第8話
ガレージの前に黒い軍用車両が停まり、片桐が降り立った。
助手席から降りてきたスーツの男は、ガレージの扉を開けた片桐に向けて短く告げた。
「では、早急な対処をお願いします」
その時、男の視線が奥に立つ有坂を捉えた。
男が僅かに細めたその目には、怒りの感情が内包されていた。
視線を無理やりに剥がした男は車へと乗り込み、感情的にドアを叩き閉めた。
排気音が遠ざかる中、有坂が歩み寄ってくる。
「片桐さん……大丈夫でしたか?」
その声には、隠しきれない動揺が混じっていた。
有坂は先ほどのスーツの男に見覚えがあったのだ。
それはかつて、不正な取引データを集める際に協力してくれた男の一人だった。
(僕のしたことが、片桐さんを巻き込んだんじゃ……)
喉の奥がカラカラに乾くような罪悪感と恐怖を必死に押し殺し、有坂は片桐の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、仕事の依頼だ。君達は気にしなくていい」
片桐はコートを脱ぎながら、短く答えた。
「本当ですか? そうは、見えませんでしたが……」
有坂がすがるように食い下がる横から、真白が冷ややかな視線を向けた。
真白の目には、二人の男たちがそれぞれ何かを隠していることが明白に映っていた。
たかが仕事の依頼をするにしては、全てが仰々しすぎる。
そして何より、有坂の怯え方は尋常ではない。
自分の知らない事情があるのだろう。
いや、そもそも一つの屋根の下で共に暮らすこの三人は、お互いのことを深くは知っていない。
片桐がどういう人生を生きてきた結果、この街で何でも屋を営んでいるのか。
有坂はどうしてこの街にいるのか。
そしてその二人は、遠野真白がこの22年間、どういった生き方をしてきたのかを知るはずもない。
だが、その事実を踏まえてもなお、建前ばかりで取り繕う二人への静かな苛立ちが、彼女の口調を鋭くした。
「ねぇ、律。それよりもあれ、あんたの知り合いなの?」
「え?」
「おじさんを迎えに来た時と、送ってきた今。あのスーツの男、あんたを見る目に敵意を感じたわよ」
真白の鋭い指摘に、有坂は息を呑んだ。
それは図星を突かれた人間の、あからさまな動揺だった。
「えっと……あの」
過去の因縁を言い渋る有坂を見て、真白は小さく鼻を鳴らす。
「言いたくないの? それとも言えないの?」
どちらでもよかった。
今の様子を見る限り、どのみち有坂の口から何かが語られることはないだろう。
「まぁ……いいわ」
言い淀む有坂を見て、真白はそれ以上深く追及することなく、あっさりと興味を失ったように視線を外した。
「じゃあ俺は、仕事に行ってくる」
二人のやり取りを背に、片桐は壁際の作業台へ向かい、身支度を始めた。
相手は蟻塚の地下に異常発生した未確認の魔物。
結城が見せた映像から、それらは死体と無機物が融合して生まれた『魔物』で間違いない。
だが、片桐はその事実の奥に『違和感』を覚えていた。
死体と廃棄物が入り混じって放置されることなど、このゲートタウンでは珍しい話ではない。
だが、これまで発生しなかった魔物が、今回に限って同じような姿形で発生している。
そのことが、単なる偶然とは思えなかった。
アビスから現れる自然発生の魔物とは根本的に違う。
死肉と廃棄物を強制的に結びつけ、魔物へと変異させる『未知の要因』が、あの地下には存在しているはずだ。
片桐は思考を巡らせながら、腰のベルトに二本の短剣を吊るし、大光量のタクティカルライトを手に取った。
そして最後に、作業台の引き出しの奥から、使い古されたミントタブレットの空きケースを取り出す。
軽く振ると、シャラシャラと中身の鳴る音がした。
ケースの中には、いざという時に必要となる『飴』が、まだ十分な余裕を持って収まっている。
片桐はそのケースを、ズボンのポケットへと無造作に滑り込ませた。
「……何か、手伝いますか?」
有坂が恐る恐る尋ねてきた。
自分が原因かもしれないという罪悪感を、何か手伝うことでどうにか消化しようと必死だった。
「いや、大丈夫だ。今回の件は俺一人でやる」
だが、有坂のそんな思いを知る由もない片桐は、結城に二人の存在とインフラを脅しの材料にされている以上、間違っても彼らを関わらせるわけにはいかなかった。
「何か変な雰囲気だったから気にしてたけど、問題ないみたいね」
真白が呆れたように言い捨て、上着を羽織る。
「買い物に行ってくるわ」
「え、また?」
有坂が目を丸くして漏らした。
しかし真白はそれには答えず、さっさとガレージを出ていく。
重い沈黙が落ちたガレージの中で、片桐は残された有坂へと視線を向けた。
「一人でも、問題ないな?」
それは真白が出て行き、ガレージで一人留守番をすることになる有坂に対する、片桐の静かな確認だった。
「ええ……大丈夫、ですよ」
有坂の力ない返事を聞き届けた後、片桐もまた必要な装備だけを身に着け、静かにガレージを後にした。




