第61話 ギルドへの報告
北の森を後にした一行を包んでいたのは、勝利の凱歌でも調査の達成感でもなく、ただ後味の悪い沈黙だった。
カケルを乗せたイガの足取りは慎重で、肩の上のワサビ君も【警戒色】を解こうとしない。ほっぺは珍しく鳴かず、シルバーも落ち着かない様子で何度か耳を動かしていた。
街の北門をくぐり、リスティアの喧騒が耳に届くようになっても、一行の表情は晴れなかった。
「カケル。このままギルドへ向かう。すまないが、君も同席してくれないか」
馬を寄せたエアリスが、硬い声で言った。その白銀の鎧には、森の澱んだ空気が煤のようにこびりついている気がして、カケルは小さく頷いた。
――――――
冒険者ギルドの執務室。
部屋の中に満ちた緊張感は、北の森の広場に漂っていたものとはまた別の性質を持っていた。机を挟んで座るヴォルガンは、提出されたばかりの報告書と、騎士が回収してきた「不気味な粉」が入った革袋を交互に睨みつけていた。
「……白金の翼の報告の通りだったということか」
ヴォルガンが低く唸るような声を出した。その視線が、エアリスの隣に座るカケルへと向けられる。
「カケル、君の目にはどう映った。家族たちの反応も含めて、忌憚のない意見を聞かせてくれ」
カケルは膝の上で丸まっていた茶渋の頭を撫でた。茶渋はじっとヴォルガンを見据え、鋭い光を湛えた瞳を一度も逸らさない。
「うまく言葉にできないのですが……あそこは、命あるものが本能で遠ざかりたくなるような、嫌な気配に満ちていました」
カケルは慎重に言葉を選びながら続けた。
「シルバーや鳥たちは、陣のそばに足を踏み入れることさえ拒んでいました。ワサビ君も、かなり警戒していて……。あの黒い粉からは、ただの土や灰とは違う、冷たくて乾いたような感触がありました」
「ただの土や灰ではない、か」
ヴォルガンは革袋の紐を指先でなぞった。
「騎士隊の鑑定官も、初見では何も分からなかったと言っている。だが、魔石を抜き取り、これだけの死骸を山積みにし、不気味な陣まで描く。こんな異常を、ただの悪趣味では到底片付けられない」
エアリスが重々しく口を開いた。
「以前、狩猟会で発生したアースマンモスの件についても、念のために再確認を行いました。……ヴィクトール殿が禁域の封印を破ったことによる余波が、この不気味な陣や魔獣の狂暴化に繋がっている可能性についてです」
カケルは息を止めてエアリスの言葉を待った。しかし、返ってきたのは否定の言葉だった。
「結論から言えば、別の事象だと判断せざるを得ません。アースマンモスの件は、あくまでヴィクトール殿が踏み込んだことによる個体の暴走と追跡でした。ですが、今回の北の森の件は偶発的に起きたものとは思えません。陣の描き込みも、死骸の処理の仕方も、何らかの明確な意図を感じさせます」
「別件……つまり、我々がまだ正体すら掴めていない何かが、この領地で動いているということだな」
ヴォルガンの言葉に、執務室内の温度が数度下がったような錯覚をカケルは覚えた。
「エアリス隊長。……これは一ギルド、あるいはリスティアだけで抱えきれる問題ではないな」
「同感です、ヴォルガン殿。……この件は、辺境伯閣下にも至急ご判断を仰ぐべきでしょう」
エアリスは一度言葉を切り、ヴォルガンを真っ直ぐに見据えた。
「正体は分からない。目的も、これ以上の被害が出るかどうかも不明です。ですが、この『分からない』という事実そのものが、最大の驚異になり得る。辺境伯閣下へ上げたうえで、必要であれば国王陛下へもご報告し、国家としての判断を求めるべきです」
国王への報告。
その言葉を聞いた瞬間、カケルは事態の重さを改めて思い知った。自分たちが森で見たものは、もうリスティアの中だけで収まる話ではなくなっていた。
「……明日、辺境伯領からの正式な使者として、早馬を出そう」
ヴォルガンが、深く、重い息を吐き出した。
「カケル。君や君の家族たちの協力のおかげで、我々は事態の深刻さを正確に把握することができた。礼を言う。……だが、ここから先は、政治と軍事の領域だ」
「俺たちは……どうすればいいでしょうか」
カケルが尋ねると、エアリスが温かな、それでいてどこか距離を感じさせる眼差しを向けた。
「今は、これまで通りリスティアで過ごしてくれ。もしまた、君たちの力が必要になれば、私から声をかける。……だが、今は日常を大切にしてほしい。君たちが護りたいものは、そこにあるのだろう?」
カケルの視界の隅で、リアナが小さく、安心したように肩の力を抜くのが見えた。カケルもまた、胸の奥で複雑な感情が渦巻くのを感じながら、静かに頷いた。
「分かりました。……何かあれば、いつでも言ってください」
執務室を出ると、夕暮れの赤い光が廊下を染めていた。カケルたちは、どこか現実味を欠いた足取りでギルドの階段を降りた。
帰り道、カケルは何度も北の森を振り返った。現場で感じた説明のつかない寒気は、森を離れても薄れなかった。あの奥で、まだ何かが息を潜めている――そんな確信にも似た違和感だけが、重く胸に残り続けていた。
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