昔の私みたい
六月の半ば。来月の夏祭りに向けて、準備が始まった。七月の第三週に開催される「そらのこ夏祭り」。毎年恒例の行事で、保護者も参加する園最大のイベントだ。
三島主任が私のデスクに書類の束を置いた。プログラム、予算表、保護者向け案内状、装飾リスト。
「柊先生、これ、お願いできる?」
断る選択肢は存在しなかった。「はい」と答えた。三島主任はありがとうも言わずに去っていった。
残業が続いた。十九時、二十時。蒼は定時で帰る。帰り際に目が合うと、心配そうな顔をする。でも職場では何も言えない。
木曜の夜。職員室に三島主任と私だけが残っていた。蛍光灯の下で、祭りの予算表を打ち込んでいた。
「柊先生」
三島主任が声をかけてきた。珍しいことだった。この人から私に話しかけることは、業務連絡以外ではほとんどない。
「あなた、昔の私みたいね」
手が止まった。三島主任はパソコンの画面を見たまま、表情を変えずに言った。
「最初は私も、子どもが好きで始めたのよ。連絡帳を丁寧に書いて、壁面装飾に凝って、保護者対応も全部自分でやっていたわ」
蛍光灯が小さく唸っていた。三島主任の横顔が、蛍光灯の冷たい白い光の中に浮かんでいる。目の下のクマが、いつもより深かった。
「でもね、好きだけじゃ続かないの」
それだけ言って、主任はパソコンに向き直った。会話は終わりだ。表情が消えている。いつもの三島主任に戻っていた。
廊下で足音がした。白石園長が通りかかった。
「おっ、柊先生。遅くまでお疲れさまです。いつも助かりますよ」
にこにこしている。穏やかな人だ。悪い人ではない。でも園長がここにいるのは、たまたま忘れ物を取りに来ただけだった。残業の原因にも、三島主任の疲弊にも、きっと気づいていない。
「お疲れさまです」
私はそう返した。「助かります」と言われると、重かった足が少しだけ動いた。必要とされている。頼りにされている。その感覚が、疲労の上に薄い膜を張って、痛みを鈍くしてくれる。
帰り道、スマホを見た。蒼からLINEが来ていた。メッセージではなくスタンプだった。犬が毛布にくるまっているやつ。「早く帰れ」の意味か、「疲れたでしょ」の意味か。蒼はスタンプで気持ちを送ってくる。言葉にするより、何かを渡したいだけなのかもしれない。
「大丈夫だよ」と返したら、犬がこたつに入っているスタンプが来た。
三島主任も、最初はこんな気持ちだったのかな。でも、私はまだやれてる気がする。




