第81話 積み重ねの先へ
それからの一カ月あまり、カケルたちは地道に依頼をこなしていた。
朝のギルドは、今日も依頼票を見比べる冒険者たちで賑わっている。掲示板の前で、リアナが紙を見比べた。
「午前は畑荒らしの討伐、午後は街道沿いの見回り補助。これなら二件いけそうね」
「うん、よさそうだね」
カケルは依頼票を覗き込み、それからリアナを見る。
「まだ、たまに違和感あるみたいだし、無理はしないでね」
「わかってるわよ。そんなに何度も言わなくても大丈夫」
そう返す声はいつも通りだった。二人は受付で依頼票を渡し、街の外へ向かった。
最初の依頼は、畑を荒らすニードルボアの討伐だった。目的の畑へ着くと、カケルはすぐに家族たちへ声をかける。
「ピー太郎たち、【索敵】お願い。 キョロ、チョロは先に【蜘蛛の糸】を。畑の端、あの草の陰がよさそうだね」
家族たちが散る。少しして、頭の中にナビゲーターの声が響いた。
『対象:ニードルボアの反応を捕捉しました。前方の畑沿い、個体数は二、ランクはDです』
「いたね。リアナさん、正面から来るよ」
「ええ。シルバー、準備して」
土を抉りながら現れた二体のニードルボアは、背に短い棘を並べた猪型の魔獣だった。畝を踏み荒らしながら、真っ直ぐ突っ込んでくる。
「茶渋、【威圧】」
茶渋が前へ出る。ぴんと張った空気に、一体の足がわずかに鈍った。
その横を抜けようとしたもう一体は、草の陰に張られていた【蜘蛛の糸】に足を取られ、大きく体勢を崩す。
「今よ、シルバー!」
銀色の影が地を蹴った。
まずは糸にかかった一体へ飛びかかり、そのまま押し倒す。すぐに向きを変え、もう一体へ詰める。
勢いを削がれたニードルボアは茶渋の前を抜けようとしたが、その隙をシルバーは逃がさなかった。短く鋭い一撃で決着がつく。
畑に静けさが戻ると、リアナが息を吐いた。
「今のはきれいに決まったわね」
「うん。最初に動きを崩せると大きいね」
「キョロとチョロも、ちゃんといいところに張れるようになってきたわ」
「そうだね」
そうした依頼を積み重ねながら、時には街道沿いの見回り補助もこなした。
荷馬車の通る道に魔獣が近づいていないか確かめ、必要なら追い払う。討伐そのものより、早めの発見と対処が重視される依頼だ。
ほっぺの【呼び寄せ】で林際からフォレストウルフを引き出し、キョロとチョロの【蜘蛛の糸】で足を止め、茶渋が進路を切る。そこへリアナがシルバーを合わせ、短い時間で仕留めていく。
派手ではないが、確実に積み重なる日々だった。
その合間には、騎士隊からの協力要請にも応じた。
こちらはギルドの依頼とは別で、森の外縁や街道周辺の巡回に同行し、召喚獣の索敵や機動力を活かして補助するものだった。
騎士隊と合流したある日、カケルはグリの背に乗って森沿いの道を進んでいた。イガはその少し後ろで荷を運んでいる。
「この先、道が狭いね。リアナさん、少しだけ間を空けようか」
「わかったわ」
「ピー太郎たち、前方広めに【索敵】お願い」
しばらく進んだところで、ナビゲーターが告げた。
『対象:ロックリザードの反応を捕捉しました。前方斜面下、個体数は二、ランクはDです』
その直後、グリの背にいたワサビ君の体色が強く変わる。【警戒色】だった。
「下ね」
「うん。ほっぺ、【呼び寄せ】」
「ピーーーーーイ!」
鋭い呼び鳴きが斜面へ響く。岩陰に潜んでいた二体のロックリザードが、音に引かれて飛び出してきた。
「シルバー、【咆哮】!」
リアナの声とともに、シルバーが鋭く吠える。空気が震え、二体の動きがわずかに止まった。
「ワサビ君、【舌撃】で仕留めて!」
ワサビ君の舌が、まっすぐに伸びる。騎乗したままとは思えない正確さで、一体の急所を射抜いた。
地に落ちた相手へ茶渋が飛びかかる。もう一体は体勢を立て直そうとしたが、その前へシルバーが回り込んだ。
「ワサビ君、もう一体もお願い」
二度目の【舌撃】が突き刺さる。短い応酬のあと、斜面下は静かになった。
騎士の一人が息をつく。
「相変わらず、見つけるのも止めるのも早いな」
「ありがとうございます」
「こちらとしても助かる。巡回は、気づくのが遅れると面倒だからな」
カケルは小さく頷いた。
自分で武器を取って戦うことはない。けれど、家族たちとリアナが動きやすい形を作ることならできる。
用水路脇の依頼では、ベタたちの【水中索敵】と金魚たちの【水流感知】が役に立った。
泥地では二匹のヴァンパイアクラブが【泥地歩行】で回り込み、【挟撃】で進路を切る。そこへ【隠密】で姿を消していたワサビ君が巨大化し、モグラ型の魔獣、マッドモールを丸ごと呑み込んだこともある。
