第3話 城塞都市リスティアと冒険者ギルド
草原を歩き始めてから、どれくらいの時間が経っただろうか。太陽は高く昇り、見渡す限りの緑を照らしている。
(……本当に、死んだんだな、俺)
歩きながら、翔はアスファルトの上で途切れた記憶を反芻していた。
あの凄まじい衝撃。体が浮き上がる感覚。間違いなく、現代日本にいた「森下翔」の人生はあそこで一度終わったのだ。
(だけど、こうしてみんなとやり直せるチャンスをもらえた。……それは、最高に運がいいことなのかもしれない)
肩に目を向けると、ワサビ君が器用に爪を立てて翔のパーカーを掴んでいる。左右の目はくるくると別々の方向を向き、見たこともない異世界の景色を観察しているようだ。
(まずはワサビ君を、安全にレベルアップさせてあげないと。……無茶はさせられない。カメレオンは、繊細なんだから)
そんなことを考えながら緩やかな丘を越えると、前方に巨大な石造りの壁が見えてきた。ヴェルダンシア王国の入り口、城塞都市リスティアの外郭だ。
「……あれが、街か。思ったよりデカいな」
近づくにつれ、門の前を固める兵士たちの姿がはっきりと見えてくる。彼らは一様に鎧を纏い、槍を携えていた。
「おい、そこの。止まれ」
門の手前で、一人の兵士がカケルを呼び止めた。
(……言葉が、わかる)
見知らぬ異世界の住人と意思疎通ができるという事実に、翔は喉の奥で小さく息を吐き、心の底から安堵した。
その兵士の目は、翔が着ているネイビーのパーカーとグレーのジーンズを、不審なものを見るように細められている。
「……奇妙な格好をしているな。どこの者だ?」
「ええと……遠い田舎の小さな村から来ました。旅の途中で、荷物を全部失くしてしまって」
苦し紛れの嘘を吐きながら、カケルは肩を意識した。ワサビ君は【隠密】を発動しており、兵士の目には見えていないようだ。
「何人たりとも、身分証と通行税がなければここを通すわけにはいかない。支払いは銀貨二枚だ。それも出せないというなら、さっさと引き返せ」
カケルは慌てて自分のポケットを探ったが、出てきたのは見慣れた革の財布と、この世界では使えそうにない日本の硬貨だけだった。
「すみません、ここのお金を持ってなくて……。あ、あの、本当に何も持っていないんです。でも、街に入れてもらえれば、何か……何かできることがあると思って。お願いします、そこをなんとか!」
「そんな言い訳、聞き飽きてるんだよ。お前のような身元の知れない奴をタダで通して、中で騒ぎでも起こされたら俺の首が飛ぶんだ。ほら、後ろがつかえてる、どいたどいた!」
乱暴に追い払おうとする兵士の手が、カケルの肩を押し返そうとした。周囲の視線が痛い。同情よりも、邪魔な奴を見るような冷ややかな空気が肌に刺さる。
その時だった。
「――何事かな。ずいぶんと賑やかだが」
背後から響いたのは、穏やかだが、周囲の喧騒を一瞬で静めるような芯の通った声だった。兵士がハッとして振り返り、すぐさま直立不動の姿勢で敬礼を送る。
「これは、エリアス隊長!失礼いたしました、巡回中でしたか」
現れたのは、磨き上げられた軽銀の鎧を身に纏った男だった。柔らかな金髪と、穏やかな灰色の瞳。少し高価そうなマントを羽織っており、一目で「それなりに地位のある者」だと分かる。
「構わないよ。それで、この方は?見たところ、困っているようだが」
「はっ。こちらの者が身分証も通行税も持っておらず、入街を希望しておりまして……。規則通り、お引取り願おうとしていたところです」
エリアスと呼ばれた男は「ふむ」と頷くと、一歩前に出てカケルの前にそっと手のひらをかざした。
「――『鑑定』」
彼が低く呟くと、その瞳の奥と掲げた手のひらに淡い光が宿る。
(……ステータスはごく普通の一般人レベルだな。職業は『召喚士』のようだが、召喚獣は連れていないようだ。……危険な要素は見当たらない)
エリアスはふっと表情を和らげ、優しく微笑む。
「そう固いことを言わないであげてくれ。彼は決して悪い人間ではない。私が保証しよう」
「し、しかし……規則が……」
「君、身分証がないなら、この足で『冒険者ギルド』へ向かうといい。あそこなら身元保証のない者でも、君のような『職能』持ちであれば登録ができる。登録証が発行されればそれが身分証になるし、何より仕事を紹介してもらえるよ」
エリアスは懐から小さな真鍮のメダルを取り出し、カケルの手のひらに握らせた。金属特有の冷たさと、確かな重みが伝わってくる。
「これをギルドの受付に見せるといい。私の紹介だと言えば、登録もスムーズに進むはずだ。通行税については、最初の依頼をこなした後に、後払いで納めるということでどうかな?」
