




