第82話 森の中で
依頼を受ける日が続いたぶん、その日は珍しく、二人でしっかり休むことにしていた。朝から出歩く予定もなく、借家の中にはのんびりした空気が流れている。
「せっかくだし、今日はちゃんと料理したいわ」
窓辺で腕を組んだリアナが、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「最近、簡単なものばっかりだったもの。たまにはおいしいもの食べたいじゃない」
「いいね。俺もそう思う」
卓の上で乾いた豆を選り分けながら、カケルが頷く。
「何作るの?」
「まだ決めてないけど、お肉はほしいわね。あと野菜も。香草があれば、少しそれっぽくなるし」
「それっぽくって」
「雰囲気も大事なのよ」
胸を張るリアナに、カケルは小さく笑った。
「じゃあ、買い出しが必要かな?」
「ええ。市場を見て決めるわ」
立ち上がったリアナに、カケルも顔を上げる。
「俺も行こうか?」
「師匠は休んでて。市場に行くだけだもの。シルバーもいるし、大丈夫よ」
「……わかった。気をつけてね」
「任せなさい」
シルバーを連れて、リアナは軽い足取りで借家を出ていった。
市場へ向かう通りは、昼前の陽気でほどよく賑わっていた。
パンを焼く匂い。
荷車の軋む音。
呼び込みの声。
リアナは露店を眺めながら、頭の中で献立を組み立てる。
肉を買うなら、香辛料も少しほしい。それに、今日は焼くだけじゃなく、ちゃんと煮込みでもいいかもしれない。
そんなふうに考えながら角を曲がった時、小さな泣き声が耳に入った。
リアナは足を止める。
通りの端、建物の影になるあたりで、五つくらいの男の子がしゃがみ込んでいた。両手で目元をこすっている。
「ちょっと、どうしたの?」
声をかけると、男の子はびくっと肩を震わせた。涙で濡れた顔を上げ、目の前のリアナとシルバーを見て、さらに少し固まる。
「……だ、だいじょうぶ」
「大丈夫な子は、そんな顔しないわ」
しゃがみ込んで目線を合わせると、男の子はしばらく唇を引き結んでいた。けれど、やがてぽつりとこぼす。
「おかあさんの、おたんじょうび、なの」
「誕生日?」
男の子はこくりと頷いた。
「おかあさん、ルベルの花がすきで……」
「ルベルの花?」
「前に、おかあさんといっしょに森のはずれでつんだの。だから、またあげたくて……」
そこまで言って、また目に涙がにじむ。
「おじさんも、おばさんも、みんないそがしくて……だれもいっしょに行ってくれないの……」
リアナは少しだけ黙った。男の子はぐず、と鼻を鳴らす。
「キミ、名前は?」
「ぼく、レオ」
「レオね」
リアナは少し考え、それから立ち上がった。
「その花の場所、遠いの?」
「そんなに、とおくない。すぐつく」
「……じゃあ、私が一緒に行ってあげる」
レオの目がぱっと開く。
「ほんと?」
「ほんとよ。ただし、私から離れないこと。勝手に走らないこと。いい?」
「うん!」
さっきまで泣いていたのが嘘みたいに、レオは勢いよく頷いた。リアナは小さく息をつき、シルバーの頭を軽く撫でる。
「ちょっと寄り道になっちゃうけど、付き合ってくれるわよね」
シルバーは静かに目を細めた。
森のはずれまでは、歩いてそれほどかからなかった。
道はある程度踏み固められていて、木々もまだそこまで密ではない。
これなら、すぐ済ませて戻れば大丈夫。リアナはそう判断して、レオを振り返った。
「ルベルの花って、どんなの?」
「ちいさくて、まるくて、いっぱい咲いてるやつ!」
「……ふわっとしてるわね」
「でも、みたらわかるよ!」
その言葉どおり、しばらく進んだ先の斜面に、赤い小花が群れて咲いていた。
「これ!」
レオが嬉しそうに駆け寄ろうとして、リアナは慌てて腕を伸ばす。
「こら、勝手に走らない」
「ご、ごめんなさい……」
「もう。ほんとに気をつけてよね」
そう言いながらも、見つけられたことに少しほっとする。レオは斜面の端にしゃがみ込み、小さな手でルベルの花を何本か丁寧に摘み始めた。
「おかあさん、よろこぶかな」
「喜ぶんじゃない?」
「ほんと?」
「こんなに頑張ったんだもの。きっと喜ぶわよ」
えへへ、と笑うレオに、リアナもつられて少し笑った。
「よし。摘めたなら戻るわよ」
「うん!」
レオが花をぎゅっと抱えた、その時だった。
がさり、と草が揺れた。
一つではない。二つでもない。
斜面の下、木の陰、少し離れた茂み。あちこちで草木がざわつく。
リアナの表情が変わる。
「レオ、こっち」
