第95話 冬支度
朝、戸を開けた瞬間、ひやりとした空気が頬を撫でた。カケルは思わず肩をすくめる。吐いた息が白くほどけて、すぐに消えた。
「……朝はもう、冷えるね」
隣に立ったリアナも、腕をさすりながら空を見上げる。
「ええ。もう少ししたら、一気に寒くなりそう」
晴れてはいる。けれど、差し込む光はどこか薄い。夏の終わりとは違う、冬へ向かう朝の色だった。
肩の上では、ワサビ君がいつものようにカケルの服を掴んでいる。細い指先でしっかり布を捉えたまま、左右それぞれの目がゆっくり別の方向を向き、通りの様子を追っていた。
風が吹いても慌てる様子はない。ただ、気温の変化を測るように喉元をわずかに上下させ、それからカケルの首筋へ前足を移して落ち着く。
カケルはそっとその姿を見上げた。
前にいた世界なら、部屋の空気はある程度まとめて整えられた。暑すぎても寒すぎても、機械で少しずつ調整できた。けれど、こっちではそうはいかない。
そのことを思うたび、召喚獣になった家族たちが気温に大きく左右されなくなったのは、本当にありがたいと思う。けれど、人間はそうもいかない。
「リアナさん、そろそろ冬支度をしようか」
「ちょうど私もそう思ってたわ」
二人は戸を閉め、家の前で足を止めたまま話し始めた。
「まず、何が要るか整理しましょう」
「うん。そのほうがよさそうだね」
カケルは指を折る。
「保存のきく食べ物は、少し多めに持っておきたいかな」
「それは必要ね。雪で動きにくい日もあるでしょうし」
「寝具とか敷物も、もう少しあたたかいものが欲しいよね。みんなが丸くなれる場所も増やしたいし」
「服も要るわね。私は一度、辺境伯家に手紙を出して冬物を送ってもらうわ。それとは別に、動きやすいものも少し見ておきたいわね。外に出る時、今のままだときつくなるもの」
「たしかに。依頼の時に動きにくいのは困るよね」
「ええ。あと、暖炉ね」
リアナがそう言うと、カケルも頷いた。
「使えるなら使いたいんだよね」
「使い方、わかるの?」
「全然」
カケルが素直に答えると、リアナは小さく笑った。
「私も、使用人がやってくれていたからわからないわ」
「じゃあ、まずはガレンさんに聞いたほうがよさそうだね」
「ええ。勝手に火を入れて失敗するより、ずっといいわ」
そう決めて、二人は大家のガレンのもとへ向かった。
ガレンの家の戸を叩くと、すぐに中から足音が近づいてくる。扉が開き、日に焼けた顔がこちらを見るなり、豪快な声が飛んだ。
「おう、カケルさんにリアナ嬢ちゃん。家賃の支払いにはちと早くないか?」
「あ、今日は違うんです」
「なんだ、違うのか!」
ガレンはガハハと笑い、扉を大きく開けた。
「で、どうした?」
カケルは軽く頭を下げる。
「寒くなってきたので、暖炉を使えるか聞きたくて」
「ああ、あれか。使えるぞ。しばらく使ってなかっただけだ」
「ほんとですか」
「ただし、そのまま火を入れるのはやめとけよ。まずは掃除だな」
カケルが真面目な顔で頷くと、ガレンは腕を組んだまま続けた。
「中の煤を落として、煙の通り道もちゃんと見ろ。詰まってたら面倒だからな。最初は弱く火を入れて、煙がきちんと抜けるか確かめる。いきなり強く焚くなよ」
「なるほど……」
「薪は乾いたもんを使え。湿ってると煙が増えるし、火つきも悪い」
「はい」
「斧はあるか?」
カケルは首を横に振った。
「いえ」
「なら一本買っとけ。薪の大きさを揃えられると使いやすいぞ。最初は細めの薪からだ」
横で聞いていたリアナが、感心したように頷く。
「思ったより、ちゃんと順番があるのね」
「そりゃそうだ。家を温めるもんで家を燻してどうする」
ガレンはそこでまた笑った。
「まあ、最初に聞きに来たのは正解だな。わからんままやると、たまにえらいことになる」
「聞きに来てよかったです」
「おう。ついでに暖炉の前は少し空けとけよ。布だの木箱だの近いと危ねえからな」
「わかりました」
必要なことを一通り聞いてから、二人は市場へ向かった。
干し肉、乾燥豆、日持ちする根菜。保存の利くものを見繕いながら、リアナが手際よく量を決めていく。カケルはその横で、寝具や敷物を扱う店先にも目を向けていた。
厚手の敷物を手に取る。
「これ、いいかも」
「丈夫そうね。ラプティが乗っても平気そう」
「そこ、大事だよね……」
さらに冬物の衣類も見て回る。リアナは自分の分をすぐには決めず、まずは動きやすい上着や手袋を見比べていた。
「私は辺境伯家から届くぶんもあるだろうし、買いすぎないようにしたいのよね」
「そっか。それなら、依頼の時に使いやすいものだけでもいいかもね」
カケルが手に取っていた厚手の上着を見て、リアナが少し首を傾げる。
「それ、あったかそうだけど、腕は動かしにくくない?」
「うーん……少し重いかも」
「こっちのほうがよさそうよ。厚みは十分あるし、腕も上げやすいわ」
差し出されたものを見て、カケルは何度か動きを確かめた。
「たしかに。こっちのほうがよさそうだね」
「でしょう?」
敷物と寝具、保存食、冬物の衣類、乾いた薪、それに薪割り用の斧。荷物が増えたため、最後は荷車を借りて家まで運ぶことになった。
