第6話
蟻塚の一号塔の地下層。
月の明かりも届かないその場所で、不法滞在者の外国人はスマートフォンのライトを頼りに、日課である「漁り」のためにゴミの山をかき分けていた。
湿ったコンクリートの臭いに混じって、鉄錆と強い腐臭が鼻を突く。
一箇所、二箇所と回っているうちに、男はダストシュートが繋がる廃棄区画の壁面に見慣れない亀裂を見つけた。
それはコンクリートが内側から弾け飛んだような不自然な穴だった。
恐る恐るその亀裂の中へ足を踏み入れると、男は目を見張った。
宝が、落ちているのだ。
小銭の入った財布や、上等な服、血にまみれた高級腕時計。
それらが、いったいどこから来たものなのか、男が知る由もない。
ただ欲に駆られた男は、拾い集めた戦利品を抱え、ポケットに押し込みながら、さらに奥へと進んでいった。
だが、奥へ進むにつれ、奇妙な音が耳に届き始める。
それは生き物の声などではなく、『何か』と『何か』をくっつけようとしているような、生々しい音だった。
「……?」
男が歩みを止めて目を凝らすと、暗闇の最奥に、巨大な黒い影が鎮座していた。
バスの車両ほどの大きさを持つその肉塊は、周囲に散乱した死体を呑み込むと、体内で金属バットや鉄パイプなどの無機物を無作為に融合させ、排出している。
そして、排出された『ソレ』は、鉄屑と肉片で組み上げられた、巨大な蟻のような姿をしているのだった。
アビスの自然発生的な融合とは違う、まるで子供が適当に組み立てたブロック玩具のように不自然で不格好な姿をした、不完全な魔物。
働き蟻のような魔物を産み落とし続ける、バスほどの大きさの母体。
その悍ましい生態系から連想された言葉が、男の口を突いて出た。
「……Is that a queen ant?(あれは、女王蟻?)」
男が呆然とその光景を表現した、次の瞬間。
背後の死角から這い寄っていた者の顎が、男の首を容易く噛みちぎった。
*
突然舞い込んだ依頼を解決した、その翌日。
片桐の事務所の薄暗いガレージには、奇妙な倦怠感が漂っていた。
「あんだけ大立ち回りして、たったの三十万って。自分でおかしいと思わなかったの?」
折り畳み式のパイプ椅子に座る有坂を、真白は冷ややかな目で見下ろして容赦なく詰め寄っていた。
「そ、そうは言うけど……彼女だってこれから生きていく為にお金は必要だし、それなのに三十万円もくれたんだから、いいじゃないか……って……思ったんだけど……」
有坂の勢いは真白の無言の表情によって徐々に衰えていく。
片桐は壁際の作業台に寄りかかりながら、無言で小さく息を吐いた。
女がコートの下から札束を出した際、それが十束に近い数であることを見ていた。
だから彼女が指を三本立てた時、片桐は当然「三百万」で話がついたのだと思っていた。
だが、あの強かな女は、有坂の本質を瞬時に見抜き、言葉巧みに丸め込んで三十万しか渡さなかったのだろう。
(仕方がない……か)
片桐は内心で諦観する。
ブランド品に目が利き、ある種の交渉事に秀でていても、処世術に長けている人間の前では有坂のような上流階級の『坊ちゃん』などいいカモでしかない。
(……しかしな)
当面の生活費としては十分だが、これから先も必ず必要になる『飴』の代金や、真白からの依頼を準備する費用には到底足りない。
(目処が立った、と思ったんだが)
頭を切り替えるしかない。
「真白、君の父親を探すのはもう少し先になりそうだ」
それは、不用意な一言であった。
「はぁ!?」
と真白が声を上げる。
「どういうこと?こいつが報酬を誤魔化されたせいであたしの依頼がまた遅れるって?」
真白は今にも有坂を引っ叩きそうな勢いで責め続けていた。
片桐がそんな二人を見ながら頭を掻いていると、ガレージの窓の外から、重低音のエンジン音が響いてきた。
ゲートタウンのガタガタの悪路をねじ伏せるような、野太い排気音。
窓から見えたのは、軍が使用するような強固な装甲を持つ、艶消しの黒いオフロード車だった。
インフラが崩壊し、徒歩か自転車しか使い物にならないこの街で、あんな車を乗り回せる人間など限られている。
(だが、どこの人間だ?)
ゆっくりと車から降りてきたのは、質の良いダークスーツを着た男だった。
「失礼します」
男がガレージの中へ入ってきた直後、一通り室内を見渡した視線が有坂を捉え、鉄面皮に僅かな驚きの色が走った。
「あ……あれ?」
有坂も男の顔に気づき、思わず声をかけようとした。
だが、男は極めて冷徹な視線と、わずかに上げた手のひらで有坂を制した。
その無言の圧力に、有坂は口を閉ざさざるを得なかった。
男はすぐさま視線を切り、真っ直ぐに片桐へと歩み寄った。
「片桐 宗介さんですね。同行をお願いします」
事務的で、一切の感情を感じさせない無機質な声。
「突然現れて、その言い分が通用しないのは分かっているだろう?せめて理由を教えてくれないか」
片桐の言葉に、スーツの男は表情一つ変えずに淡々と答えた。
「蟻塚の件です。……ここで詳細をお話しして、都合が悪くなるのはあなたの方ですよ」
その言葉に、片桐は動きを止めた。
蟻塚の件、と言われ、近いところでの心当たりは確かにある。
少し前に教団の残党を処理し、その死体を住民に任せた。
そしてつい昨日の話だ。
女を追う半グレたちを蟻塚に誘い込み、住民達に好きにさせた。
だが、それがどうして呼び出される理由となるのかは分からない。
とはいえここでこれ以上言葉を重ねては、教団の残党を処理していたことを隠していた意味がなくなる。
「……わかった」
片桐は短く呟き、作業台に置いてあったコートを手に取った。
「片桐さん、どういうことですか?」
「留守番を頼む」
有坂の疑問に答えられるはずもなく、片桐は一人で軍用オフロード車の後部座席へと乗り込んだ。
重いドアが閉まり、街の泥濘を削るようにして、黒い車は走り去っていった。