反射的に手を引き寄せた、次の瞬間だった。草むらを割って飛び出してきたのは、細身の狐型魔獣だった。
低く構えた四肢。灰褐色の毛並み。鋭い目が、木々の隙間からこちらを狙っている。
一体、二体、三体。数える間もなく、さらに影が増える。
「……フォレストフォックス」
リアナは低く呟いた。
「ランク自体はE……でも、八体はまずいわね」
ホーンラビットより一回り大きい。しかも、ただ突っ込んでくる気配ではなかった。
左右に散り、隙を探るようにじりじりと間合いを詰めてくる。
そこでようやく、リアナは思い出す。
最近は低ランク魔獣でも油断するな、と言われていたこと。以前より好戦的になっている個体がいること。
単体なら脅威ではなくても、群れで来れば話は変わること。
しかも今は、レオを守らなければならない。
「レオ、こっち!」
近くにあった大きな木の根元へ、リアナはレオを引っ張った。幹の側面に、子どもが一人入り込めるくらいのうろがある。
「この中に入って」
「で、でも――」
「いいから、早く!」
リアナの声に押されるように、レオがうろへ身を滑り込ませる。震えた目が、すぐ目の前のリアナを見上げた。
「ぜったい、出てこないで。何があってもよ」
「……う、うん」
それを確認してから、リアナは立ち上がった。
木のうろの前に立つ。背中のすぐ後ろに、守るものがある。
その感覚が、いつもよりずっと重い。
「シルバー」
低く呼ぶと、銀の狼が一歩前へ出た。
フォレストフォックスたちは、唸るような低い声を漏らしながら、じりじりと間合いを詰めてくる。
すぐには飛びかからない。そのくせ、目を離した方角から回り込もうとする。
明らかに、ホーンラビットとは厄介さが違った。
リアナは息を吸った。
「シルバー、【咆哮】!」
森の空気を揺らす咆哮が響く。先頭の数体がびくりと体を止めた。
「【神速】!」
銀の影が弾ける。次の瞬間には、前にいた一体の喉元が裂けていた。
けれど、それで終わらない。
右へ二体。
左へ一体。
さらに後ろへ回ろうとする影がある。
「右! 【裂爪】!」
シルバーの爪が閃き、飛びかかった一体を切り裂く。だが、その間にも別の個体が低く身を沈め、木のうろの側へ回ろうとする。
多い。しかも速い。
ただ数が多いだけではない。動きがばらけているせいで、シルバー一体では抑え切れない。
リアナは歯を食いしばった。その瞬間、ふと頭をよぎる。
いつもなら、こんなふうにはならない。
ピー太郎たちが先に見つける。
ほっぺが呼び寄せる。
キョロとチョロが足を止める。
師匠が全体を見て、どこに誰を動かすか決めてくれる。
師匠に頼り切っていたのだと、リアナはその時はじめて痛感した。
「っ……!」
左から飛びかかってきた一体を、リアナは身を捻って避けた。シルバーがすぐに噛み砕く。
だが、その間に別の二体がうろのほうへ回ろうとする。
「そっちは駄目!」
リアナが前へ出る。靴裏が土を削る。
「シルバー、左! 【神速】!」
銀の毛並みがぶれるほどの速さで駆け、回り込もうとした一体を弾き飛ばす。けれど、その背後でもう一体が跳ねた。
レオが、うろの中で小さく息を呑む気配がする。
「……っ」
守りきれない。そんな考えが、頭の片隅を掠める。
違う、とリアナは歯を食いしばった。まだ、下がれない。
「シルバー、【咆哮】!」
再び轟く声に、フォレストフォックスたちの動きがわずかに止まる。
だが、一瞬だ。
ひるんだ隙を埋めるように、別の個体が草を蹴る。
前から二体。
右から一体。
後ろへ回ろうとする影もある。
じわじわと押されている。
シルバーは強い。一体ずつなら問題なく倒せる。
けれど今は、ただ倒せばいい戦いではない。
木のうろの前を、抜かせるわけにはいかなかった。
リアナは一歩も引かず、シルバーへ次の指示を飛ばす。
「右! 次は正面! 【裂爪】!」
シルバーの爪がまた一体を裂く。だが、その脇で別の一体が木のうろの前へ回り込もうとした。
「っ……!」
リアナが身体を差し出すように前へ出る。
その瞬間、胸の奥がひどくざわついた。今まででいちばん強い。どくん、と脈とは別のものが内側で鳴ったような気がした。
息が詰まりそうな感覚を覚える。
目の前では、また一体が跳ねた。シルバーがそちらへ飛ぶ。
だが、その間にも横から二体。
間に合わない。
それでも、リアナは前へ出た。
「師匠っ。シルバーーーー!!」
その瞬間、あふれた光が森の中を白く染めた。
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