第48話 未踏の湿地と、立ちはだかる現実
本日は二話更新します!
あの補給路の開拓と安全確保の依頼から一週間、カケルたちはしっかりと体を休めていた。
激戦を繰り広げた家族たち、特に身を挺してリアナを守ったグリや、その体を支え続けたじったんには、たっぷりと好物の餌を与え、好きなだけバスキングをさせた。カケル自身も、家で茶渋の喉を鳴らす音を聞きながら、穏やかな時間を過ごしていた。
だが、そんな穏やかな休息の時間を破るように訪ねてきたのは、どこか申し訳なさそうな顔をしたエアリスだった。
「カケル、休んでいるところを済まない。騎士団からの正式な依頼なんだが……実は、未踏湿地帯の地図を作りたいんだ。あそこは深く粘りつく泥濘が続いていて、馬ではどうしても足を取られて進めない。君たちの力を、どうしても貸してほしいんだ」
そうして引き受けることになったのは、これまでで最も足場の悪い「未踏湿地帯の地図作成補助」という難題だった。
「……ひどい湿気だ。服が肌に張り付いて、呼吸するだけで肺が重くなるみたいだね」
カケルが額の汗を拭いながら呟く。周囲は見渡す限りの泥濘と、立ち込める深い霧に支配されていた。足元は一歩踏み出しただけでズブズブと沈み込み、泥にまみれて朽ちた葉や木々が放つ、湿地特有の鼻を突く匂いが、カケルの顔をしかめさせた。
不意に、リアナが小さく悲鳴を上げた。
「きゃっ……! 今、足の下で何かが……」
泥の下を這う黒い影が、一瞬だけ水面に波紋を作って消える。小型の泥魔獣か、あるいは得体の知れない原生生物か。底の見えない泥濘には、常に何かに足を引かれるような、言いようのない緊張感が漂っていた。
この環境は、カケルの「家族」たちにとっても過酷な試練だった。
「イガ、グリ。……ごめんな、無理をさせて」
カケルは、泥に足を取られて【砂走り】を封じられたイガとグリを見つめた。
本来は砂地や乾いた岩場を好む彼らにとって、この粘りつく湿気と冷たい泥は、体力を削り、ストレスを強いるものでしかない。厚い雲が日光を完全に遮っているせいで、彼らの鱗の輝きもどこか鈍い。
「一旦戻って休んでてくれ。後はじったんに任せよう」
二体のフトアゴヒゲトカゲが光の粒子となって消える。
カケルは、休憩中に罠を張ろうとして、霧に濡れて重たくなった糸を必死に整えようとしているキョロとチョロも、同様に送還した。彼らにとって不快なだけの場所に、長く留めておく理由はなかった。
「……じったん。悪いけど、この調査はじったんだけが頼りだ」
全長三メートルの巨躯を持つアオジタトカゲは、一頭だけ悠然と泥の上にいた。
泥に沈むことを前提としたような低い重心。湿り気を好む彼にとって、この環境は不快どころか、「楽勝だ」とすら言いたげな落ち着きを見せている。
「師匠、シルバーの足も限界に近いわ。……私、ずっとあの子たちに頼りきりだったのかもしれない。この地形、召喚獣の力だけじゃどうにもならない部分があるのね」
リアナも、泥に足を取られながら必死にシルバーを支えていた。これまでは「家族がいればどこへでも行ける」と思っていた。だが、自然はそんな甘い幻想を容易く打ち砕いてくる。
その夜、一行は辛うじて見つけた僅かな乾いた地面で野営を強行した。だが、それは「休息」と呼ぶには程遠いものだった。
焚き火の薪は湿って煙ばかりを上げ、どれだけ火に当たっても服は乾かない。暗闇からは湿地の捕食者たちが執拗に隙を窺い、ピー太郎たちの【索敵】も霧に遮られて精度が落ちている。
カケルは、冷えた手で旅の記録を書き留めながら、静かに悟っていた。
(理想の場所を見つけるだけじゃ、足りないんだ……)
乾いた風が吹き抜け、柔らかな陽光が絶えず差し込むあの場所――「囁きの谷」。たとえあのような美しい土地を手に入れたとしても、そこを維持するための設備や、環境を整える土木作業、そして権利を守るための税。
あの時、ノイズの中で消えかけたグリの姿が脳裏をよぎる。今のままじゃ、いつかまた、あの子たちに無理をさせる。
……あの子たちに、また無理をさせる未来は嫌だ。
「師匠、何を考えているの?」
不安げなリアナの問いに、カケルは火を見つめたまま答えた。
「……この世界で、ただ『平穏』を維持することがどれだけ難しいか、考えていたんだ。理想の土地を見つけた時、それを守る力が俺になければ、結局あの子たちを苦しめることになる」
今の俺は、騎士隊の好意に甘えているだけだ。だが、本当に家族全員が笑って暮らせる場所を作るには、理想とする土地の所有権を得て、あの子たちとの生活を守り抜くための確かな蓄えを築かなければならない。
「地道に、やるしかないんだ。誰も文句が言えないくらいの立場を勝ち取る。あの子たちが望まない役割を押し付けられることなく、俺たちのルールで生きていける……確かな居場所を作るまで」
翌朝。カケルたちは、泥に塗れた体を奮い立たせ、再び霧の中へと踏み出した。
じったんが道を作り、カケルが静かに霧の先を見据える。あの「囁きの谷」のような場所を、真の「聖域」にするために。
この湿地での泥臭い一歩こそが、未来への確かな礎になると信じて。
カケルの瞳には、焦りではなく、現実の壁を一つずつ乗り越えていこうとする静かな覚悟が宿っていた。
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