第80話 静かな午後の報せ
孤児院の件がひとまず片づいてから、借家には少しだけ穏やかな空気が戻っていた。
もちろん、すべてが元通りになったわけではない。
ターニャたちはちゃんと食べているだろうか。新しい職員には慣れただろうか。
リアナはときおり、そんなことを思い出したように口にしていたし、カケルもまた、気にしていないわけではなかった。それでも今は、胸の奥に引っかかっていたものを、少しだけ下ろせている。
昼下がりの居間には、家族たちの気配がゆるやかに広がっていた。
窓際ではワサビ君がのんびりと日向ぼっこをし、ほっぺは止まり木の上で羽づくろいをしている。茶渋は床に丸くなり、シルバーはその少し先で伏せていた。
テーブルの端に肘をつきながら、カケルがふと思い出したように口を開く。
「そういえば」
向かいで干した薬草を束ねていたリアナが顔を上げた。
「何?」
「次の解放枠って、どのくらい先なんだろうと思って」
「次の家族?」
「うん」
アースマンモスと対峙して以来、強い魔獣とぶつかるような依頼は入っていない。
何となく気になって、カケルは意識を内側へ向けた。
「ナビゲーター、次の解放枠はレベルいくつだ?」
頭の中に、淡々とした声が返った。
『次の解放枠は、召喚士レベル16です』
「16か」
思っていたより、まだ少し先だ。
「今はいくつなの?」
「13のままみたいだ」
リアナが軽く目を瞬いた。
「上がってないのね」
「最近は強い魔獣と戦うこともなかったから。ほとんどレベルは上がってないね」
「じゃあ、次の家族はまだ先なのね」
「そうだね。少なくとも、すぐって感じではなさそう」
そう言ったときだった。向かいにいたリアナが、ふいに眉を寄せる。
「……あれ」
「どうした?」
「え?」
聞き返された本人も、少し戸惑ったような顔をした。
「今、ちょっと……変な感じがしたの」
「変?」
リアナは胸元にそっと手を当てる。
「痛いとかじゃないのよ。ただ、胸の奥がざわっとしたっていうか……魔力が、ちょっと変に揺れたような」
カケルは思わず姿勢を正した。
「大丈夫?」
「うん、もうおさまったわ」
そう言ってみせる顔色は悪くない。苦しそうでもなければ、額に汗が浮いているわけでもない。
「疲れてるとか?」
「どうかしら。でも、体調が悪い感じじゃないのよね」
リアナは自分でも納得がいかないらしく、少し首を傾げた。
「何かしら、今の……」
シルバーがゆっくりと顔を上げ、リアナのほうを見る。その視線に気づいて、リアナは小さく笑った。
「そんな顔しなくても大丈夫よ」
そう言ってシルバーの首元を撫でると、白銀の毛並みがやわらかく揺れた。
カケルも少しだけ気になったが、今のところはそれ以上どうこう言える材料がない。無理をさせないように見ておくしかないだろう。
「いろいろあったから、疲れたのかもね」
「そうね。……でも、平気よ」
言いながらも、リアナはどこか釈然としない顔をしていた。
そのとき、玄関のほうで戸を叩く音がした。
「こんにちは。いるかい?」
聞き慣れた声に、リアナとカケルが顔を見合わせる。
「エアリスさんだ」
カケルが立ち上がって迎えに行くと、扉の向こうにはエアリスがいつもの穏やかな顔で立っていた。
「悪いね、急に」
「いえ。どうぞ」
リアナも立ち上がって軽く頭を下げた。
「こんにちは、エアリス」
「こんにちは、リアナ」
エアリスは椅子を勧められるまま腰を下ろすと、すぐに本題を切り出すでもなく、いったんほっぺの頭を軽く撫でた。
「ホッペチャン! オハヨウ!」
「うん、元気そうで何よりだ」
そのやり取りに少しだけ空気がやわらいだあとで、エアリスは二人へ視線を向けた。
「少し、耳に入れておこうと思ってね」
その言い方に、さっきまでの穏やかな日常がほんの少しだけ遠のいた気がした。
カケルは自然と背筋を伸ばす。
「例の不審な陣を描いていた粉の鑑定結果が出たよ。あれは、魔石を砕いたものだった」
一瞬、部屋の空気が止まった気がした。
「魔石……?」
リアナが小さく繰り返す。
「現場にあった魔獣の死体は、どれも魔石だけが抜かれていたよね」
「ええ」
あのときの光景が、リアナの脳裏にもすぐによみがえった。
積み上がる魔獣の死体。そして、魔石だけが抜かれていたこと。
「状況から見て、陣に使われた粉は、あの魔獣たちの魔石を砕いて作った可能性が高いそうだ」
カケルはゆっくりと息を吐いた。
「……気味が悪いですね」
「そうだね」
エアリスの声は落ち着いていたが、その目は少しだけ硬い。
「それと、似た痕跡がもう一件見つかった」
「もう一件?」
「今度は森じゃない。離れた別の領の平原だ」
リアナとカケルが同時に顔を上げる。
「前回の件は国王にも知らせてあったからね。その流れで、こちらにも報告が来たらしい」
エアリスはそこで、少しだけ声を落とした。
「少なくとも、辺境伯領の中だけで起きている話ではなさそうだ」
リアナとカケルは、しばらく言葉を返せなかった。
「閣下は何て?」
やがてカケルがそう尋ねると、エアリスは肩をすくめた。
「今はまだ、調査を続けるしかないという判断だよ。こちらも、すぐにどうこうできる段階じゃない」
「そうよね……」
リアナが小さく呟く。エアリスはそんな二人を見て、声を少しだけやわらげた。
「君たちには協力してもらったし、耳に入れておこうと思ってね」
カケルは黙って頷いた。
「今すぐ君たちが何かをする必要はない」
エアリスはそう言ってから、ふとリアナの顔を見た。
「リアナ、少し表情が固いね。大丈夫かい?」
「え?」
急に話を振られて、リアナは瞬きをした。
「いえ……平気よ」
少しだけ間があいたのを、エアリスは見逃さなかったらしい。
「本当に?」
リアナは一瞬だけ迷ってから、小さく息をついた。
「さっき、少しだけ変な感じがしたの。胸の奥がざわっとして、魔力が揺れたみたいな」
エアリスの目がわずかに細くなる。
「今も?」
「ううん、今は大丈夫」
「ふむ……体調が悪いわけではないんだね?」
「ええ。それは本当に違うと思う」
「なら、しばらく気にしておいたほうがいいかもしれない」
その言葉に、リアナは少しだけ居住まいを正す。
「何かあると思う?」
「わからない」
エアリスははっきりそう言った。
「だからこそ、変に決めつけないほうがいい。ただ、その違和感は覚えておいたほうがいいだろう」
リアナは黙って頷いた。
居間にはしばらく、家族たちの小さな気配だけが流れた。
ほっぺが羽を鳴らし、ワサビ君がのんびりと瞬きをする。茶渋は丸くなったまま、動かない。
やがてエアリスは立ち上がった。
「今日はこれを伝えに来ただけだ。君たちは君たちで、しばらくは普段通り過ごしていてほしい」
「わかりました」
カケルが答える。リアナも続けて頷いた。
「何かわかったら、また知らせるよ」
そう言い残して、エアリスは帰っていった。扉が閉まったあと、借家の中に少しだけ静けさが戻る。
その静けさを裂くように、ほっぺがエアリスを求めて甲高く鳴いた。
「ピーーーーーイ! ピーーーーーーーーイ!」
ただの呼び鳴きのはずなのに、今はその声が妙に耳に残った。
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