第96話 領内の冬事情
暖炉の火が小さく鳴る中、カケルは受け取った書状を開いた。向かいでは、リアナも背筋を伸ばしたまま、その手元を見ている。
「……辺境伯領の視察に同行せよ、だって」
リアナがわずかに眉を寄せる。
「視察……」
「明日の朝、北門に来るようにって」
「そう」
リアナはそれだけ言って、小さく息を吐いた。
「父様がわざわざ呼ぶなら、何か理由があるはずだわ」
「うん。行けばわかるよね」
────
翌朝。
まだ冷えの残る空気の中、二人は北門へ向かった。
昨日買った上着は、風が当たっても冷えにくく、暖かい。リアナも動きやすそうな厚手の服に替えている。
肩の上では、ワサビ君がカケルの襟元を掴んでいた。左右の目が別々に動き、門の前に集まる人や荷馬車をゆっくり追っている。
「昨日のうちに準備しておいてよかったね」
「ええ。さっそく役に立ってるわ」
北門の前には、すでに数騎の騎士と馬車が待っていた。その中央に、アルシュタイン辺境伯の姿がある。
辺境伯は二人を認めると、近くまで来るのを待ってから口を開いた。
「揃ったか」
「はい」
カケルが頭を下げると、リアナもそれに続いた。
辺境伯は娘へ視線を向ける。
「毎年冬が深くなる前に、領民の備えを確認している。ヴェロワもルドルフも、ヴィクトールも見てきた。お前も知っておけ」
リアナの背がわずかに伸びる。
「当主になるかどうかは関係ない。アルシュタインの子なら、この地が冬をどう越えるかは見ておくべきだ」
「はい」
辺境伯は次にカケルを見る。
「お前も来い。平民の目で見えることもあるだろう」
「承知しました」
辺境伯は頷くと、馬車へ向かった。
「行くぞ」
一行はそのまま北へ向かった。
カケルとリアナは用意されていた馬車へ乗り込む。外は冷えるが、囲いがあるぶん風はだいぶましだった。
馬車が街を抜けると、領都の外は朝の気配を濃く残していた。
道の端には、切り出した木材を積んだ荷車が並んでいる。干した草束を運ぶ者、柵を補強している者、屋根の傷みを直している者。街の中よりも、人の動きが忙しい。
カケルはその様子を見回した。
「冬の前って、やっぱりあわただしくなるんだね」
隣のリアナが小さく頷く。
「雪が深くなる前に、やれることを全部やっておくの。遅れると、そのまま困る村もあるわ」
「そっか……」
しばらく進んだところで、辺境伯が前を見たまま口を開いた。
「冬は寒さだけが厄介なわけではない。雪で道が塞がれれば、物資は届きにくくなる。怪我人が出ても運ぶのが遅れる。備えが足りなければ、それだけで生活が立ち行かなくなる」
言葉はまっすぐだった。
「だから冬が来る前に見ておく。足りているか、抜けがないか、自ら見て確かめる。それがこの地を治める者の務めだ」
カケルは黙ってその言葉を聞いた。リアナもまた、前を向いたままだった。
やがて一行は、小さな集落へ入った。
領都からそう遠くはないが、外れに寄ったぶん風当たりが強いらしい。家々の壁には新しい板が打ちつけられ、屋根には補修の跡がある。
人々が辺境伯の一行に気づき、手を止めて頭を下げた。
辺境伯は馬車を降りると、そのまま備蓄小屋へ向かった。カケルたちも後を追う。
中には干し肉、乾燥豆、根菜、薪がきちんとまとめられている。辺境伯はざっと中を見回し、管理を任されている男へ声をかけた。
「先月より減りが早いな」
「はっ。道の補修に人手が要りまして、そのぶん食わせる数が増えました」
「補充の見込みは」
「三日後に届く予定です」
辺境伯は小屋の奥まで見たあと、すぐに近くの騎士へ言った。
「領都から少し回せ。届くまでのつなぎでいい。配り方も見直せ。後半で足りなくなるほうがまずい」
「はっ」
管理役の男が深く頭を下げる。小屋を出たあと、辺境伯は振り返って二人を見た。
「見て、何か気づいたことはあるか」
いきなり問われ、カケルは少しだけ考える。
「思ったより余裕がないんだなと思いました。足りてはいるけど、何か一つ予定がずれると苦しくなりそうです」
辺境伯は短く頷いた。
「冬はそういう小さなずれが積み重なる」
リアナも備蓄小屋のほうを見て口を開く。
