第17話
深夜のガレージは、底冷えのする静寂に包まれていた。
片桐がシャッター横のドアを開けて中へ入ると、奥の居住スペースから微かな明かりと、石油ストーブの匂いが漏れてきた。
「片桐さん……!」
足音に気づいた有坂が、スプリングのへたったソファから弾かれたように立ち上がった。
その隣では、シンが毛布にくるまりながらも、安堵したように息を吐いている。
血に汚れたコートを地下クリニックに捨ててきた片桐は、シャツ越しの脇腹を庇うようにゆっくりと歩を進め、パイプ椅子に腰を下ろした。
「……随分と早く帰り着いたな。どうやってあの騒ぎから抜け出した」
「二階のフードコートのところのガラスが割れてて、そこから入ってきたので帰りも……」
「追われてないな?」
「はい、彼を抱えて、全力で走ったので、大丈夫だと……それで、あの女の子は無事なんですか?」
有坂がすがるような目を向けてくる。
片桐はローテーブルの上の煙草に手を伸ばしながら、短く答えた。
「知り合いの医者に預けてきた。追手の心配もない。……本来なら、勝手についてきたことを咎めるところだが」
ライターの火が、片桐の疲労した顔を微かに照らす。
「結果的に、君たちの乱入のおかげで間に合った。……助かったよ」
その言葉に、有坂は深く肩の力を抜いたが、シンの瞳にはまだ鋭い動揺が残っていた。
「……日和、大丈夫なのかよ」
シンが掠れた声で口を開いた。
少女の名前を出すその声は、隠しきれない脆さを孕んで震えている。
「知り合い、だったんだな」
片桐の問いに、シンは力げなく頷く。
「あいつは、教団の支援で里親が見つかって、この街を出たんだ。よかったなって、みんなで見送って。外に出られれば、もうひもじい思いもしないで済むし、まともな教育を受けられるだろ。なのに、なんであんな……酷いことさせられてたんだよ。あいつは、これからどうなるんだ?」
ゲートタウンで孤児、もしくはストリートチルドレンとして生きていく子供たちにとって、教団の「慈善事業」はまさに『希望』だった。
片桐は煙を吐き出し、彼の不安を断ち切るように真っ直ぐに見据えた。
「あの子の今後についても、問題ないよう手配した。教団の中にもまとも奴はいる。俺の知り合いだが、そいつに引き渡して、あの儀式を行った奴らを必ず潰す。あんな真似は二度とさせないから……安心しろ」
「……そっか。なら、いいけど」
シンはそれ以上何も言わず、膝を抱えて顔を埋めた。
シンが今、震える拳を隠しているのは、日和への心配はもちろんのこと、それ以上に、弥生の理が「善意の仮面を被った化け物」であったことへの『絶望』だった。
張り詰めていた空気がようやく弛緩した、その時。
ノックも、来訪を告げるインターホンの音もなかった。
シャッター横のドアが乱暴に開き、カツカツという硬質なヒールの音がガレージのコンクリート床に響いた。
「ああもう、最悪。本当に疲れたわ」
現れたのは、黒いタートルネックに身を包んだ、三白眼の女だった。
彼女は片桐たちの怪訝な視線を気にする素振りすら見せず、有坂とシンの間を割って入るように進み出ると、「ちょっとどいて」と手で払い、客用に用意されたソファの真ん中へ、文字通り倒れ込むように沈み込んだ。
「あ、あんたたち、今日はありがと」
女はそう言って白い歯を見せて笑った。