ただ、その一方で、カケルの頭から離れないこともあった。
リアナの違和感だ。
前から続いている、胸の奥のざわつき。魔力がほんの少し揺れるような、説明しづらい感覚。
最初は忘れた頃に、ふと来るだけだった。けれど、一カ月が過ぎるころには、その「忘れた頃」が少しずつ短くなっていた。
その日も、借家へ戻って片づけをしていた時だった。水を汲もうとしたリアナの手が、ふと止まる。
カケルはすぐに気づいた。
「……また?」
リアナは少しだけ眉を寄せ、それから頷く。
「ええ。でも、一瞬よ」
「痛みはない?」
「ないわ。苦しいわけでもないし、気分が悪いわけでもないの。ただ、胸の奥がざわっとするだけ」
前と同じ答えだった。
「そんなに構えなくても大丈夫よ。ほら、ちゃんと動けてるでしょう?」
「それはそうだけど……」
「ほんとにちょっとだけなのよ」
そう言いながらも、視線は少し落ち着かない。
カケルは椅子を引いた。
「とりあえず座ろうか」
「……うん」
素直に腰を下ろしたリアナを見て、カケルも向かいへ座る。少しの沈黙のあと、リアナがぽつりとこぼした。
「……回数は増えてる気がするのよね」
カケルも同じことを思っていた。一回一回は短い。けれど、前より間隔は確実に狭い。
「一度、治療院で見てもらおうか」
「治療院?」
「うん。何でもなければ、そのほうが安心できるしね」
リアナは少し考え、それから肩をすくめた。
「……そうね。行くだけ行ってみるわ」
翌日、二人は治療院を訪れた。
診てくれたのは年配の治療師だった。脈を取り、呼吸を確かめ、ひと通り様子を見る。
やがて治療師は顔を上げた。
「少なくとも、今の時点で異常は見当たりませんね」
リアナが目を瞬かせる。
「本当に?」
「ええ。疲れが全くないとは言いませんが、病気や怪我の兆候はありません」
それを聞いて、カケルは少し息をついた。ただ、引っかかりが消えたわけではない。
「じゃあ、この違和感は……」
「今すぐどうこうという感じではなさそうです。ただ、頻度が増えたり、他に気になることが出たら、また来てください」
治療院を出ると、昼の光は明るかった。
リアナは通りを歩きながら、少しだけ頬を膨らませる。
「ほら、やっぱり大丈夫だったじゃない」
「うん。それはよかった」
「でも、原因はわからないのよね」
「そうだね」
「変な感じ」
怯えているというより、落ち着かないだけ。
そんな声だった。
その夜、リアナが先に休んだあと、カケルは机に向かった。辺境伯への定期報告を書くためだ。
書き終えかけたところで、カケルのペン先が止まった。
少し迷ってから、最後に一文を書き添える。
『最近、リアナさんがときおり胸の奥にざわつくような、魔力の揺れのような違和感を覚えることがあるようです。
痛みや体調不良はなく、治療院でも異常は見当たりませんでした。
ただ、頻度が少しずつ増えているように思えるため、念のため報告いたします。』
書き終えると、カケルはそれを静かに読み返した。余計なことまで知らせているのではないかという思いも、少しだけある。
けれど、辺境伯とはもともと、リアナの様子を定期的に報告する約束になっている。ならば、こういうことこそ伏せるべきではない。
カケルは便箋を折り、封をした。
────
それからも依頼は続いた。
止まっているわけにはいかない。次の家族へ届くには、まだ積み重ねが足りないのだから。
数日後、依頼を終えて借家へ戻ったあとだった。食卓についたまま、リアナがふと息を吐く。
「師匠」
「ん?」
「次、もう少し上の依頼も混ぜましょう」
カケルは顔を上げた。
「急だね」
「じっと気にしててもしょうがないもの。それに、このままだと次の解放まで遠いわ」
その声は、無理に強がっているようには聞こえなかった。不安を抱えたままでも、前へ進むと決めた声だった。
カケルは少し考えてから頷く。
「そうだね。ギルドの依頼は、少しずつCランクも混ぜていこうか」
「本当?」
「うん。でも、騎士隊の協力要請と重なる日は詰め込みすぎない。それは守ろうね」
リアナは一拍だけ黙って、それから口元を緩めた。
「……わかったわ。それなら文句はない」
「よかった」
「じゃあ、明日は私が先に掲示板を見るから」
「また競争するつもり?」
「当然でしょう?」
少し勝ち気な笑い方が戻る。カケルもつられて口元を緩めた。
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