「補充が三日後でも、もう前倒しで手を打っておられるのですね」
「ああ。間に合うはず、では遅いからな」
そのまま集落の外れへ向かう。
そこには背の高い柵が立っていた。近くまで行くと、何本かの木に深い傷が残っている。割れた箇所を継ぎ足した跡もあった。
辺境伯はそばにいた年配の男へ視線を向けた。
「被害はどうだ」
「先月の終わりに家畜を二頭やられました。騎士様方がすぐ来てくださって、それ以上は出ていません」
「その後は」
「見回りを増やしてからは、まだ」
辺境伯は柵へ手を当て、傷の深さを一度見た。
「補強は急げ。雪が降る前に終わらせろ」
「はっ」
男が深く頭を下げる。
リアナは、柵の傷をじっと見ていた。爪で抉った跡が深い。一本や二本ではない。
カケルもそこへ視線を向ける。
「魔獣……ですか?」
「ああ。こいつは一頭でも厄介だ。群れで来れば、こうなる」
辺境伯はそこで言葉を切り、二人を見た。
「お前たちは、この傷を見てどう思う」
リアナが先に口を開いた。
「柵そのものを強くするのはもちろんですけど……押し寄せられた時に、どこで受けるかも決めておかないと危ないと思います」
「そうだ」
辺境伯は頷く。
カケルも傷跡を見ながら言った。
「一か所に集まられると、支えきれなくなりそうです。見回りが来るまで持たせるなら、柵だけじゃなくて、人が動く位置も大事なのではないでしょうか」
「そうだ。だが、それだけでは足りん」
辺境伯の声が少し低くなる。
「群れを一度に受ければ、位置を決めていても押し切られる。だから出てくる前に気づくための見張りと、下りてきた時にすぐ動ける詰め所も要る」
リアナが小さく息を呑み、カケルも頷いた。
「だから視察は村だけ見て終わりではない。騎士がどこから動くか、どこで受けるか、それも見ておく必要がある」
その後、一行は集落の周辺と街道沿いの備えを順に見て回った。
冬の間、荷車が止まりやすい場所。雪で道幅が狭くなる箇所。森側から獣が出たとき、騎士が入りやすい道筋。
辺境伯は、それらをひとつずつ確認しながら必要な指示を飛ばしていく。
「そこは除雪が遅れる。先に枝を払っておけ」
「この柵は低い。もう一段足せ」
「見張りの交代が遅い。日が短くなる前に組み直せ」
カケルはその背を見ながら思う。
この人は、強さだけを見ているわけじゃない。強さが必要になる場所を、ちゃんと知っている。
昼を過ぎた頃、一行は街道脇の高台で足を止めた。
そこからは、遠くの森と、その手前に広がる道筋がよく見える。道の脇には古い見張り台の残骸が残っていた。
辺境伯はそちらへ目をやった。
「ここは以前、スノーグリズリーに壊された」
リアナが息を呑む。
「……あれに、ですか」
「そうだ。冬に活発化して、群れで下りてくる。雪が深い年ほど、麓まで来やすい」
辺境伯は少し間を置いて続けた。
「我が騎士団であっても毎年苦戦する。対応に出た騎士にも死人が出る年もある」
風が吹き、乾いた草が揺れた。辺境伯は視線を森から外し、二人を見る。
「だから冬の備えは、村の中だけ見て終わりではない。被害が出る前に、どこまで踏ん張れるかも見ておく必要がある」
リアナは静かに頷いた。
「……はい」
「お前たちも、今日はそこまで見ろ」
「わかりました」
その後も一行は、街道の曲がり角や見晴らしの利く場所、騎士が集まりやすい詰め所を回った。視察が終わる頃には、日はもう傾きかけていた。
冷たい風の中、リアナが外套の前を押さえる。
「……兄様たちも、こういうのを見てきたのね」
「そうなんだろうね」
カケルが答えると、リアナは少しだけ森のほうを見た。
「知識では知っていたつもりだったわ。でも、実際に見ると違う」
「うん。違うね」
前を行く辺境伯の背は、最後まで変わらずまっすぐだった。
やがて辺境伯が足を止めた。
「今日はここまでだ」
騎士たちが馬車を整え始める。辺境伯は振り返り、二人へ告げた。
「明日は、さらに雪の深くなる側を回る。今日見たものが、冬にどう変わるかも知っておけ」
「はい」
リアナが答え、カケルも続けて頷いた。
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