自分のこと考えなよ
洗濯機が回る音だけが、保育士の休日に響いていた。日曜日の午前十一時。ベランダから差し込む光が、干しっぱなしのバスタオルの影をフローリングに落としている。
冷蔵庫を開けた。卵が二つ、使いかけのマヨネーズ、賞味期限の切れた納豆。自分ひとりのために料理をする気力が湧かない。平日はコンビニ弁当で、休日もコンビニ弁当で、たまに実家から届く冷凍のハンバーグを温めるくらいが精いっぱいだった。
洗濯物を干しながら、ぼんやり窓の外を見た。隣の棟のベランダに、小さな子ども服が並んでいる。黄色い靴下、アンパンマンのTシャツ。保育園の洗い替えだろうか。仕事でもプライベートでも、子どものものが目に入る。職業病だな、と思いながらハンガーにブラウスをかけた。
午後二時。駅前のカフェで莉子と向かい合っていた。
「で、最近どうなの」
遠山莉子。大学時代からの親友で、IT企業のWebエンジニアをしている。ショートボブにパンツスタイル。目の前でアイスラテのストローをくるくる回しながら、いつものように単刀直入に切り込んできた。
「どうって、別に。普通だよ」
私はカフェラテを両手で包んだ。四月に入ってまだ肌寒い日が続いていた。
「普通って、コンビニ弁当とサビ残の普通?」
「……まあ、そうかな」
莉子は私の顔をじっと見た。何か言いたそうに口を開いて閉じて、もう一度開いた。
「奈月ちゃんさ、いい加減自分のこと考えなよ」
来た、と思った。莉子は半年に一回くらいこれを言う。私が疲れた顔をしていると、必ず。
「考えてるよ。ちゃんと寝てるし」
「五時間半で?」
先週のLINEで愚痴ったのを覚えていたらしい。莉子は返信が速い代わりに、こういう情報も正確に記憶している。
「まあ、足りてないけど」
莉子はアイスラテのグラスをテーブルに置いて、身を乗り出した。
「で? どうすんの?」
どうもしない。どうすればいいのかわからないから、こうしている。それが正直な答えだったけど、口に出すと莉子をがっかりさせる気がして、カフェラテをひと口だけ飲んだ。
「転職とか考えないの? うちの会社、リモート多いし、奈月ちゃんの事務処理能力あれば全然……」
「保育の仕事は好きなんだよ」
遮るように言った。自分でも驚くくらい早口だった。好き。本当にそうだろうか。好きだから続けているのか、それとも他に行く場所がないから好きだと言い聞かせているのか。わからなくなっていた。
莉子はストローから手を離して、かすかに笑った。
「知ってるよ。奈月ちゃんが子ども好きなのは」
それだけ言って、話題を変えてくれた。最近見た映画の話。会社の後輩がやらかした話。笑える話ばかり選んでくれているのがわかって、胸のどこかがじんわりと痛んだ。
カフェを出たのは四時過ぎだった。莉子と別れて、駅に向かう途中でスマホが鳴った。画面を見ると、園の事務用アドレスからのメールが届いていた。
『各位 人事連絡です。4月第2週より、新規採用職員1名が4歳児クラスに配属となります。詳細は週明けの朝礼にて。白石園長』
四歳児クラスに新しい人が来る。私のいるフロアだ。それだけのことなのに、ほんの少しだけ息が楽になった気がした。人が増える。何かが変わるかもしれない。




