第87話 初めての評価
辺境伯邸では、応接室へ通された。
正面には辺境伯がいる。その背後には、今日もヴィクトールが苛立たしげに立っていた。
だが、それだけではない。
見慣れない女が一人。その少し後ろに、同じく見覚えのない男が控えている。
女は、辺境伯に近い空気をまとっていた。言われなくても血縁者だとわかる。
冷えた刃物のような圧があり、向けられた眼光だけで、リアナの肩がぴくりと強張る。
男のほうは無駄なく背筋を伸ばし、半歩引いて立っていた。女を立てるような位置取りのまま、こちらを静かに見ている。
カケルが小さく息を整えた時、辺境伯が口を開いた。
「長女ヴェロワと次男ルドルフだ。普段は王命で留守にしている。昨日戻ったので同席させた」
「はい」
カケルが頭を下げる。隣でリアナも慌ててそれに続いた。リアナの指先がわずかにこわばるのが見える。
辺境伯はリアナを見て、短く告げた。
「リアナの召喚獣が増えたと聞いた」
その後ろで、ヴィクトールの眉と口元がわずかに動いた。
長女の視線が、まっすぐカケルへ向く。
「お前の噂も聞いている。私はそちらのほうが見てみたい。すべて召喚せよ」
声音は低く、平坦だった。けれど拒む余地はない。
「水辺の召喚獣は出せませんが、それ以外なら……ただ、ここでは少し狭いかと」
カケルがそう答えると、長女は短く頷いた。
「そうか。なら外へ行くぞ」
それだけ言って、さっさと踵を返す。次男も何も言わず、それに続いた。
中庭へ移るまでの間も、リアナはほとんど息をつめたままだった。
邸の奥にある石敷きの広い中庭は、召喚獣を呼び出しても十分な広さがあった。辺境伯が中央寄りに立ち、長女と次男はその少し前方に位置取る。
ヴィクトールは変わらず辺境伯の背後だった。
長女が顎を引く。
「やれ」
カケルは息を整える。
「はい」
カケルは家族たちを順に呼び出していく。
茶渋。
ワサビ君。
ほっぺ。
ピー太郎たち。
キョロとチョロ。
イガとグリ。
じったん。
次々と現れる召喚獣たちを見て、次男がわずかに目を細めて言った。
「何体……いるのだ?」
数だけではなく、並びや距離まで見ている目だった。
沈黙の中、長女は一体一体をじっくり見ている。数を、種類を、気配を。
連携の前提になる並びまで、まとめて見ているようだった。
やがて、その口が開く。
「……異常だな、お前」
次男がすぐに口を挟んだ。
「姉上、“異常”は評価として誤解を招きます。規格外と表現すべきかと」
「同じだろう」
長女は一蹴した。
辺境伯は現れた家族たちを一巡見渡し、ようやく一言だけ落とす。
「……また増やしたか」
カケルは苦笑もできず、小さく頭を下げるしかなかった。
「ありがとうございます……で、いいんでしょうか」
その答えに、次男の口元がほんの少しだけ動く。だが長女は特に気にした様子もなく、視線をリアナへ移した。
それだけで、リアナの背がすっと伸びる。
逃げない。けれど、怖くないわけでもない。
その眼光をまともに受けて、リアナは一瞬だけ息を止めた。召喚しようとした手も、ほんのわずかに止まる。
それでも、逃げずにラプティを呼び出した。
「……アイアンラプトルです」
ラプティはそんな空気も気にせず、きょろりと首を動かした。
長女はしばらく無言でラプティを見た。
ラプティだけではない。その横にいるシルバーも、二体の距離感も見ているようだった
次男もまた、長女の視線の先を追っている。口は開かないが、見ているものは同じらしかった。
長い、と思うほどの沈黙のあと、長女が初めてわずかに口元を動かす。
「ほう」
リアナの肩がさらに強張る。長女はラプティから視線を外さずに言った。
「追い込み、狩るのか……シルバーウルフとの相性も良さそうだ」
リアナが目を見開く。
「遅咲きだったのだな、お前は」
その言葉に、長女の口元だけがほんのわずかに動いた。笑ったと呼ぶにはあまりにも薄い。
けれど、見た結果に納得したような、かすかな変化だった。
それでも、リアナはすぐに返事ができなかった。
口を開きかけて、閉じる。喉がうまく動かない。
今まで、こういうふうに言われたことがなかった。
役立たず。
恥さらし。
そんな言葉なら、いくらでも知っている。
けれど今のこれは違う。上からの、観察の末の評価だった。
リアナはようやく絞り出すように声を出した。
「……ありがとう、ございます」
言い慣れない言葉みたいに、少しだけぎこちなかった。
次男が静かに妹を見る。その視線に、軽蔑はない。
ただ、長女の評価を受けた相手として、改めて見定めるような静かな目だった。
辺境伯はそのやり取りを黙って見ていたが、やがて一つうなずいて短く告げた。
「よい。下がって構わん」
「はい、失礼いたします」
カケルが答え、リアナも慌てて頭を下げる。
中庭を離れ、建物の陰へ入ったところで、ようやくリアナが息を吐いた。胸の奥に溜まっていたものが、一気に抜けていくみたいだった。
カケルがそっと様子をうかがう。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃないわ」
そう言いながらも、声は震えていなかった。
「怖かった……」
「うん」
「でも……」
リアナは少しだけ言葉を探したあと、ラプティとシルバーを見る。
「ちゃんと、見てもらえた気がしたわ」
その顔は、まだ戸惑っていた。すぐに喜べるほど器用ではない。
けれど、何かが確かに残っている顔だった。カケルはそれ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。
一方、中庭にはまだ重い沈黙が残っていた。
長女はしばらく、ラプティの去った方を見たまま動かなかった。
そのあとで、ぽつりと呟く。
「……リアナが、父上と同系統の召喚獣を呼ぶとは」
次男は何も言わない。ただ、その言葉の重さをわかっている顔で静かに立っている。
辺境伯はしばらく黙っていた。それから、低く短く言った。
「……あれも、アルシュタインの血であるということだ」
長女は何も返さなかった。だが、否定もしない。
辺境伯もまた、それ以上は何も言わなかった。
認める言葉は、それで十分だった。




