巫女 最終話
ありがとう、そうお礼を言った三白眼の女は、戸惑う有坂とシンに構うことなく続ける。
「とはいえ、御奉賛サマ達はお冠だし、司祭役のクソ野郎はいつの間にか逃げてるし、オオサキは死んでるし」
女は深くソファに背中を預け、天井を仰ぎ見ながら恨み言を並べる。
そして、横目で片桐を鋭く睨みつけた。
「まったく。再起不能くらいにしておいてくれればよかったのに、まさか殺すなんてね。おかげでこっちは事後処理でへとへとよ」
片桐は、目の前で遠慮なく悪態をつく女の顔をまじまじと見つめた。
弥生ちゃんのお面の中身がこの女だということは予想していたが、教団で見せていた『澄ました顔』から、この『ガサツな話し方』が直接出力されているのを目の当たりにするのは初めてだ。
まるで設定を間違えた吹き替え映画を見せられているような、映像と音声の致命的なズレ。
その強烈な違和感に、片桐は思わず眉間を揉んだ。
毒気を抜かれたように内心で呆れる片桐は、有坂の戸惑う視線に気づくと、咥えていた煙草の灰を携帯灰皿に落として淡々と答えた。
「今回の依頼主だ。教団内部から俺に手紙を送ってきた張本人だよ」
「あたし、遠野真白」
真白と名乗った女は、ソファに沈んだまま気怠げにそう言うと、ふと、血と埃に塗れた片桐と、同じように酷く煤けている有坂とシンを順番に見やった。
「今回の件、改めてお礼を言うわ。本当に……ありがとう」
真白は深く息を吐いて宙を見上げた。
「あたし、これまでにも何度かあのふざけた儀式に駆り出されててね。そろそろあの子の体が限界だったし、どうにかして儀式ごと潰さないとって思って、依頼をしたわけ」
真白の言葉の端々には、教団の上層部に対する明らかな軽蔑が混じっていた。
「教団の内部にいるんだ。自分でどうにかできなかったのか」
片桐が尋ねると、真白は悲しそうに笑った。
「無理よ。多少の護身術は心得てるけど、あのオオサキって化け物を相手に正面からやり合えるわけないじゃない。それに、あいつはやたらと勘が良くてね。こないだあたしが手引きした『魔物誘拐』の件も、内部に裏切り者がいるんじゃないかって、ずっと嗅ぎ回ってたのよ。あたしが動けば一発でバレるわ」
だから、自分ではなく片桐という駒を使った。
真白は悪びれる様子もなくそう言い切った。
その図太い合理性に、片桐は僅かに目を細める。
「まぁ……事情はどうあれ、依頼は完遂した。あの子の今後についても問題ないよう手配しておいた。残りの報酬はきっちり払ってもらうぞ」
「そりゃ払うわよ。約束だもの」
真白はあっさりと頷き、持っていた小さなバッグから封筒を取り出してローテーブルに放り投げた。
「とりあえず今払える全額はこれだけ。これでも足りなければ用意するわ。どれだけ時間がかかってもね。でも」
と彼女の三白眼に、どこか意地悪な色が浮かんでいた。
「あんた、腕が立つ割には随分と軽率なことをするじゃない」
「何の話だ」
片桐が眉をひそめる。
真白はソファの上で体勢を立て直し、ふらふらと立ったままの有坂に、その鋭い視線を向けた。
「あんた、『あの』有坂でしょ?」
一瞬の後、有坂の表情が強張った。
「情報ってね、ある程度の立場にいると勝手に入ってくるのよ」
真白はニヤリと笑う。
「自分のところの不正取引データを持ち出して、その後死亡。バカなことするお坊ちゃんがいるもんだって思ってたけど、生きてたのね」
真白は憐憫の眼差しを有坂に向ける。
「だけど、あんな場所で大声で名前を呼ばれて。……騒いでた御奉賛の中には色んなお偉いサンもいる。もしかしたら、あんたの顔を知ってる人間もいたかもしれないわよ」
事後処理の苦労を押し付けられた腹いせか、真白の口調には明らかにストレスを発散しようとしている響きがあった。
「確かに僕は……片桐さんに言われて、勢いのまま飛び出しちゃいましたけど……気づかれるものでしょうか」
有坂の声は震えていた。
「あのね、あたしでさえ、よ?あんたのことを知ってる人間がいたら当然気づくわよ」
真白の容赦ない宣告に、彼は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、「片桐さん……どうしよう、身バレってヤバいんじゃ……」とすがりついた。
だが、片桐の反応は驚くほど淡白だった。
「気にすることはない。君はこのゲートタウンに来たばかりだし、データの持ち出しにしても一社員の仕業だと世間ではあっという間に忘れられる。これからは偽名でも使って、適当に誤魔化していけば問題ないだろう」
「違うんです!」
有坂が、悲鳴のような声を上げた。その尋常ではない取り乱し方に、片桐と真白が同時に彼を見る。
「落ち着け。たかが名前を知られたくらいで――」
有坂は両手で顔を覆い、絞り出すように真実を吐き出した。
「僕は……僕があの時不正データを持ち出したのは、正義感からでした。でも、結局自分じゃ何もできなくて……死んだことにまでなったのに……」
静寂が降りた。
ストーブの火が、チリチリと音を立てて燃える音だけが響く。
「片桐さん、今までお話してませんでしたが、僕の父は……イリス・キャピタルの代表をしています」
片桐はゆっくりと瞬きをした。
イリス・キャピタル。日本のインフラと金融を牛耳る、巨大企業。
そんな会社を裏切り、結果死んだことになっている御曹司。
それが生きていると知れ渡れば、下手をすれば政治論争にまで発展しかねない。
あのオークション会場に集まっていた御奉賛の中には政界関係者もいた。
そんな場で片桐自身が「有坂」と大声で呼んでしまっているということは。
「六條はその事を……」
片桐の問いに、有坂は悲しそうな顔で頷く。
「…………」
片桐は無言のまま、右手で顔を覆い、深く、ひどく重い溜息を吐き出した。
(六條、あいつ……)
完璧に偽装されていたはずの有坂の「死」を、あろうことか自分自身の口から台無しにしてしまったのだ。
もし有坂の存在がこの後世間に知れ渡るようなことになれば、それは紛れもなく片桐の過失によるものとなる。
「……呆れた。素性も知らずに一緒にいたの? あんたたち、どういう関係なのよ」
真白が眉を寄せ、その後楽しげに笑った。
「ま、せいぜい、寝首を掻かれないように気をつけることね。あたしはもう帰るわ。……じゃ、また来るわね」
真白はローテーブルを軽く叩き、言い逃げするように立ち上がると、入ってきた時よりも上機嫌でカツカツとヒールを鳴らしてガレージから出て行った。
戸が閉まる音が、不自然に大きく響く。
残されたのは、顔面蒼白で立ち尽くす有坂と、状況が分からず戸惑うシン。
そして、己の軽率さが招いた最悪の盤面を前に、頭を抱える片桐だけだった。
「片桐さん……僕、これからどうすれば……」
涙目になっている有坂を見上げ、片桐は歯噛みする。
「……俺の仕事には関わらせない、つもりだったが」
片桐の声は、先ほどまでのドライな響きを失い、諦念を含んでひどく重くなっていた。
「そうも言ってられなくなった。何か、考えるよ」
それは、六條に押し付けられただけの面倒事が、片桐自身の過失によって「自らの手で守らねばならない正式な同居人」へと変わった瞬間だった。