「……ありがとうございます。助かりました」
「いいんだ。困った時はお互い様だよ。私はエリアス・ヴァイン。この街の守備隊で騎士隊長を任されている」
エリアスはそう名乗ると、穏やかな表情でカケルを見つめた。
「……失礼だが、君の名前を聞いてもいいかな?」
「カケル……カケル・モリシタといいます」
「カケルか。ようこそ、城塞都市リスティアへ」
エリアスはそう言って、活気に満ちた街の奥を指差した。
「ちょうど私もあちらの方面を巡回する予定だったんだ。ギルドの近くまで案内しよう。この街は初めてだろう?活気があるのは良いことだが、四大区画に分かれていて少しばかり構造が複雑でね。今我々がいるのは南の『商業区』だ。冒険者ギルドもこの近くにあるよ」
「えええと、はい。お願いします」
エリアスはそう言って、カケルを促した。兵士は困惑しながらも、エリアスの保証がある以上、黙って道を開けるしかなかった。
「……ちっ。運がいい奴め。ほら、通れ。騒ぎを起こすなよ!」
無愛想に促され、カケルはエリアスに連れ添うようにして、リスティアの喧騒の中へと足を踏み出した。
街並みは中世ヨーロッパといったところか。
歩きながら、エリアスはこの街のルールやギルドの仕組みを教えてくれた。その丁寧な物腰に、カケルの緊張も少しずつ解けていく。
「さて、ここが冒険者ギルドだ」
中央付近に建つ、大きな建物の前でエリアスが足を止めた。剣と盾の紋章が刻まれた看板が掲げられている。
「私はまだ巡回の仕事が残っているから、ここで失礼するよ。……あまり無理はしないようにな」
エリアスは軽く手を振ると、颯爽と人混みの中へ消えていった。
(……助かった。いい人に出会えてよかった)
カケルは握りしめた真鍮のメダルをポケットにしまい、重厚な扉を押し開けた。
中は酒場と受付が一体となった広々とした空間で、活気というよりは殺気のようなものが漂っている。荒事を生業とする男たちの視線が、一斉にカケルに注がれる。
「……なんだあいつ、あの格好?」
「魔法使いか?杖も持ってねえぞ」
周囲のひそひそ話を受け流しながら、カケルは受付カウンターへと歩み寄った。受付には、落ち着いた雰囲気の女性が座っている。
「失礼します。冒険者の登録をお願いしたいのですが。……あと、これ」
カケルがエリアスから預かった真鍮のメダルを差し出すと、受付嬢の表情に驚きが走った。
「これは……エリアス隊長の。承知いたしました、では手続きを進めますね。こちらの水晶に手をかざして、ジョブの判定を行ってください」
女性が差し出した水晶に手を置くと、淡い光が灯り、文字が浮かび上がる。
『職業:召喚士』
「召喚士……。希少な職業ですね。ですが、登録には『召喚獣』の提示が必要です。あなたの契約している生き物を見せていただけますか?」
受付嬢の言葉に、店内がざわついた。荒くれ者たちが興味津々でカケルの周囲を覗き込む。
「召喚士だってよ!エリートかよ!ウルフ系か?ボア系か?」
「どんな強力な魔物を連れているんだ?」
カケルは苦笑いしながら、肩に指を添えた。
「ワサビ君、スキル解除。」
カケルが呟いた瞬間、何もない空間が陽炎のように揺らぎ、鮮やかな緑色の影がふわりと浮かび上がった。
「……っ!?」
受付嬢が驚愕に目を見開き、思わず身を乗り出した。周囲の冒険者たちからも、一瞬にしてどよめきが上がる。
「おい、今、どこから出した……!?」
静まり返った店内に、一転して鋭い緊張が走る。だが、姿を現したのが全長二十センチほどの、この世界の誰も見たことがない未知の奇妙な生き物だと分かると、その緊張は一気に拍子抜けしたような空気へと変わった。
「……え?」
受付嬢が瞬きをした。
左右別々に動く眼球と、兜のような突起を持つ頭部。その異様な姿はあまりに小さく無害そうに見える。期待に満ちていた周囲のどよめきは、瞬く間に落胆と嘲笑へと変化した。
「おいおい……なんだそれ、トカゲか?」
「それが召喚獣かよ!観賞用のペットの間違いじゃねえのか?」
ドッと笑いが沸き起こる。馬鹿にするような視線と嘲笑が、四方八方からカケルに浴びせられた。
だが、カケルは動じなかった。ワサビ君を優しく指先で撫でながら、静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「……登録、お願いします。この子が、俺の自慢の家族ですから」
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