第60話 澱んだ静寂
朝の気配に、カケルは目を覚ました。
いつも通りに火を起こし、鉄瓶をかける。湯気が上がり始めると、梁の上で丸まっていた鳥たちが、短く羽を震わせる音が聞こえてきた。
普段なら、ピー太郎たちが「チチッ」と朝の挨拶を交わし、ほっぺがカケルの頭の上を目指して飛んでくる賑やかな時間だ。
だが、今朝は違った。
「……みんな、おはよう」
カケルが絞り出すように声をかける。そのわずかな声の震えを、家族たちは逃さなかった。
梁の上のピー太郎、ピー次郎、プー子、ペー子の四羽は、羽を膨らませて身を寄せ合ったまま、北の窓の外を凝視して動かない。ほっぺも冠羽を鋭く立てた状態で、カケルの肩に降りてきても、顔を覗き込む代わりに北の空へ向けて小さな嘴を固く結んでいた。
昨夜のエアリスの話が、まだ胸の奥に沈んでいる。その落ち着かなさが伝わったのか、家族たちの気配も普段より張りつめていた。
「師匠。……準備、できてるよ」
居間へ向かうと、そこにはすでに旅装を整えたリアナがいた。足元ではシルバーが伏せ、耳をぴくりと動かしてカケルを見上げている。
「リアナ、早いね。……シルバーもおはよう」
「シルバーも、なんだか落ち着かなくて。……師匠が不安そうだから、それがうつっちゃったのかもね」
リアナの言葉に、カケルは苦笑いすら返せなかった。カケルの緊張は、言葉にする前に家族たちの本能を逆なでしているようだった。
膝の上には茶渋が飛び乗ってきた。彼女はカケルの手首に顔をこすりつけ、喉を鳴らす。だがその目は、いつもの甘えた輝きではなく、獲物を狙う時のように鋭かった。
カケルの張りつめた気配を受けているのか、いつも以上に警戒を強めているように見える。
「大丈夫だよ、みんな。……行こうか」
カケルは、肩で静止しているワサビ君の感触を確かめた。ワサビ君の体色は、朝日の下でも明るい緑には戻らず、カケルの心の濁りを映したような、深いオリーブ色に沈んだままだ。
――――――
借家に鍵をかけ、カケルたちは待ち合わせ場所である街の北門へと向かった。
門の前には、エアリスを筆頭とする十名ほどの騎士隊、および数名の調査員が控えていた。皆、表情は一様に硬い。
「おはよう、カケル。……すまないな、朝早くから」
エアリスが馬から降り、歩み寄ってくる。彼の装備は、昨夜の軽装とは違う。実戦用の白銀の鎧が、朝露を弾いて鈍く光っていた。
「いえ。俺たちこそ、お待たせしました」
「いや、今しがた全員揃ったところだ。……白金の翼の報告にあった現場は、ここから馬で二時間ほどの場所にある。地形は把握しているが、やはり森の『内側』の情報が欲しい。頼めるかい?」
「はい。……ピー太郎、お願いできるかな」
カケルの指示に、ピー太郎が力強く羽ばたいた。続いて他の三羽も、彼の緊張をそのまま速度に変えたかのように、鋭い軌跡を描いて空へと溶け込んでいく。
カケルはイガを召喚し、その背に跨った。リアナもシルバーの背に乗り、一行は静かに北の森へと踏み込んだ。
森の入り口付近は、以前と変わりないように見えた。だが、奥へ進むにつれ、カケルは肌を刺すような違和感に襲われた。
風が木の葉を揺らす音。カケルたちが進む足音。それ以外に、生命の気配が驚くほど薄い。
その時、脳内にナビゲーターの声が響いた。
『通知:前方および右方、距離三十メートル。生命反応を確認。フォレスト・バイパー二体、急速に接近中』
「みんな、気をつけて! フォレスト・バイパーが二体来る!」
カケルの叫び声が響くと同時に、右手の茂みが激しく揺れた。飛び出してきたのは、二体のフォレスト・バイパーだった。
その魔獣は、本来なら獲物を待ち伏せてから確実に仕留める習性を持つ。だが、目の前の個体はいつもよりひどく興奮しているようで、濁った赤色の瞳を剥き、ためらうことなく先頭の騎士へと牙を剥いた。
