第64話 水路に潜むもの
新しい家族たちと再会してから、数日が過ぎた。
借家の窓から差し込む朝の光の中で、カケルは湯気の立つ茶を手に、静かに考え込んでいた。
前回の依頼で、金魚やベタ、ヴァンパイアクラブたちが役に立つ場面は確かにあった。水の濁りを探り、敵を見つけ、泥の中から原因を引きずり出す。その働きは、茶渋やワサビ君たちとはまた違う頼もしさがあった。
けれど、それだけでは足りない。依頼を終えただけでは、レベルは上がらなかった。
なら、実際に討伐へ関わったときはどうなるのか。
(役割があることと、危ない場面でも動けることは、きっと別なんだろうな)
前に出て戦う強さとは違う。けれど、危ない場所に行く以上、この子たちだけ安全でいられるわけじゃない。今のうちに、無理のない相手で確かめておきたかった。
カケルは、支度を整えるとリアナを伴って冒険者ギルドへ向かった。
朝のギルドは、すでに多くの冒険者たちで賑わっていた。依頼板の前に立ったカケルは、危険度が高すぎず、水辺に関わるものを中心に札を見ていく。
やがて、その手が一枚の依頼書で止まった。
「これかな」
「何か良さそうなのがあったの?」
隣から覗き込んできたリアナに、カケルは依頼書を少し傾けて見せた。
「街外れの農村からだね。用水路に小型魔獣が住み着いているみたい」
依頼書には、簡潔な字でこう記されていた。
『至急:用水路の魔獣討伐。最近、水路沿いで作業する農夫が小型魔獣に襲われる事例が増加。被害は軽傷だが、数が多く、泥底や水草に潜まれるため対処しづらい。討伐を依頼する』
「なるほどね。水辺なら、あの子たちが活躍できそうだわ」
「うん。危険もそこまで高くなさそうだし、ちょうどいいと思うよ」
カケルが言うと、リアナは明るく笑った。
「じゃあ、決まりね。師匠の新しい家族たちの実戦訓練だわ」
「訓練というより、確認かな。この子たちに合ったやり方を見つけたいんだ」
そう言ってから、カケルは少しだけ視線を落とした。
「……できれば、ちゃんと成長できるのかも」
リアナはその言葉の意味をすぐに察したらしい。軽い調子を崩さないまま、けれど真面目に頷いた。
「前の依頼では、レベルは上がらなかったものね」
「うん。依頼をこなすだけじゃなくて、やっぱり戦闘への参加が必要なのかもしれない。いざっていうときに、この子たちが危ないままだと嫌だから」
「分かったわ。今日は、そこを確かめる日にしましょう」
受付で手続きを済ませた二人は、そのまま街の外へ向かった。
――――――
現地の用水路は、街から少し離れた農地の一角にあった。
広い畑の間を縫うように掘られた水路には、澄んだ水が流れているはずだった。だが今は、ところどころ水が濁り、水草が不自然に揺れている。浅い場所でも底までは見通せず、泥が巻き上がっているせいで流れも読みにくかった。
「こっちです、こっち」
待っていた農夫が、手を振って二人を呼ぶ。日に焼けた顔には、はっきりとした疲れと不安が浮かんでいた。
「最近、このあたりで急に増えたんですよ。水路に足を入れると、すぐ下から何かがぶつかってきて……。酷いときは長靴の上からでも噛みつかれるもんで」
「被害に遭った人は、今は無事ですか?」
「ええ、命に別状はありません。ただ、作業が進まなくて困ってましてね……」
カケルは周囲を見回した。
細い水路がいくつか枝分かれし、ところどころに泥のたまり場ができている。水草も多い。隠れる場所には困らなさそうだった。
「まずは位置を探るね。無理に近づかないでください」
農夫が慌てて頷いたのを見て、カケルは水際へ歩み寄った。
「金魚たち、おいで」
柔らかな光が流れの上に広がり、七匹の金魚たちが順に姿を現す。
