第6話「頭の中の住人たち」
地下施設の無機質な空気の中、澪は表情を和らげたまま、静かに俺を見る。
「……今度は、翔の番ね」
「……俺?」
思わず間の抜けた声が出た。
NABだの施設だの聞かされた直後に、今度は俺?
「何を話せっていうんだよ」
そう返すと、澪はほんのわずかに口元を緩める。
けど、それはどこか昔から全部知ってるみたいな、妙に落ち着いた笑みだった。
「……紹介してくれないかしら」
「紹介?」
「あなたの中にいる人達を」
その言葉に、一瞬だけ思考が止まる。
……ああ。そっちか。
改めて言われると、なんか妙な気分だ。
自分の中にいる人格を“紹介”するって。
転校生か何かかよ。
「……なんで自己紹介大会みたいになってんだよ」
思わず額を押さえる。
だが、頭の奥では案の定、面白がる気配が一気に増えた。
「……お前ら、順番な」
そう念押しした瞬間。
ふっと、身体の感覚が切り替わる。
◇ ◇ ◇
最初に前へ出たのは、“僕”だった。
ふっと、身体を包む空気が柔らかく変わる。
さっきまでの緊張や警戒心が静かに薄れ、代わりに現れたのは、ひどく儚くて守らなきゃいけないような存在感。
髪は雪みたいに柔らかな淡い白銀。
全体的に少し長めで、幼さの残る顔立ちをより繊細に見せていた。
瞳もまた淡く、澄んでいて、どこか怯えたように揺らいでいる。
服装は白を基調にしたゆったりしたパーカーに淡灰色のパンツ。
ただ静かで、無垢で、小柄で華奢な身体つきだ。
『……えっと、初めまして。僕は、“僕”……翔を守るためにいるんだ』
声も少し幼く、柔らかい。
少しだけ不安そうに、それでも澪を見る。
「……この子が、守るための人格」
澪が少しだけ目を細める。
(……一番臆病だけどな)
そう零すと、僕は少しだけ困ったように視線を伏せた。
『でも、ちゃんと守るよ』
◇ ◇ ◇
次に出たのは、”お嬢”だった。
彼女が現れた瞬間、空気そのものが一気に華やいだ。
髪は鮮やかなローズピンク。
大きく巻かれた縦ロールが左右で華やかに揺れ、黒いリボンと薔薇の髪飾りが、その気品をさらに際立たせている。
瞳は鮮烈な赤。
可憐さを感じさせながらも、その奥には獲物を逃さない強気な光が宿っていた。
服装は深紅を基調にしたフリルドレス。
幾重にも重なるレース、胸元の装飾、大きな背面リボン――まるで貴族のお嬢様そのもの。
お嬢はスカートの裾を優雅につまみ、澪へ一礼する。
『ごきげんよう、澪さん』
完璧なお嬢様の所作。
けれどその姿は、どう見ても普通のお嬢様じゃない。
――優雅で苛烈。
それが、お嬢だった。
「……随分、華やかなのね」
澪の率直な感想に、お嬢は優雅に微笑む。
『ええ。美しく、苛烈に――が信条ですの』
(見た目に反して一番物騒なんだよ、こいつ)
『あら、失礼ですわね』
◇ ◇ ◇
次に空気を塗り替えたのは、静けさだった。
熱も、華やかさも引いていく。
代わりにそこに立っていたのは、知性そのものを形にしたような“賢者”。
夜空にも似た深い青の長髪が、腰を越えるほどまっすぐに流れ、その姿に静かな威厳を与えている。
細身の眼鏡越しに覗く瞳は冷静で、感情より先に本質を見抜くような鋭さがあった。
服装は白と藍を基調にした、ローブのような長衣。
和装にも似た落ち着いた意匠に、幾重にも重なる装飾や魔術的な意匠が知的な雰囲気を際立たせている。
賢者はゆっくりと眼鏡を押し上げ、澪を見る。
『初めまして。賢者です。以後、お見知り置きを』
その声は落ち着いていて、無駄がない。
その一言だけで“頭の回転が違う”とわかるような、圧倒的な知性が滲んでいた。
「……本当に、それぞれ別人みたい」
澪の呟きに、賢者はわずかに目を細める。
『厳密には“別側面”ですが、概ね認識は正しいかと』
(言い回しまで理屈っぽいんだよな……)
◇ ◇ ◇
次の瞬間、理性は熱に焼き切られた。
空気が一気に荒れる。
静けさも、気品も、知性も吹き飛ばすような、剥き出しの闘争心。
そこに立っていたのは、“戦闘狂”。
