第48話「五つの想い」
――ドクン。
心臓が大きく脈打つ。
その鼓動と共に、閉ざされていた意識が一気に浮かび上がった。
「……ッ!」
勢いよく目を見開く。
視界へ飛び込んできたのは、崩れた中央制御区画だった。
砕け散った床。
抉られた壁。
そして、鼻を突く鉄臭い血の匂い。
さっきまでいた白い世界はもうどこにもない。
「……戻って来た、のか」
ゆっくりと身体を起こす。
全身の痛みは消えていない。
それでも、不思議と心は驚くほど静かだった。
「ほう……まだ生きているとはな」
少し離れた場所から、一条の声が響く。
眼鏡の奥の瞳が、興味深そうに俺を見据えていた。
「手を抜きすぎたか」
俺は立ち上がり、一条を真っ直ぐ見据える。
その瞬間、一条の眉がわずかに動いた。
「ほう。その目、先程までとは違うな。勝算でもあるのかね?」
俺は胸へそっと右手を添える。
もう、あいつらの声は聞こえない。
それでも、その温もりだけは確かに感じていた。
「当然だ。俺には、こいつらがいる」
その言葉を聞いた一条は、わずかに目を細める。
「ならば、確かめさせてもらおう。第一人格」
一条の瞳から感情が消え、右手がゆっくりと俺へ向けられる。
『終わりだ』
周囲の空気が一点へ圧縮されるように収束し、目には見えない莫大な圧力が右手の前へ凝縮されていった。
ドンッ!!
刹那、収束された衝撃波が一直線に放たれる。
それは先程、悪の権化と僕の胸を容易く貫いた、必殺の一撃だった。
今度こそ俺を確実に仕留めるつもりなのだろう。
「遅い!」
床を蹴った瞬間、身体が弾けるように前へ飛び出した。
視界の景色は一瞬で流れ去り、耳元では風が鋭く唸る。
『何……!?』
第一人格が初めて明確な動揺を見せる。
だが、奴が気付いた時には、すでに懐へ潜り込んでいる。
腰を深く落とし、全身の力を拳へ乗せた。
「はぁぁぁぁっ!!」
鈍い衝撃音が響き、渾身のボディブローが一条の腹部へ深々と突き刺さった。
「がっ……!?」
一条は苦しげに呻き声を漏らすと、その場へ膝をついた。
「ぐっ……この身体能力……まさか、近接人格の!」
驚愕の表情を浮かべる一条は、間髪入れず叫ぶ。
「第三人格!」
その声に応えるように全身へ岩石が次々と纏わり付き、重厚な鎧となって身体を覆い始める。
「なら――」
俺は右手を前へ差し出した。
掌へ集まった光は瞬く間に一挺のウィンチェスターM1887を形作り、俺は迷うことなく銃口を一条へ向ける。
ドォンッ!!
轟音と共に放たれた散弾が岩石装甲へ炸裂し、無数の岩片が辺りへ飛び散った。
さらに間髪入れず二発、三発と撃ち込み続けると、岩石には蜘蛛の巣状の亀裂が広がり、
やがて耐え切れなくなった装甲は激しい破砕音と共に砕け散る。
「そんな馬鹿な……!第四人格!」
焦りを滲ませた一条の声と共に、その姿は音もなく掻き消えた。
視界から完全に消失した一条を見失うことはなかった。
肌を刺すような殺気が、背後から一気に迫ってくる。
「そこだ!」
振り向きざまに一歩だけ横へ踏み出す。
その直後、目の前の空間が歪み、一条が鋭いナイフを振りかざしたまま姿を現した。
『なっ――!?』
狙いを外されたことに動揺した第四人格へ、右手を静かにかざす。
「――氷結」
足元から青白い冷気が一気に噴き上がり、一条の両足を中心に瞬く間に氷が全身へと這い上がっていく。
『しまっ――!』
叫ぶよりも早く、身体を捻りながら拳を振り抜いた。
ドゴォッ!!
鈍い衝撃音が響き渡り、拳は顔面を正確に捉える。
砕け散った氷片を撒き散らしながら一条の身体は大きく吹き飛んだ。
「ぐっ……!第二人格!」
一条は倒れながらもすぐさま口を開いた。
両腕が大きく振り抜かれ、幾重もの斬撃が暴風のように室内を埋め尽くした。
床は抉れ、壁は裂け、空気そのものが悲鳴を上げる。
それでも一歩も退かない。
透明なバリアを身体の前へ展開すると、次々と叩き付けられる斬撃を受け止めながら真正面から駆け抜けていく。
激しい衝撃が全身を襲う。
それでもバリアは砕けない。
「はぁぁぁぁっ!!」
雄叫びと共にさらに踏み込み、ついに第二人格の懐へ飛び込む。
『来るなっ!』
なおも放たれる斬撃を意に介さず、右、左、腹部、顎へと拳を叩き込み続けた。
連続して炸裂する打撃に一条の身体は大きく仰け反った。
『ぐあぁぁっ!!』
「くっ……第三人格――!」
焦った一条は無理やり人格を切り替えようとする。
だが、その瞬間にはもう遅かった。
「終わりだ!」
静かに一条の肩へ手を置く。
「なっ……!?」
触れた瞬間、一条の身体がびくりと震える。
慌てたように俺の手を振り払うと、数歩よろめきながら後ずさった。
「……何をした?」
その声には、先程までの余裕は欠片も残っていなかった。
「お前に”罪悪感”を植え付けた。いや……正確には違う。お前がずっと目を背けてきた罪を、お前自身に向き合わせただけだ」
一条は眉をひそめ、首を横へ振る。
「なん……だと?そんなもの……私に通用するはずが――」
言葉が止まった。
「っ……!」
突然、一条は頭を押さえ、その場へ膝をつく。
肩が小刻みに震え、呼吸が目に見えて乱れていく。
「なんだ……これは……!」
苦しげに呟きながら何度も頭を振る。
まるで何かを必死に振り払おうとしているようだった。
「やめろ……やめろ……!」
その叫びは次第に大きくなり、一条は耳を塞ぐように頭を抱え込んだ。
「違う……!私は……!!」
一条は何度も首を横へ振り、震える声で叫び続ける。
「私が悪かった……!だから……!」
涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、一条は俺へ縋るように手を伸ばす。
「許してくれ……!」
その声は震え、もはや先程までの冷静な研究者の面影はない。
「頼む……!許してくれええええええ!!」
絶叫が中央制御区画へ響き渡る。
そんな一条を静かに見下ろす。
「それがお前の報いだ。お前はこれから先、一生、その罪の意識に苛まれながら生きていけ。もう、お前は自分の罪から逃げられない」
ゆっくりと踵を返し、一歩、また一歩と歩き出す。
もう振り返らない。
あいつにかける言葉は、もう何一つ残っていなかった。
「許してくれぇぇぇぇぇっ!!」
崩れた中央制御区画には、一条の叫び声だけが虚しく響き渡っていた。
その叫びを背に、一度も振り返ることなく歩き続けた。
僕『……全部、終わったんだね』
お嬢『ようやく平穏な日々が訪れますわ』
賢者『ですが、本当の意味での結末は、その先にあります』
戦闘狂『へっ、最後くらい肩の力抜いていこうぜ!』
悪の権化『ククッ……さて、どんな結末が待ってるのかな?』
翔「次回、最終話『穏やかな日常』――ようやく、帰ってこられた」




