第52話 越境の代償
キィィィン、という鋭い金属音が静寂を突き抜けると同時に、広場は爆発的な熱量に包まれた。召喚獣たちの咆哮が混じり合い、石畳を叩く無数の足音が森の入り口へと吸い込まれていく。
「第一層だぞ、時間の無駄だ」
「狩られる前に先に行くぞ!」
各地から集った手練れの召喚士たちが、自身の召喚獣に跨り、足元の気配を蹴散らすように速度を上げた。
その喧騒を横目に、カケルは森の入り口からわずか数百メートルの地点で足を止めた。巨木の枝葉が日光を遮り、足元には湿った腐葉土の重い匂いが立ち込めている。
「おい、見ろよ。あの平民、こんな入り口で粘るつもり?」
「出来損ないの令嬢にはお似合いだわ。秤に乗せる価値もない石ころを集めてどうするのかしら」
追い抜いていく他家の連中が、肩越しに笑い声を投げ捨てていく。
その先頭、二体のサンダーウルフを優雅に操るヴィクトールが、カケルたちの前で一度だけ召喚獣の歩みを緩めた。整った顔に薄ら笑いを浮かべ、馬鹿にしたように妹を見下ろす。
「リアナ、お前にはそのくらいが丁度いい。泥を這いずり、ウサギの首でも集めていろ。私の視界を汚さないようにな」
ヴィクトールは軽薄な笑い声を残し、風のように森の奥へと消えていった。
リアナの指が、シルバーの毛を撫でるのをやめた。呼吸が浅くなる。肩が、ほんの僅かに落ちる。
「……大丈夫」
カケルがリアナに短く声をかけると、彼女はシルバーの首筋を叩いてから前を向いた。
「わかってる。シルバー、準備はいいわね。……師匠、いつでもいけるわ」
カケルはそれに応えるように、右手を上げた。
四羽のキンカチョウが、枝の影を縫って散る。同じ円を描くように空を舞い、カケルの視界の端に座標の点が次々に灯っていく。
「ほっぺ」
呼び鳴きが一つ、森に響き渡る。茂みがざわめき、ホーンラビットやフォレスト・ウルフの足音が一方向に寄ってきた。
キョロとチョロが跳んだ。【蜘蛛の糸】が空を裂き、白銀の線が木々を網羅する。
糸に触れた個体が反射的に身を翻し、逃げた先にもまた糸。逃げ道が細くなり、群れは一本の線に押し固められていく。
そこには、イガとグリが待ち構えていた。二頭の喉が大きく膨らみ、放たれた圧に群れの足が止まった。側面から抜けようとした一体の前に、腹を擦る影が滑り込む。
【砂走り】で地面を滑る二頭に、進路が消える。魔獣の悲鳴が喉の奥で潰れた。
「シルバー、いくわよ!」
リアナの指示と共に、白銀の影が視認不可能な速度で森を抜け、群れの背後で咆哮が響く。逃げ場を完全に失った魔獣たちの足が、本能的な恐怖で縺れた。
「茶渋、漏れた魔獣をお願い」
足元にいた茶渋が、音もなく動く。
糸の隙間を縫い、カケルへ向けて突っ込んできた一頭のフォレスト・ウルフ。茶渋は一歩前に出ると、全身の毛を逆立て、鋭い一睨みでその動きを縫い止めた。
恐怖に硬直した首筋を、シルバーの爪が横なぎに裂く。胸奥の硬い核を、茶渋が迷いなく抉り出した。
転がり出た血染めの魔石を、カケルの腕にいたワサビの舌が絡め取る。直後、足元の地面へ、汚れの落ちた上質な魔石が零れ落ちてゆく。
コツン、コツンと、乾いた硬質な音が重なり、絶え間なく続く。
通りがかった召喚士の一人が、足を止めて目を剥いた。
「……え、もう? まだ始まったばかりだぞ。なんでこんな短時間で、これほどの数が……」
リアナは重みを増していく革袋を手に取り、その質感を確かめる。
「シルバーも全然疲れてないし、私も怖くないわ。師匠、次へいくわよ」
カケルは小さく頷き、次の座標へと意識を向けた。
足元に響く魔石の音と、他者の驚愕。その静けさを切り裂くように、森の遙か深部から、鳥たちが一斉に飛び立つ騒がしい羽音が響き渡った。
一方で、森の第二層は、ヴィクトールの独壇場だった。