「金魚たち、【水流感知】で見てみてくれるかな。変な動きがあったら教えてほしい」
七匹が散るように泳ぎ出す。流れの筋に沿い、水底の揺らぎを丁寧に拾っていくような動きだった。
ほどなくして、カケルの脳裏にナビゲーターの声が響いた。
『通知:水流の乱れを検知。前方八メートル、水深一メートル付近に複数の接近反応があります』
(複数……やっぱり群れか)
「リアナさん、前の曲がり角の先みたい」
「分かったわ。シルバーはまだ待機させておくわね」
カケルは頷き、次の家族を呼び出した。
「ベタたち、おいで」
三匹のベタが水面近くに現れた。鯉ベタの艶やかな体色が日を弾き、ハーフムーンが大きな尾を広げ、エイリアンが鋭い光沢をまとって流れに溶ける。
「【水中索敵】をお願い。敵がどこにいるか、見てくれるかな」
三匹が細く長い水路へ滑り込んでいく。ほどなくして、再び声が届いた。
『通知:敵性反応を確認。対象はFランク魔獣、リードダーター。確認数は七体。水底と水草の陰に分散しています』
「七体か」
「数はいるけど、ランクは低いわね」
「うん。ただ、見えづらいね」
水面は静かだった。だが、水底では細長い影が泥に紛れているのだろう。普通に踏み込めば、足元を狙われる。
「ベタたち、【水域威圧】をお願い。浮かせられる子だけでいいから、動きを乱してみて」
次の瞬間、水の流れがわずかに変わった。
三匹のベタを中心に、水中の空気そのものが張り詰めたような感覚が広がる。すると、水草の根元から銀灰色の細い影が一斉に飛び出した。矢のように鋭い体つきの魚型魔獣が、水底を走るように動き回る。
「いたわね」
「ヴァンパイアクラブたち、おいで」
浅瀬の泥の上に、二匹のヴァンパイアクラブが現れる。黒紫の甲羅がぬらりと光り、黄色い目が素早く周囲を捉えた。
「脇の水路へ回って、逃げ道を塞いでくれるかな。無理はしなくていいからね」
二匹は即座に動いた。ぬかるみに足を取られることもなく、【泥地歩行】で脇道へと滑るように走っていく。
その間にも、リードダーターたちは威圧を嫌うように散ろうとしていた。だが、逃げ込もうとした先ではヴァンパイアクラブたちが待ち構えている。挟み込まれた一体が、水面近くへ跳ね上がった。
「茶渋、お願い」
水面近くへ跳ねた個体へ、茶渋が低く身を沈めたまま踏み込んだ。水際を滑るように駆けた前脚が影を押さえつけ、逃げ場を失ったリードダーターを一息に仕留める。次いで別の一体が飛び出したところへも、茶渋は迷いなく飛び込み、続けざまに噛みついて動きを止めた。
その少し後ろでは、カケルのそばにいるワサビ君が、じっと水面を見つめていた。
さらに二体、三体と浮いたところで、ベタたちが圧をかける方向を変え、群れを狭い水路へ追い込んでいく。金魚たちはその外側を泳ぎ、逃げようとする動きを先回りするように水流の乱れを伝えてきた。
「右だよ。次、浅瀬の下」
「分かったわ。シルバー」
リアナの声とともに、銀色の狼が風のように駆ける。浅瀬から飛び出した影を裂くように爪が走り、二体がまとめて地に落ちた。
残った個体は、泥を巻き上げながら逆流側へ逃げようとした。だが、その先にはすでにヴァンパイアクラブがいる。左右から挟み込まれた一体が足を止めたところへ、茶渋が水際から鋭く飛び込み、そのまま押さえ込んだ。
最後の一体は、かなりしぶとく水草の根元に潜り込んだが、金魚たちの知らせで位置が割れた。カケルが示した先へ、今度はリアナの指示を受けたシルバーが浅瀬を蹴る。
だが、リードダーターは飛び出した瞬間に身をひねり、爪の軌道を紙一重で外れた。銀色の身体が水しぶきを切り裂き、細い影が逆側の泥へ逃げ込もうとする。
「右へ抜けるよ」
