第94話 久しぶりの孤児院へ
その日は、久しぶりに朝から少し余裕があった。
借家の庭先で、カケルは肩にいるワサビ君へ小さく笑いかける。ワサビ君はいつものようにゆっくりと目を動かし、庭の端と空とを順番に眺めていた。
その横で、リアナがラプティの鞍の留め具を確かめている。
「よし。今日はこれで大丈夫そうね」
「やあ。 お出かけかい?」
門のところからエアリスが顔を出した。今日は非番だと聞いていたから、ふらりと寄ったのだろう。
「こんにちは、エアリスさん。せっかくなので、久しぶりに孤児院へ行こうかなって思ってて」
カケルがそう言うと、エアリスは少しだけ目を細めた。
「あの事件以来顔を出していないし、僕もご一緒させてもらおうかな」
「はい。ぜひ」
「早くいきましょう! ラプティ見せたらターニャびっくりするかしら」
リアナがふふっと笑う。その言葉に、ラプティが嬉しそうに顔を上げた。
「ケー!」
「まだ行く前からはしゃいでるのね」
リアナはそう言いながらも、手つきはやさしかった。
三人と家族たちで孤児院へ向かう道は、思っていたより賑やかだった。
シルバーが落ち着いてそばを歩き、ラプティは時々前へ出そうになってはリアナに手綱を軽く引かれる。ワサビ君はいつものようにカケルの肩にいて、ほっぺは当然のようにエアリスの肩にとまったままだ。
ピー太郎たちもそのまわりを行ったり来たりしていた。
孤児院の門が見えた時、最初に気づいたのは子どもたちのほうだった。
「カケルおにいちゃんだ!ワサビ君は?」
「リアナおねえちゃんもいる!」
「わーい、ほっぺ君!」
声が上がった次の瞬間、子どもたちが一斉に駆けてくる。
けれど、その視線はほとんどまっすぐ家族たちへ向いていた。
シルバーの周りに子どもたちが集まり、少し離れたところではピー太郎たちへ手を振る子もいる。ワサビ君はそんな騒ぎなど気にしないように、カケルの肩の上で目だけをゆっくり動かしていた。
その中から、ターニャが真っ先にシルバーへ駆け寄った。
「シルバー!」
シルバーは落ち着いたままその場に伏せ、ターニャが首元に抱きつくのを受け入れる。
リアナがその様子を見て、少し笑う。
「相変わらず、ターニャはシルバーが一番なのね」
ターニャは顔を上げて、嬉しそうに何度も頷いた。
けれど次の瞬間、ターニャの目はすぐにラプティへ向いた。
「その子、はじめましてね!」
ターニャの声につられるように、ほかの子たちの視線も一気に集まる。
孤児院の子どもたちにとっては初めて見る家族だ。少し離れたところで、おお……と見上げている子もいれば、もう目を輝かせて一歩前へ出ている子もいる。
リアナは少し得意そうに胸を張った。
「新しい家族よ。ラプティっていうの」
「ケー!」
名前を呼ばれたラプティが、待ってましたとばかりに元気よく鳴く。
その声に、子どもたちの間からわっと歓声が上がった。
「乗れる!?」
「背中に乗っていい!?」
「ずるい、ぼくも!」
リアナが一瞬だけカケルを見る。
カケルはラプティの様子を見てから頷いた。
「大丈夫そうなら、順番にね」
「ふふん、任せなさい」
リアナは鞍の位置を確かめると、一番小柄な子から順に前へ呼んだ。
「いい? しっかりつかんでね」
子どもがこくこく頷く。リアナが支えながら背中の鞍へ乗せると、ラプティは嬉しそうに首を上げた。
「ケー!」
「まだよ。ゆっくり――」
リアナが言い切る前に、ラプティは背中の子どもを乗せたまま、ぴょんぴょん跳ねながら歩き出した。
「きゃはは!」
乗っている子が声をあげて笑う。
「ケー! ケー!」
ラプティも負けじと楽しそうに鳴きながら、庭を回っていく。
「ちょっと、はしゃぎすぎよ!」
リアナが追いかけるが、顔そのものは笑っていた。
それを見たほかの子どもたちも大騒ぎだ。
「いいなあ!」
「次わたし!」
「ラプちゃんすごい!」
ぴょん、ぴょん、と弾むたびに、背中の子どもの笑い声が高くなる。ラプティは完全に遊び相手が増えた小さな子どもの顔をしていた。
「……楽しそうだね」
カケルが呟くと、エアリスがやわらかく笑う。
「どっちが遊んでもらってるのかわからないね」
「ほんとに」
