第59話 見過ごせない異常
北の森の奥地。そこは高ランク区域の中でも特に危険とされる一帯で、熟練の冒険者ですら気を抜けない場所だった。
湿り気を帯びた空気が、森の奥まで重く淀んでいた。Aランク冒険者パーティー「白金の翼」のメンバーたちは、互いの距離を一定に保ちながら、足音を殺して森の奥へと進んでいた。彼らの目的は、この過酷な環境にしか自生しない希少植物の採取だ。
先頭を行く男が、ふと足を止めた。背後に続く仲間たちも、即座に武器の柄へ手をかけ、周囲へ鋭い視線を走らせた。
「……静かすぎるな」
仲間の一人が低く呟いた。耳に届くのは、湿った葉を揺らす風の音ばかりで、本来この辺りに満ちているはずの気配が不自然なほど途絶えていた。
一行がその異変の源に辿り着いたのは、それから数分後のことだった。
森が開けた小さな広場。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
「……なんだ、これは」
誰かの呻き声が漏れる。広場の中央には、おびたただしい数の魔獣の死骸が、まるで積み木のように積み上げられていた。
フォレスト・ボア、フォレスト・ウルフ。中にはランクCの魔獣さえ混じっている。
だが、それらに魔獣同士が争ったような形跡はない。無造作な爪跡も、魔法で焼かれた痕もなかった。
ただ、すべての死骸の胸部には鋭く切り開かれたような痕があり、本来そこにあるはずの魔石も見当たらなかった。
魔石だけを抜き取られたような骸が、無残に積み重ねられていた。
広場を取り囲むように、地面には巨大な円形の陣が描かれていた。土を削って描かれたものではない。
それは黒く固着した不気味な粉のようなもので描かれており、一人が剣先でそっとなぞると、ざらついた手応えが返ってきた。
「狩りじゃない。魔獣同士の争いでもない……気味が悪いな……」
リーダー格の男が苦々しく吐き捨てた。プロの直感が、これ以上ここに留まるべきではないと告げている。彼らは深追いすることなく、最低限の状況だけを記憶に留め、その場を後にした。
その日の夜、リスティアの冒険者ギルド。白金の翼からの報告を受けたギルドマスター、ヴォルガンは、すぐに表情を引き締めた。
「死骸の山と、黒い粉の陣、か……」
ヴォルガンは、提出された報告書を何度も読み返す。Aランクパーティーがわざわざ「異様だ」と強調するほどの光景だ。ただの異常事態ではない。
報告の最後に、パーティーの一人が付け加えた言葉が耳に残る。
「……気のせいかもしれませんが、道中の低ランク魔獣まで、妙に執拗に牙を剥いてきた気がします。普段なら逃げ出すような相手でも、構わずに向かってきた」
「魔獣の狂暴化か……」
ヴォルガンは独りごちると、即座に騎士隊への情報共有を命じた。これは一ギルドで抱えきれる問題ではない。リスティア周辺だけの問題では済まないかもしれない――そんな嫌な予感が、彼の背を冷たく撫でていた。
――――――
夕闇に包まれ始めた、リスティアの街外れにある借家では――先ほどまでの和やかな空気は、テーブルを挟んで座るエアリスの沈黙によって、静かに塗り替えられていた。
エアリスは手に持ったカップをテーブルへと置いた。
「ギルドから騎士隊に、緊急の報告が入ったんだ。北の森の奥地で、異常な魔獣の死骸と、正体不明の陣が見つかった」
「異常な、死骸……?」
カケルは聞き返した。肩にいるワサビ君が、服を掴む指先にわずかに力を込める。ワサビ君の体色が、じわりと暗い緑へ沈む。
カケルは膝の上に丸まっていた茶渋の背に、そっと手を置いた。茶渋は短い尻尾を一度だけ揺らし、エアリスをじっと見つめている。
「ああ、通常の狩りではない。不気味な黒い粉で描かれた陣だという報告だ。……正直に言えば、まだ現場を見たわけじゃない。だが、報告の内容だけでも見過ごせない異常がある」
エアリスは一度言葉を切り、カケルの目を真っ直ぐに見据えた。
「その場所で何が起きているのか、まだ断定はできない。だが、現場の状況、そして低ランク魔獣たちにまで広がっている妙な変化。……何が起こっているのか、詳しく調べる必要がある」
カケルは息を呑んだ。室内の空気が、急に冷えたように感じられる。エアリスの肩に乗ったほっぺは、その真剣な声音を察したのか、冠羽をぴたりと伏せ、首を傾げてカケルの顔を覗き込んだ。
「……俺に、何かできることがあるんでしょうか」
カケルは静かに尋ねた。エアリスは小さく頷いた。
「明朝、私が率いる隊を出す。ギルドマスターとも協議したが、私も同行してこの目で確かめるつもりだ。そこで、君の家族たちの力を借りたい。特に鳥たちの索敵と、君が生き物の違和感に気づけることは、大きな助けになる。不気味な陣が何を意味しているのか、それを突き止めるには君の力が必要だ」
「調査への、同行……」
カケルは室内を見渡した。
天井の梁では、ピー太郎、ピー次郎、プー子、ペー子の四羽が寄り添っている。隅ではキョロとチョロが静かにこちらを見つめ、少し離れた場所ではリアナのそばにシルバーが伏せていた。
自分たちがようやく取り戻した、この穏やかな拠点。もし、エアリスの言う異変がこの街にまで迫っているのだとしたら、断る理由などどこにもなかった。
「……わかりました。俺たちで良ければ、協力させてください。家族のみんなも、きっと力を貸してくれると思います」
カケルがそう言うと、膝の上の茶渋が「ナァ」と短く鳴いた。同意するかのように、ワサビ君が長い指でカケルのシャツをぎゅっと掴む。
「ありがとう、カケル。君なら力を貸してくれると思っていた」
エアリスの表情に、わずかな安堵と、それ以上の決意が浮かんだ。
「夜明けと共に出発する。……是非ともよろしく頼む」
新しく解放された召喚枠のことが頭をよぎったが、今はそれに気持ちを向けている場合ではなさそうだ。
窓の外では、夜の帷が完全に降りていた。借家を包む静けさの向こうで、確かに何かが動き始めていた。
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