「危ない!」
カケルの叫びより早く、茶渋がイガの背から飛び出した。
空中で体を翻し、鋭い爪がバイパーの頭部を弾き飛ばす。地面に叩きつけられた蛇は、それでもなお、体をのたくらせてカケルたちに食らいつこうとする異常な執念を見せた。
「……仕留める?」
リアナがシルバーを構えさせたが、カケルは静かに制した。
「いい。深追いしなくて大丈夫だよ。……茶渋、おいで」
茶渋はバイパーを一度だけ一睨みし、イガの背に戻ってきた。バイパーは逃げ出そうとはせず、その場に留まったまま、なおも敵意を剥き出しにしてこちらを見据えていた。
「……エアリスさん、今の」
「ああ。これだけの人数に正面から突っ込んでくるなど、本来あり得ない。白金の翼の報告は、やはり正しかったようだ」
エアリスの顔に、さらに深い影が差す。
森の奥へ進むほど、空気の澱みは濃くなっていった。ワサビ君は【警戒色】を強く出し、口を開けて威嚇していた。
やがて、一行は森の開けた広場へと到着した。
「……ひどいな」
騎士の一人が口元を押さえた。
そこは、報告通りの凄惨な現場だった。広場の中央には、魔獣の死骸が積み上げられている。そのどれもが、胸部を鋭く切り開かれ、本来そこにあるはずの魔石が見当たらなかった。
カケルはイガから降り、その山へと近づいた。
腐敗臭とは違う、どこか金属質で、焦げ付いたような匂いが鼻をつく。死骸の多くはフォレスト・ウルフやボアだが、中にはランクCの魔獣の巨躯も混ざっていた。
広場の山を囲むように、地面には巨大な円形の陣が描かれていた。
カケルは膝をつき、その線を指先でなぞった。
「ザラついている……」
それは、黒く固着した不気味な粉だった。地面を削って描かれたものではない。何らかの物質を塗りつけたように、ひどく冷たい嫌な感触が指先から伝わってくる。
生き物の違和感に気づけるカケルの感覚は、その粉に、命あるものが本能で遠ざかりたくなるような嫌な気配を感じ取っていた。
カケルはエアリスを振り返った。
エアリスの傍らでは、騎士の一人が慎重に革袋を取り出し、手慣れた手つきで粉の一部を回収し始めていた。陣を傷つけないよう注意深く粉を掬い取るその手元を、他の騎士たちが抜き身の剣を構えて取り囲む。
「エアリスさん。これ、ただの陣じゃないです。……触ってるだけで、ぞわっとするというか、近づきたくない感じがある」
「……ああ。私も同じだ。騎士たちも、無意識に距離を取っている。カケル、君の家族たちはどうだい?」
カケルが視線を向けると、シルバーは広場の縁から一歩も入ろうとせず、低い姿勢で警戒を解いていない。空を舞う鳥たちも、目に見えない何かに阻まれているかのように不規則な旋回を繰り返し、その羽ばたきはどこか落ち着きなく乱れていた。
「みんな、怖がってる。……ここは、空気がおかしい」
騎士が慎重に粉を回収し終え、立ち上がってエアリスに無言で頷いた。
「……ああ。不気味なのは報告通りだが、正体が全く掴めないのは……一番質が悪いな」
「……師匠、早くここから離れたい」
リアナが、不安を隠せない様子でシルバーの首筋を撫でている。
「そうだね。……エアリスさん、必要なものは回収しました。一度戻って、ギルドマスターにもこの状況を伝えた方がいい」
エアリスは重々しく頷いた。
一行は、言いようのない重圧感を感じながら、広場を後にした。
帰り道、カケルは何度も北の森を振り返った。現場で感じた説明のつかない寒気は、森を離れても薄れなかった。あの奥で、まだ何かが息を潜めている――そんな確信にも似た違和感だけが、重く胸に残り続けていた。
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