第66話 ぬかるみのにおい
街を出てしばらく進むと、道の両脇に広がる畑の色が濃くなっていった。
朝の光を受けた若葉が風に揺れ、その向こうでは水を含んだ土がやわらかく黒く光っている。遠目には、どこにでもある穏やかな農村の景色だった。
けれど、カケルの手の中には、昨日ギルドで受け取った依頼書がある。討伐ではなく、調査。
それだけに、何をどう見ればいいのかを最初から決めつけない方がいい。カケルは歩きながら、そう意識していた。
「まずは、見たままを拾っていくしかないね」
隣を歩くリアナが頷く。
「うん。相手が魔獣とも限らないしね」
「そうなんだよね。原因が分からない以上、決めつけないようにしたい」
村の入口で待っていたのは、依頼主だという四十代ほどの男だった。日に焼けた顔に疲れがにじんでいる。
「冒険者さんですか。来ていただいて助かります」
「カケルといいます。この子はリアナです」
「よろしくお願いします」
男は何度も頭を下げてから、落ち着かない様子で畑の奥を振り返った。
「まずは牛を見てもらえますか」
男はそこで一度言葉を切り、困り切ったように眉を下げた。
「今まで普通に飲んでいた水なのに、急に嫌がるようになってしまって……。おかげで、今は遠くの水場まで汲みに行ってるんです」
案内されて向かった先には、小さな家畜小屋と、その脇に掘られた水場があった。すぐ横には桶も並んでいる。水自体は、においも透明度も普通に見える。
だが、柵の向こうにいる牛は、水場へ引かれるたびに鼻を鳴らし、首を振って嫌がっていた。鼻先が水面へ近づくたび、すぐに顔を背けてしまう。
「前は、こんなことはなかったんですか?」
「ええ。ついこの前までは普通に。最初はこいつの機嫌かと思ったんですが、ほかの牛も同じでして」
男は困り切った顔で続けた。
「無理に飲ませようとしたら飲まないこともないんですが、明らかに嫌がるんです。落ち着かないし、鼻を鳴らしてばかりで」
リアナが水場を覗き込み、眉をひそめた。
「見た感じは普通ね」
カケルは水際にしゃがみ込み、しばらくそのまま水面を見つめた。風で細かな波が立ち、そのたびに朝日が白く反射する。
それでも、牛たちが揃って嫌がる以上、何もないとは言い切れない。
「少し見てみますね」
カケルはそう言って、静かに魚たちを呼び出した。
柔らかな光が水際へ広がり、魚たちが次々と姿を現す。水面に溶けるように散っていくその動きを見て、依頼主の男が息を呑んだ。
「おお! 召喚士さんだったのか……」
カケルは軽く頷くだけに留め、意識を水場へ向けた。
「金魚たちは、【水流感知】で水の流れを見てほしい。ベタたちは、【水中索敵】で水の中に何かいるか探ってみて」
先に散った金魚たちが、水底近くを巡りながら流れの筋をなぞっていく。続いてベタたちも浅い水場へ滑り込み、狭い水の中を探るように動き始めた。
少し遅れて、カケルの脳裏にナビゲーターの声が響いた。
『通知:水流の偏りを検知。周辺地形の影響とは異なる不自然な滞留箇所があります』
続けて、もう一つの声が届く。
『通知:周辺水中に敵性反応はありません』
(滞留……。それに、魔獣がいるわけでもないか)
水の流れそのものは弱い。けれど、その一角だけ、よどみが不自然に残っているらしい。
「リアナさん、あの辺りみたい」
「少し浅くなってるところ?」
「うん。その近く」
二人で水場の縁を回り込むと、ちょうど水がしみ出して泥になっている場所があった。そこでカケルは足を止めた。
見た目には本当にわずかだった。
ぬかるみの一部だけ、色味が少し違う。黒い土の中に、ごく薄く濁ったような色が混じっている。言われなければ見逃してしまいそうな差だった。
カケルはしゃがみ込み、そっと鼻を寄せた。
「……少しだけ違う」
「におい?」
「うん。強いわけじゃないけど、土のにおいに何か混じってるみたいな」
リアナも隣へしゃがみ込む。
「たしかに、少し変かも。でも、これじゃ村の人には分からないわね」
「そうだね。気のせいって言われたら、それで終わりそうなくらいだ」
依頼主の男は、おそるおそる近寄ってきた。
「何かありましたか?」
「まだ断定はできません。ただ、水の流れが少し偏ってる場所があるのと、この泥だけ少し様子が違うみたいです」
「泥、ですか?」
「はい。ほんの少しなので、これだけで原因とは言えませんけど」
男は不安そうに水場と畑の方を見比べた。
「やっぱり、水が悪いんでしょうか……」
「そこも、まだ決めつけない方がいいと思います」
カケルは立ち上がり、今度は畑の方へ視線を向けた。
「作物の育ちが悪い場所、見せてもらえますか」
畑は水場から少し離れた場所にあった。ぱっと見た印象では、全体はよく育っている。けれど、畝をいくつか越えた先で、たしかに色が変わった。
そこだけ、葉の勢いが弱い。青みも薄く、土もどこか重たく見える。
リアナがしゃがみ込み、葉を一枚指先で持ち上げた。
「虫に食われた感じじゃないわね」
「踏まれた形跡もないね」
カケルは畝の端を目で追った。水を引いている細い筋が、水場の方角からここへ伸びている。
「水は、あの水場から?」
「ええ。いつも通りの流れです。だから余計に分からなくて……」
男の声には、疲れと困惑が滲んでいた。
水場の見た目は普通で、においも強くない。畑も、全面が駄目になっているわけではない。けれど、牛は嫌がり、作物にも偏って影響が出ている。
ひとつひとつは些細なことのはずなのに、こうして並ぶと、どうにも気味が悪かった。
「水の流れと、不調が出てる場所は繋がってるね」
リアナが低く言う。
「うん……偶然とは言い難そうだ」
魚たちを戻し、カケルはもう一度ぬかるみの色味を思い返した。あれだけでは原因に届かない。けれど、何もない場所の土ではなかった。
「少なくとも、気のせいだけではなさそうですね」
依頼主の男が息を詰める。
「じゃあ……」
「今の段階では、原因まではわかりません。でも、しばらくはその水場の水を家畜に直接飲ませるのは避けた方がいいと思います」
カケルは水場の方へ目を向けてから、言葉を選ぶように続けた。
「畑の方も、できるなら同じ水は少し控えてください。このことはいったんギルドに持ち帰って相談します。何か分かったら、またご報告しますね」
男は何度も頷いた。
「分かりました。どうか、よろしくお願いします」
カケルは水場と畑を見比べ、それから小さく息を吐いた。
まだ分かることは少ない。けれど、ここで終わらせていい話ではなかった。
「戻ろうか、リアナさん」
「うん。まずはギルドに持ち帰らないとね」
必要なことを伝え終えると、カケルたちはその場を離れた。
ぬかるみのわずかな色の違いと、土に混じったほんの小さなにおいのずれが、どうにも嫌な感じがしてならない。見過ごしていいものではないと、はっきり思った。
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