カケルの声に合わせて、外側を回っていた金魚たちが一斉に流れを乱した。進路を狂わされた一体が浅瀬へ跳ねたところを、今度こそシルバーの爪が正面から捉える。銀色の身体が着地すると同時に、最後の影は水際に沈んだ。
やがて、水路に静けさが戻った。
濁っていた水も、さっきまでの慌ただしさが嘘のようにゆっくり流れ始める。
「……終わったみたいです」
農夫がおそるおそる近づいてきて、水面を覗き込んだ。
「すごい……本当に、いなくなった」
カケルはほっと息をつきながら、召喚した家族たちへ順に目を向けた。
金魚たちは流れの中でゆったりと尾を振り、ベタたちはまだ少しだけ周囲を警戒している。ヴァンパイアクラブたちは泥の上で鋏を下ろし、役目を終えたように動きを緩めていた。
(ちゃんと関われていた。これなら――)
そう思った瞬間、脳裏に声が響いた。
「対象:リードダーター(Fランク)七体の討伐を確認」
一拍置いて、続けて別の通知が流れ込む。
「召喚獣:金魚たちのレベルが2に上昇しました」
「召喚獣:ベタたちのレベルが2に上昇しました」
「召喚獣:ヴァンパイアクラブたちのレベルが2に上昇しました」
カケルは目を瞬かせ、それからゆっくり息を吐いた。
上がった。
ちゃんと、上がっている。
依頼を終えただけでは届かなかったものが、今は確かに積み重なっていた。前に出ていなくても、ちゃんと関われば、この子たちにも届くのだ。
その事実に、胸の奥の小さな不安がひとつほどけていく。
「師匠?」
リアナに呼ばれ、カケルは顔を上げた。
「……大丈夫。やっぱり、この子たちもちゃんと成長できるみたい」
「それは良かったわ」
リアナは自分のことのように嬉しそうに笑った。
「前に出て殴る子たちじゃなくても、戦い方はあるものね」
「うん。この子たちに合った形で関われれば、それで十分なんだと思うよ」
農夫はまだ感心したように水路を見ていたが、やがて何度も頭を下げた。
「助かりました、本当に。これでやっと仕事に戻れます」
「いえ。怪我がなくて良かったです」
依頼の確認を終えたあと、カケルは家族たちをひとりずつ送還していく。
金魚たちは流れの中へ溶けるように消え、ベタたちもきらりと光を残して姿を消した。ヴァンパイアクラブたちは最後に一度だけ鋏を上げてから、静かに光へ還っていく。
前に出て戦う強さとは違う。
けれど、見つけて、追い立てて、繋ぐ力がある。前に出る強さではなくても、この子たちなりの戦い方がちゃんとあるのだと思えた。
それが分かっただけでも、今日ここへ来た意味は十分にあった。
「師匠、少し安心した顔をしてるわ」
帰り道、籠を抱えたリアナがそう言った。
カケルは苦笑しながら頷く。
「そう見える?」
「見えるわよ。大事なことが一つ分かった顔だもの」
「……そうだね。いざっていうときのために、今のうちにできることはやっておきたかったんだ」
畑の端を渡る風が、水路の水面を細かく揺らしていた。振り返れば、さっきまで魔獣が潜んでいた場所には、細い流れだけが夕暮れの光を静かに返している。
「これからも、こういう依頼を少しずつ受けていけばいいんだろうね」
「ええ。今日みたいな相手なら、ちょうど良さそうだわ」
リアナの言葉に、カケルは小さく頷いた。焦る必要はない。けれど、こうして少しずつ慣れていけばいいのだと思えた。
「次は、もう少し流れの速い場所でも試してみたいな」
「じゃあ、また水辺の依頼を探さないとだわ」
カケルは少しだけ笑って、暮れかけた畑道を見た。今日分かったことを、次に繋げていけばいい。
そうして二人は、並んで街へ戻っていった。
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