行く手を阻むのは、ランクBの「ギガント・ボア」。鋼のような剛毛を纏った巨大な猛猪が、蹄で地を削り突進する。質量が空気を押し潰す轟音が響いた。
「いい音だ。だが、父上の前で鳴らす価値はない」
ヴィクトールが指を鳴らした。
二体のサンダーウルフが同時に爆発。一頭がボアの膝裏を噛みちぎり、巨体の均衡を崩す。その落下のエネルギーを吸い込むように、もう一頭が喉笛を食い破った。
ヴィクトールは死骸から深緑色の中サイズ魔石を摘出し、つまらなそうに袋へ放り込んだ。
「……この程度で武威を語る者がいるのか。父上の目を汚すだけだな」
彼は血に汚れた手を拭いもせず、森のさらに奥を見つめていた。瞳にあるのは焦燥だ。
やがて現れたのは、朽ち果てた鉄の鎖が渡された境界線だった。
音が、死んでいた。風は止まり、鳥の囀りも消えた。
苔生した石柱に刻まれたアルシュタイン家の警告。その先では、空が巨木の枝葉に完全に覆い隠されている。
ヴィクトールはその境界の前で足を止め、追いついてきたリアナたちを一瞥した。
「おいおい、そんなに顔を青くしてどうした? お前はそこで、私の栄光でも眺めているがいい」
「兄様、ここから先は禁忌です! 父様も深入りはいけないと……!」
「父上は見ている。……だから、今日だ。禁忌? それで私が止るとでも? 父上に『慎重でした』と褒められるためにここに来たわけじゃないんだ。既知で勝っても『出来ました』の報告にしかならない。退屈だろう?」
ヴィクトールは迷いなく、鉄の鎖を跨いだ。
その瞬間、世界の彩度が落ちた。重力が増したかのような支配力が、肌を刺す。
張り詰めた緊張感が空気を支配し、異変は起きた。巨木の枝が乾いた音を立てて折れ、大地の底から重厚な振動が伝わる。
木々の隙間を埋める、異様な質量。その全容は見えない。ただそこにあるだけで、周囲の酸素が薄くなるような圧迫感。
圧倒的な「重さ」が、本能を蹂躙した。
「ようやく出たか。これなら父上への『証明』になる」
ヴィクトールが不敵に口角を上げた。二体のサンダーウルフが、左右からその質量へ肉薄する。
だが、次の瞬間、鋭い音が森に響いた。
「……は?」
牙が、弾かれた。
鍛え抜かれた鋼を噛んだかのような感触に、狼の動きが止まる。ヴィクトールは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに不敵な笑みを貼り付け直した。
「なるほど。面白いじゃないか」
巨大な輪郭が、羽虫を疎むようにゆっくりと横に薙がれた。
直撃ではない。それが巻き起こした猛烈な風圧と、その端が僅かに触れただけで、三メートルあるサンダーウルフの一体が弾き飛ばされた。
巨大な何かが、一歩動いた。
ヴィクトールたちが立っていた地面が陥没し、周囲の木々が崩落していく。地形そのものが塗り替えられていく光景に、ヴィクトールの眼差しが鋭く細められた。
「今日はここまでだ。壊れた舞台で踊る趣味はない。退く。父上に見せるのは『勝ち』だけでいい」
ヴィクトールは即座に戦域を測り、反転した。
迷いのない退却。だが、その巨大な質量が、ゆっくりと方向転換を開始した。
目障りな羽虫を追うように。あるいは、その先にある多くの生命の匂いに引かれるように。
ズシン、ズシンと逃れようのない地鳴りが、第二層の方向へと向かい始める。
ヴィクトールが踏み越えた一線。その穴を通って、森の深淵が這い出そうとしていた。
カケルは、急激に静まり返った周囲の気配に、背筋を凍らせた。
森は再び静かになった。巨大な災厄が通り抜ける前の、死の静けさ。地鳴りは、今も止まらない。
少しずつ、それは自分たちへと近づいていた。
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