第6話
「あのお嬢ちゃんの知り合いかい?」
男の一人が、窮屈そうに首元の服を直しながら口を開く。
「まぁ、だとしても、追わせるわけにはいかないんだけどね」
有坂に、男達へ構っている余裕などない。
すでに真白の姿は見えなくなっている。
行かなくては。
有坂は足元の水たまりに転がっている空き缶と、手のひら大の硬い瓦礫に視線を落とした。
「おいおいおい、こいつビビってんじゃねぇの?」
別の男が有坂を指さして隣の男に話しかけた次の瞬間、有坂はそれらを男たちの顔面スレスレへと正確に蹴り上げた。
暴力でねじ伏せる気持ちは毛頭ないが、脚力とコントロールには確固たる自信がある。
あえて反応される速度で蹴り上げた物体は、男たちを反射的に怯ませた。
その隙を突き、有坂は包囲の開いた箇所を一気に突破する。
あっという間に置き去りにしてきた背後で、男たちの怒声が上がるのを無視し、有坂は暗い路地裏の奥へと急いだ。
突き当たりに近い廃墟の影。
そこに飛び込んだ有坂は、予想外の光景に目を丸くした。
真白を誘い込んだはずの男が、泥水の中に蹲っている。
腕を不自然な方向に極められ、完全に戦意を喪失していた。
「どういうつもりなのか、答えなさい」
真白は男を見下ろし、冷たい声で尋問していた。
男は苦痛に顔を歪めながら、雇い主が巫女の儀式を行っていた教団の残党であることをあっさりと吐露した。
有坂が状況を飲み込めず、唖然としていると、背後から先ほどの男たちが追いついてくる。
ざっと三人。
皆一様に粗悪な防具を身につけ、その手には錆びた鉄パイプやナイフが握られていた。
「あんたはそこでこいつを見てて」
有坂の姿に気づいた真白は、苛立ちを隠そうともせず、男達の前に出た。
先頭の男が、鉄パイプを振りかぶって無造作に突っ込んでくる。
真白はそれを躱すのではなく、低く身を沈めて男の懐に潜り込んだ。
女の力で打撃を与えても致命傷にはならない。
それを彼女はよく理解していた。
彼女は男の衣服を強く掴むと、突進の勢いを利用して相手の重心を崩して下へと引き落とし、そのまま硬いアスファルトの地面へ顔面を力任せに叩きつけた。
鈍い音が響き、男が崩れ落ちる。
初動こそ上手く立ち回った真白だったが、多勢に無勢の状況はすぐに覆る。
それを見て悪態をつく別の男が、背後から真白の首元へ手を伸ばした。
直後、有坂は足元の濡れて重くなったロープの切れ端を蹴り上げ、男の顔面に正確に命中させた。
体勢を崩した男の隙を突き、有坂は真白の腕を引いた。
「ちょっと!まだ残ってる!」
まだやり足りない真白の恨み言を聞きながら、有坂は真白を連れて路地裏から逃走した。
雨の中を駆け抜け、安全な大通りまで戻ってから、有坂は荒い息を吐いた。
「……少しは、自分の身の危険を考えてください」
有坂が咎めると、真白は悪びれる様子もなく言い返した。
「馬鹿ね。あんたがずっと見てたのは気づいてた。だからあえてついて行ったのよ」
「だとしても、相手がどんな連中か分からない状況で――」
「これくらいしないと、あんたにも、あいつにも、あたしが本気だと分かってもらえないでしょ。ただ待ってるだけじゃ、誰もあたしをアビスには連れて行ってくれないもの」
全部演技だったのか、と有坂は開いた口が塞がらなかった。
たどたどしい有坂の反論を遮るように、真白は自らの正当性を捲し立てていく。
それは理屈としては通っていたし、実際、彼女は一人で相手を制圧しかけていた。
騙されたような感覚に、有坂が僅かに覚えた苛立ちを言葉にしようとした、その時だった。
ふと訪れた沈黙の中、胸元で腕を組む彼女の指先が、微かに震えているのが見て取れた。
降りしきる雨の冷たさだけが原因ではない。
自分ではうまく誤魔化せていると思っていた教団の残党が、スクレイパー崩れを雇い攫おうとしてきた事実。
計算通りに動いていたはずの彼女だからこそ、予想外の事態に強い恐怖を感じていたのだ。
饒舌な言葉は、その恐怖を塗り潰すための強がりだった。
それに気づいた有坂は、それ以上追及することをやめた。
「……帰りましょう。このままじゃ風邪を引いてしまいます」
有坂は短く告げ、彼女を連れて事務所へと歩き出した。
同じ頃。
片桐は冷たい雨の中を歩きながら、ようやく会えた六條と交わした会話を反芻していた。
現場で採取した粘液のサンプルから、痕跡の主が『蛭子』であることは間違いないという。
六條としては、ダイバー組織であるR.I.N.G.Sとして正式に対応したい方針だった。
しかし、相手がオリジンである蛭子となれば、上層部はそう簡単に動かない。
『それを、どうして俺に教えない』
片桐の問いに対し、六條は煙草の煙を吐き出しながら視線を逸らした。
『そんな答えじゃ、お前は納得しないだろ』
だがそれは、明らかに本心を隠すための誤魔化しだった。
六條は話を意図的に変え、かつて巫女として利用されていた少女、日和の近況を語り始めた。
そうなると片桐としてもその話に付き合わざるを得ない。
そして、『そういえば』と付け加えるように、六條は話を本題へと移す。
それは以前、古い仲間である上川に儀式を行っていた教団を潰してもらった後のこと。
『それでも往生際の悪い連中が何人か、コソコソと動いているらしい』
その連中は、ある女を探しているというのだ。
『そいつらは、自分たちが失敗したのは遠野真白って女が原因だと息巻いているらしい。知ってるか?』
六條の問いに片桐が顔をしかめると、六條はさらに言葉を重ねた。
『どうやらすでに知り合いのようだな。でだ、後始末の一環として調べてみたんだが、意外なことがわかったよ』
『……何だ』
『その遠野真白って子な。お前の知ってる人間の娘だったんだ』
思考を中途半端に回しながら、片桐は自らの事務所の扉を開けた。
「……」
片桐の思考は、そこで強制的に途切れた。
ガレージの中には有坂と、なぜか真白が揃って座っていたからだ。
「遅かったわね」
拭いた後のタオルを頭に乗せたまま、勝気な目でこちらを見上げる真白。
その顔を見た瞬間、六條から告げられた最後の情報が、片桐の脳裏で思い起こされる。
『彼女の父親は、斑さんだよ』




