第29話 遠征の打診
次話が短めなので、本日2話公開します!
新人騎士たちの訓練サポートを終えて数日。カケルは、騎士隊長エアリス・ヴァインに再び呼び出されていた。
騎士隊の執務室。窓の外では訓練の掛け声が響いているが、室内には紙を揃える音だけが落ちていた。現在のカケルは魔力を温存するため、家族をいったん全員送還していた。
「急に呼び立てて済まない、カケル。先日の新人訓練での働き、見事だった。現場の若手たちの意識が目に見えて変わっている」
エアリスは机の上の書類を整理しながら、真剣な眼差しをカケルに向けた。
「今日は、君に『特別協力者』としての本格的な長期任務を依頼したい。……隣領であるハルバート領への遠征だ」
「隣領、ですか。……どのあたりにある場所なんでしょうか?」
カケルは素直に尋ねた。この世界の地理については、まだ基本的なことしか把握できていない。
「ああ、そうだったな。ハルバート領はここから北西に位置し、馬車を急がせても十日はかかる距離にある。険しい山岳地帯を越え、魔物が多く潜む難所をいくつも通らねばならん土地だ」
エアリスは地図に手を伸ばさず、言葉だけで距離と地形を説明した。
「あちらの領主から、森の異変に関する調査協力の要請があった。先日のフォレストガーディアンも、騎士隊の見立てでは、深部の異変でエサが不足したのが原因らしい。ハルバート領の森はここよりも深く、同様の理由で魔物たちが人里近くまで降りてくる兆候がある。君の『索敵』と『安全管理』の能力がどうしても必要なんだ」
エアリスは一度言葉を切ると、少し声を和らげた。
「報酬は金貨五十枚を約束しよう。さらに、私の権限で特別手当も上乗せする。君が望んでいる『土地と家』の資金としては、かなり弾むつもりだ。……どうだ。君の望む『土地と家』に、近づくだろう?」
カケルは少しの間、考え込んだ。遠征となれば、家族たちにとっても未知の環境での過酷な旅になる。だが、現在の廃屋住まいでは、今後増えていくであろう家族たちのプライバシーや安全を完全に守ることは難しい。
「……分かりました、お受けします。あの子たちの将来のためにも、しっかり稼がせてもらいますね」
「承知した。出発は三日後だ」
家に戻ったカケルは、一息つくと自分自身の旅支度を進めた。
「茶渋、ちょっとおいで」
カケルが意識を向けて呼びかけると、足元にサビ猫の茶渋が顕現した。彼女はいつも通り、カケルの脚に身体を擦り付けながら、喉を低く鳴らしている。
「茶渋、これから少し長い旅に出るんだよ。隣領のハルバートっていう場所まで。十日もかかるんだって」
茶渋はカケルの言葉を理解しているわけではないだろうが、主人の落ち着いた声に応えるように「にゃあ」と短く鳴いた。カケルはその柔らかな頭を撫でながら、独り言のように話を続ける。
「移動中はみんなを送還しておくつもりだけど、向こうに着いたら力を貸してね。ワサビ君やほっぺ、ピー太郎たちにもそう伝えておいて。……あと、新入りのキョロとチョロもね」
茶渋はカケルの指先に鼻をこすりつけると、そのまま座り込んで毛繕いを始めた。
カケルはナビゲーターを呼び出し、システム内の全員のステータスを最終確認した。十日の長旅。道中で何があってもあの子たちを最適なタイミングで呼び出せるよう、頭の中で何度も召喚のシミュレーションを繰り返す。
(ピー太郎たちは空からの警戒。ワサビ君は俺の近くで異変を。茶渋は有事の際の守り。ほっぺは誘引。そしてキョロ、チョロ……あの子たちの【蜘蛛の糸】は、夜のキャンプで大きな力になるはずだ)
これまでの依頼とは常に違う、領地を跨ぐ大規模な遠征。不確定要素は多い。それでも、家族の居場所を手に入れるには、この遠征を逃せない。
「……よし、準備はいい。みんなで一緒に、無事に帰ってこようね」
カケルは静かに頷き、最後にもう一度、茶渋を優しく撫でてから彼女を送還した。
三日後、城塞都市リスティアの北門前は、遠征を控えた独特の緊張感と慌ただしさに包れていた。
整列した数十名の騎士たち、物資を積み込んだ重厚な荷馬車。その中に、いつもの質素な旅装束に身を包んだカケルの姿があった。
「カケル、今日からよろしく頼む。君のサポートを頼りにしているよ」
馬上のエアリスがカケルを見下ろして微笑む。カケルは一つ頷き、用意されていた後方の荷馬車の御者台の隣に腰を下ろした。
軍靴の音と馬の蹄の音が重なり、遠征隊はゆっくりと動き出した。リスティアの街が次第に遠ざかり、街道の両脇を深い緑が埋め尽くしていく。
初日の行程は順調だった。日が沈み始める頃、一行は予定通り街道沿いの開けた場所で野営の準備に入った。
「カケルさん、夜の警戒について相談させてください」
若手の騎士が、カケルのもとへ歩み寄り、礼儀正しく声をかけた。エアリスが事前に「協力者の判断を尊重するように」と通達していたためか、その態度は非常に丁寧で、カケルの専門性を信頼していることが窺える。
「騎士が交代で不寝番に立ちますが、隊長からはあなたの意見も積極的に取り入れるようにと言われています。何か良い方法はありますか?」
カケルは馬車から降りると、周囲の茂みを一瞥した。
「そうですね。騎士の方々の負担を減らすためにも、俺の家族に手伝わせてもらいます。……キョロ、チョロ」
カケルが呼びかけると、足元の影から二匹のもふもふとしたジャンピングスパイダー、キョロとチョロが音もなく現れた。三十センチほどの巨体が突然現れたことに、近くにいた騎士たちが「おぉ!」と驚きの声を上げる。
「大丈夫です、この子たちは悪さをしません」
カケルはキョロとチョロの頭を撫で、周囲の木々を指差した。
「キョロ、チョロ。キャンプの周囲に【蜘蛛の糸】を張ってくれるかな。少し広めでお願い」
二匹は複数の単眼でじっと周囲を捉えた後、驚くほど軽やかな跳躍で近くの枝へと飛び移った。それから数分。二匹はキャンプを囲むように縦横無尽に走り回り、人間の目にはまず見えないほど細く、それでいて鋭敏な振動を伝える糸を張り巡らせていった。
「……これで、キャンプにネズミ一匹近づいてもあの子たちがすぐに気づきます。俺にはその感覚が伝わるようになっているので、騎士の方は念のための見張りだけで、体力を温存してください」
「なるほど、これが噂の……。それにしても、間近で見ると驚くほどの大きさですね。……おお、すごい手際だ。あんなに速く動くクモは初めて見ました。助かります、カケルさん」
騎士が感心したように頷き、周囲に指示を出しに戻っていく。カケルはキャンプの中央に座り、ナビゲーターを介して繋がったキョロとチョロの感覚に意識を集中させた。
(よし、感知網は十分だ。初日から気を張る必要はない——この二匹がいるなら、少しは休める。)
カケルは夜の森の冷気を感じながら、自分の使命を改めて噛み締めていた。
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