第72話 港町マルシェル
朝食のあと、リアナがふいに顔を上げた。
「最近師匠の魚たち見ていたら、新鮮な魚介類食べたくなっちゃった。……ねえ、港町行きましょう!」
カケルは湯気の立つ茶を口元まで運びかけたまま止まった。
「ベタや金魚見て魚食べたくなるって……」
「なるでしょ普通」
「いや、普通ではないと思うよ」
そう返しながらも、カケルは少しだけ考える。魚介類。港町。事件続きだったここしばらくを思えば、気分転換としては悪くない。
「でも……魚介類か。久しぶりに食べたいかも」
「でしょ!」
リアナはぱっと表情を明るくした。
「じゃあ決まり! 今日は港町よ!」
そんなわけで、その日のうちに二人はイガとグリにまたがり、港町マルシェルへ向かった。
街道を進むうち、風に混じる空気が少しずつ変わっていく。土と草のにおいに、どこか湿った塩気が混ざりはじめた。やがて、遠くに船の影が見えてくる。
「見えてきた!」
リアナが声を弾ませる。カケルも目を細めた。リスティアとはまた違う賑わいが、遠目にも分かる。白い壁の建物が並び、その向こうで帆柱がいくつも揺れていた。
港町マルシェルへ入ると、空気は一気に変わった。通りには人が多く、荷を運ぶ声や呼び込みの声があちこちから飛ぶ。
魚介を並べた露店だけでなく、貝殻細工や布小物を売る店まで並んでいて、歩いているだけでも目移りした。
「すごい活気だね」
「リスティアも賑やかだけど、こっちはもっとこう……勢いがある感じね」
リアナはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていく。足取りが明らかに軽い。その途中、露店の一つでふと立ち止まった。
細い紐に小さな貝殻をいくつも編み込んだ腕飾りや、色の違う貝を重ねた耳飾りが陽を受けて揺れている。
「こういうの、港町らしくていいわね」
リアナがひとつ手に取って、角度を変えながら眺めた。カケルも隣から覗き込む。磨かれた貝は思ったより柔らかい色をしていて、派手すぎずきれいだった。
「確かに。きれいだね。こういうのは、見てるだけでも楽しいよ」
リアナは満足そうに頷くと、名残惜しそうにしながらも飾りを台へ戻した。
露店をあとにして少し進むと、今度は焼いた貝の香ばしいにおいが漂ってくる。別の店先では氷の上に魚が並び、その隣では港町らしい保存のきく干物や、木彫りの小さな置物を並べた店も見えた。
「……あっちの店、干物や小物も置いてあるね。帰りに、エアリスさんにお土産でも買っていこうかな」
カケルがふと言うと、リアナは少し意外そうな顔をしたあと、すぐに口元を緩めた。
「いいんじゃない? あの人も喜ぶと思うわよ」
会話を交わしながら歩くうちに、市場の賑わいはさらに増していった。
「……だめ、もう限界」
リアナが真剣な顔で言った。
「とりあえず何か食べましょう。市場見てたら余計にお腹すいたわ」
「それはさっきから見てて分かってた」
二人は通り沿いの店へ入った。木の扉を開けると、外の賑わいより少し落ち着いた空気が迎える。けれど席はよく埋まっていて、港町らしく魚介料理の皿があちこちの卓に並んでいた。
席につくなり、リアナは慣れた様子でいくつか料理を頼んだ。
「昔来たときに入った店とは違うけど、この辺なら外れは少ないのよ」
「へえ。詳しいんだね」
「港町、好きだったのよ」
その言い方は軽かったが、カケルはそれ以上聞かなかった。しばらくして、料理が順に運ばれてきた。
香草をまぶした焼き魚。貝の煮込み。揚げた小魚。そして、その中に、薄く切られた生の白身魚を皿いっぱいに広げ、香草と油で整えた一皿があった。カケルは皿を見て少し目を瞬かせる。
「これ……」
リアナが待ってましたとばかりに胸を張る。
「私、昔ここで生魚を食べたことがあるのよ。おいしいから師匠も試して! ……安心して、生だからっておなか壊したりしないから」
カケルはその皿を見て、それからリアナを見た。
「ああ、生魚なら前世でよく食べてたよ」
「ええ!」
リアナの目が丸くなる。
「師匠の前世の世界って、おかしな場所なのね!」
「え?……なにがおかしいの?」
「だってそうでしょ。これ、港町だから食べられるのよ? こんな新鮮なままじゃ、内陸まで運べないんだから。もしかして、港町に住んでいたの?」
「こっちじゃ珍しいけど、前世ではどこでも食べられるようになっていたんだよ。だからちょっと懐かしいな」
リアナはしばらくじっとカケルを見ていたが、やがて頬を膨らませた。
「なんだ、驚かせようと思ったのに」
「でも、嬉しいよ。こっちでは珍しいんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど」
リアナは口を尖らせつつも、どこか満更でもなさそうだった。
カケルは皿に手を伸ばし、一切れ口に運ぶ。油と香草の風味の奥に、魚そのものの淡い甘みがあった。前世で食べたものとまったく同じではないが、生魚そのものの口当たりに懐かしさを感じた。
「おいしい」
さっきまで少ししょんぼりしていたリアナが、即座に勢いを取り戻した。
「でしょ!」
そう言ってから、リアナは皿の上へ目を落とした。
「昔、母様とここへ来たことがあるのよ。そのときに、初めて生魚を食べたの」
カケルは黙って続きを待つ。
「母様が、亡くなる前にね」
一瞬、卓の上が静かになった。カケルは優しい顔で、小さく頷いた。
「うん」
それ以上は何も言わなかった。足元で、茶渋がすり、とリアナの足に頭をこすりつける。リアナは目を丸くしてから、ふっと息をついた。
「……ありがと、茶渋」
それから、少しだけ口元を上げる。
「茶渋も食べてみる?」
茶渋は足元に体を寄せたまま、皿の方へ顔を向けた。リアナは少しだけ笑って、小さく切った身を差し出す。
「……はい、どうぞ」
茶渋はそれをぱくりと食べた。リアナが小さく笑う。
そのあとは他の料理にも手をつけながら、二人でのんびり食事を楽しんだ。焼き魚は身がふっくらしていて、貝の煮込みは思ったよりあっさりしている。
リアナは一皿ごとに感想を言い、カケルもそれに返しながら皿を空けていった。
店を出る頃には、陽はかなり傾いていた。港の方へ目をやると、昼とは少し違う色の光が水面に落ちている。
「今から帰るの、ちょっともったいないわね」
リアナが言う。
「朝の港も見てみたいし」
カケルも頷いた。
「うん。せっかくだし、泊まっていこうか」
「ほんと?」
リアナはぱっと顔を明るくした。
「よし、決まり! じゃあ宿を探しましょう!」
また軽い足取りで歩き出すその背を見て、カケルは少し笑った。
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