燃えるように荒々しく跳ねるその紅髪は、まるで感情そのものを隠す気がないみたいに獰猛で、見るだけで危うさが伝わってくる。
無駄を削ぎ落とした戦闘特化の肉体に、傷跡と包帯が無数に刻まれている。
黒のダメージパンツに、ボロボロのノースリーブパーカー。
着飾る気なんて一切ない。
戦闘狂は口元を吊り上げ、ギラついた笑みを浮かべる。
『……戦闘狂だ。次はもっと派手に暴れさせろ』
そう言い放つ姿は、どう見ても“普通”から最も遠い。
――戦うために、生きている。
それが、戦闘狂だった。
「……一番、扱いが大変そうね」
澪がわずかに警戒を滲ませる。
『はぁ!?心外だなオイ!』
(説得力ゼロなんだよ)
『ぶっ飛ばすぞ!翔!』
◇ ◇ ◇
最後に――空気そのものが、変質した。
冷える、というより、空間そのものが歪む。
息が詰まるような圧迫感。
底の見えない悪意。
そこに立っていたのは、“悪の権化”。
闇をそのまま形にしたような黒髪が、不規則に揺れ、その姿に不気味な妖しさを与えている。
黒を基調にしたロングコートを着ており、裾から滲む紫黒の靄が、その存在を“人間らしさ”から遠ざけていた。
まるで、影そのものを纏っているみたいだった。
瞳は黒く、深く、覗き込めば、そのまま呑まれそうなほど底がない。
穏やかな笑み。
――けれど、それは決して優しさじゃない。
相手を壊すことすら愉しみに変える側の微笑み。
『……やぁ、澪』
悪は、優雅に手を差し出すような仕草すら見せながら、ゆるやかに嗤う。
その声は甘い。
けれど、背筋を這うのは本能的な恐怖だった。
「……翔っ」
澪の表情が、初めてはっきりと強張る。
その短い呼びかけだけで十分だった。
(わかってる。こいつは、長く出させない)
そう言った瞬間、悪は愉しげに嗤った。
『……つれないなぁ』
◇ ◇ ◇
悪の気配が薄れた瞬間、張り詰めていた地下空間の空気がようやく少しだけ緩んだ。
「……っ、はぁ」
身体の感覚が、ようやく“俺”に戻る。
見慣れた自分の手。聞き慣れた自分の呼吸。
……いや、見慣れてるはずなのに、今の一通りをやった後だと逆に普通って何だっけって気分になる。
正直、どっと疲れる。
俺は軽く首を鳴らしながら、なんとも言えない気まずさをごまかすように頭をかいた。
「……とまぁ、こんな感じだ」
我ながら雑な締め方だとは思う。
思うけど、他にどうしろっていうんだ。
“これが俺の頭の中です”なんて丁寧に説明したところで、大分どうかしてるし。
地下施設の白い光の中、澪はしばらく何も言わなかった。
驚いているのか、整理しているのか、あるいはその両方か。
「……本当に、賑やかなのね」
その言葉に、思わずなんとも言えない顔になる。
いやまあ、否定はできない。
「……好きでこうなったわけじゃないんだけどな」
半分呆れ、半分本音だった。
こっちだって、望んで頭の中が人格シェアハウス状態になったわけじゃない。
もう少しこう……普通に、静かに生きられるならその方が絶対楽だった。
けれどそんな俺のぼやきに、澪はほんの少しだけ目を細める。
呆れたような、でも少しだけ安心したような複雑な表情。
「……そうね。でも」
澪は俺を見る。
研究対象でもなく。被検体でもなく。
ちゃんと、“翔”として。
「少なくとも、あなたが一人じゃない理由はよくわかったわ」
「……それ、慰めになってるのか?」
「ふふ」
ほんの小さく、澪が笑う。
それは今日ここへ来てから初めて見るくらい、少しだけ自然な笑みだった。
状況は何一つ軽くなってない。
むしろ面倒ごとは山積みだ。
それでもほんの少しだけ、この地下空間に流れる空気は、さっきまでより息苦しくなかった。
……本当に。
とんでもない一日だ。
僕『……ちゃんと挨拶できてたかな』
お嬢『わたくしは完璧でしたわね♪』
賢者『理性的な説明は必要ですから』
戦闘狂『ハッ!オレが一番インパクトあっただろ!』
悪の権化『……ボクだけ、あっさりじゃない?』
翔「お前だけ方向性違うんだよ」
澪「次回、『静かな猶予』今のうちに休んで」