借家へ戻った頃には、日が少し傾き始めていた。
「先に暖炉、やっちゃおうか」
部屋の一角にある小さな暖炉の前に立つ。今まで使っていなかったぶん、うっすらと煤の匂いが残っていた。
カケルは袖をまくり、リアナと一緒に中を覗き込む。
「思ったより狭いね」
「でも、二人で使うぶんには十分じゃない?」
「うん。みんな、この前には集まりそうだよね」
そう言ったそばから、「ケー!」と元気な声が上がった。振り向くと、ラプティがこちらへとことこと寄ってくる。その後ろではシルバーが静かについてきていた。
「ほら、もう気になってる」
リアナが苦笑しながらラプティの首元を撫でる。
「まだだめよ。掃除が先」
ラプティは不満そうに嘴を鳴らしたが、言葉はわかっているらしく、その場で足踏みするだけにとどまった。
上では、ほっぺが止まり木から首を伸ばしている。キンカチョウたちも、いつもより低い位置をちょこちょこと飛び回っていた。キョロとチョロはいつの間にか壁際まで降りてきて、暖炉の縁を見上げている。
カケルはその様子を見て、小さく息をついた。
「うん。やっぱり柵はあったほうがよさそうだね」
「怪我はしないにしても、熱そうなのは嫌だものね」
「そうなんだよね。召喚獣だからやけどは平気だとしても、危なっかしいのは心臓に悪いもんね」
ワサビ君は相変わらずカケルの肩の上だった。しばらく周囲を見回したあと、前足をゆっくり持ち上げてカケルの襟元へ移り、そこに体を寄せる。暖炉そのものに興味があるというより、皆の動きを高い位置から眺めているようだった。
「ワサビ君は、あまり近づかなそうだね」
「でも、みんなが集まったら見には行きそうだわ」
「それはあるかも」
二人は煤を掻き出し、布で拭き、煙の通りを確かめた。細かな灰が舞うたび、リアナが顔をしかめ、カケルが慌てて窓を少し開ける。
「思ったより大変だね……」
「師匠、こういうの、絶対途中で顔真っ黒になると思ってたわ」
「え、もうなってる?」
「ちょっとだけ」
そう言って笑うリアナの頬にも、うっすら煤がついている。カケルが指で自分の頬を拭うと、黒く汚れた。
「リアナさんもついてるよ」
「えっ、ほんと?」
「うん。ちょっと待って」
手拭いを濡らして渡すと、リアナは少しだけ目を丸くし、それから素直に受け取った。
掃除を終える頃には、暖炉の前もだいぶ片づいていた。
次に、買ってきた木材で簡単な柵を組む。大きなものではない。ただ、暖炉のすぐ前に踏み込まないための仕切りとしては十分だった。
「これなら、勢いよく近づいてもそのまま顔を突っ込むことはないかな」
「ラプティ対策としては、かなり大事ね」
「ケー」
「ほら、返事した」
リアナが笑う。ラプティは何を言われたのかわかっていない顔で、それでも楽しそうに首を傾げていた。
準備がすべて整ってから、カケルは細い薪を暖炉に入れた。
「じゃあ、最初は弱く……だよね」
「ええ。煙の様子も見ないと」
火打ち石の音のあと、小さな火がぱちりと灯る。しばらく様子を見ると、煙はきちんと奥へ吸われていった。
「……大丈夫そうだね」
「ちゃんと抜けてるわ」
少しずつ火が育っていく。部屋の空気がゆっくりとほどけるようにやわらいだ。
その変化をいちばん早く見つけたのは茶渋だった。いつの間にか柵の手前に座り、いちばんいい場所を当然のように確保している。
「茶渋、早いね」
「完全にわかってる顔してるわね……」
ほっぺが上から「ホッペチャン」と一声鳴いた。キンカチョウたちも少し低いところへ集まり、ラプティは柵の手前を行ったり来たりしている。その動きに合わせるように、シルバーも少し後ろで位置を変えた。
前へ出すぎず、ラプティが柵に鼻先を寄せるたび、静かに様子を見ている。やがて少し離れた場所に伏せると、落ち着いた目で火とラプティを交互に見た。
カケルはその光景を見回し、胸の奥の力が少し抜けるのを感じた。寒さに振り回されにくくなったとしても、あたたかい場所を選ぶ姿はやっぱり変わらない。
それが、なんだか嬉しかった。
「これなら、この冬も少し過ごしやすくなるかな」
「ええ。少なくとも、今までよりはずっといいわ」
リアナがそう答えた、その時だった。
扉がとんとん、と叩かれる。二人は同時にそちらを見た。
この時間の来客は珍しい。カケルが立ち上がって戸口へ向かい、扉を開ける。
そこに立っていたのは、見覚えのあるリスティア騎士隊の隊員だった。その男は、姿勢よく一礼する。
「カケル殿、リアナ様。アルシュタイン辺境伯閣下より、書状を預かっております」
その言葉に、リアナの表情がわずかに引き締まった。
隊員は丁寧に封のされた手紙を差し出す。蝋印に刻まれた紋章を見て、カケルも背筋を伸ばした。
「ありがとうございます」
受け取った手紙は、冬の空気の中にあっても妙に重く感じられた。暖炉の火が、背後で小さく鳴る。
さっきまでのやわらかな空気の中に、外の気配が一筋差し込んできたようだった。
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