二人で苦笑していると、今度は別の子たちがカケルのほうへ寄ってきた。
「こっちの子も見たい!」
「きれい!」
視線の先にいるのは、からしとみかんだ。
やわらかな黄色と橙の体色は、子どもたちにもわかりやすく映えるらしい。
「かわいい!」
「しっぽ太い!」
「なでなでしていい?」
一人の子が聞くと、カケルはやわらかく笑って首を振った。
「ごめんね。この子たちは見るだけ。びっくりするとしっぽが切れちゃうことがあるんだ」
「……それは可哀そう……」
子どもはすぐに手を引っ込めた。
「でしょ。だから、見るだけでお願い」
そう言うと、子どもたちは不満がることもなく、またわいわいと覗き込んだ。
その様子を見ていた別の子が、ふとワサビ君を見上げる。
「ワサビ君、かくれんぼして!」
カケルは少し笑った。
「ワサビ君、お願い」
ワサビ君はカケルの肩の上でゆっくりと目を動かしたあと、【隠密】で姿を消した。
「ワサビ君、どこだ!」
「ぜったいにみつけるぞ!」
子どもたちがいっせいにあたりを見回す。
「こっちじゃない!」
「いたと思ったのに!」
声が飛び交うなか、ターニャがふっと上を指さした。
「あっ、いた!」
すぐ近くの枝の影に、ワサビ君が何事もなかったようにとまっている。
「ほんとだ!」
「またいた!」
子どもたちがそちらへ駆け寄ろうとすると、ワサビ君はまたゆっくりと別の枝へ移る。見つけたと思えば、もう少しずれた場所にいる。そのたびに歓声が上がった。
少し遅れて院長先生も姿を見せた。
「まあ……賑やかですね」
「ご無沙汰しています」
カケルが頭を下げると、院長先生はほっとしたように微笑んだ。
「また来てくださって嬉しいです。みんな、ずっと楽しみにしていたんですよ」
視線の先では、二人目を乗せたラプティがまた元気よく「ケー!」と鳴いている。
「楽しみにしていたのは、たぶん僕たちよりあの子たちですね」
エアリスがさらりと言うと、院長先生もつられるように笑った。
エアリスは子どもに呼ばれればすぐにそちらへ行き、無理なく自然に相手をしていた。誰かが見てほしそうにすれば視線を合わせ、質問にはやさしく答える。
ほっぺはそんなあいだも当然のようにエアリスの肩にとまったままで、子どもたちはむしろその様子ごと楽しそうに見上げていた。
しばらくして、ようやくラプティの背中交代がひと段落すると、子どもたちは今度はシルバーの近くに集まり、誰かがワサビ君を見上げ、また別の子がピー太郎たちを追いかける。
リアナはその輪の中で、自然に「順番よ」「走らないの」と声をかけていた。
前なら少し力みそうな場面でも、今は肩の力が抜けている。子どもたちの輪の中に、もうすっかり馴染んでいた。
穏やかな時間は、思っていたよりあっという間だった。
帰るころには日もだいぶ傾いていて、子どもたちは名残惜しそうにしながらも、また来てねと何度も手を振ってくれた。
「またね!」
「ラプちゃんも来てね!」
「ケー!」
最後までラプティは楽しそうだった。
孤児院を離れてしばらく歩いたところで、ようやく賑やかさが落ち着く。
夕方の街道は少しだけ風が涼しかった。
少し歩いてから、カケルが思い出したようにエアリスを見る。
「そういえば、あの陣の件はどうなりました?」
エアリスは目線を前に向けたまま答えた。
「この間話したもう一つの陣でも、新しいことはわからなかったようだ」
「そうですか」
今日のような穏やかな時間が、できるだけ長く続けばいい。そんな思いだけが、しばらく静かに胸の中へ残った。
前を歩くラプティが、まだ子どもたちのことを思い出しているのか、機嫌よさそうに小さく鳴く。
「ケー」
リアナが呆れたように息をついた。
「まだ楽しかった余韻が残ってるのね」
「ラプティ、かなり満足そうだったね」
「ええ。また行きましょうね、ラプティ」
「ケー!」
返事のように鳴くラプティに、三人は思わず笑った。こういう日があるのも悪くない。
カケルは肩の上のワサビ君をちらりと見上げる。ワサビ君は相変わらず自分のペースで、街道脇の木と空とをゆっくり眺めていた。
穏やかな帰り道だった。
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