第47話「継承と覚悟」
――暗い。
何も見えない。
何も聞こえない。
俺の意識は深い闇の中を、ただ静かに漂っていた。
やがて、その闇の向こうから微かな光が差し込む。
光は少しずつ広がり、閉ざされていた視界をゆっくりと白く染め上げていく。
気が付くと、どこまでも白く広がる空間へ立っていた。
天井も床もない。
果てすら見えない白い世界。
「……ここは」
思わず辺りを見回す。
人の気配もなく、物音一つ聞こえない。
耳が痛くなるほどの静寂だけが、この空間を支配していた。
「俺……死ぬのか」
自然と漏れたその呟きは、白い世界へ虚しく溶けていく。
『まだです』
静寂を破ったのは、聞き慣れた落ち着いた声だった。
弾かれたように振り返る。
そこには少し離れた場所で、五人の人格達が立っていた。
全員が、先ほどの戦いで負った傷をその身に残している。
胸を押さえる僕。
身体を斬り裂かれたお嬢。
胸を貫かれた戦闘狂。
血に染まったローブを纏う賢者。
そして、胸に大きな穴を穿たれた悪の権化。
それでも、誰一人として膝をついてはいなかった。
「みんな……!」
思わず駆け寄ろうとした、その時だった。
『安心するのは、まだ早いですよ。戦いはまだ終わっていません』
賢者の言葉が、俺の足を止めた。
『ああ!あのイカレ野郎をぶちのめさなきゃならねぇからなァ!』
戦闘狂はニヤリと笑い、拳を鳴らした。
二人の言葉とは対照的に、俺の胸には重苦しい感情だけが広がっていた。
「……無理だ」
拳を強く握り締める。
「お前達はみんなやられた。俺も、あいつには何もできなかった。結局、俺は……お前達がいなければ何もできない。もう……終わりなんだ」
『……ふざけんな』
戦闘狂の低く唸るような声が白い空間へ響く。
俺を鋭く睨み据え、拳を強く握り締めている。
『何勝手に終わった気になってんだ』
「でも――!」
『でもじゃねぇ!!』
怒声が俺の言葉を遮る。
『俺達は最後まで諦めなかった!テメェが諦めてどうすんだ!!』
その一言が胸へ深く突き刺さる。
言い返す言葉は見つからなかった。
『わたくし達を失望させないでくださいまし?』
今度はお嬢が一歩前へ出る。
胸元の傷へ手を添えながらも、その背筋は少しも曲がっていない。
『貴方は、わたくし達の主。そのことに、もっと誇りを持ちなさい』
「お嬢……」
『翔。僕達は、君を守りたくて戦ったんだ』
僕が優しく微笑む。
『君が諦めちゃったら、僕達が戦った意味までなくなっちゃうよ』
そうだ。皆、傷だらけになりながら、それでも俺を責めることなく立っている。
その想いが、折れかけていた俺の心へ少しずつ届いていく。
そんな俺へ、賢者が一歩前へ出た。
『まだ方法ならあります』
「……え?」
『ククッ……でも、賭けになるけどね』
悪が肩を竦める。
「賭け?」
『成功しても、今まで通りにはならないかもしれないってことさ』
その言葉に、白い空間は再び静寂に包まれる。
賢者は俺の目を真っ直ぐ見つめる。
『それでも――戦いますか?』
賢者の問い掛けが胸の奥へ深く突き刺さる。
諦めれば楽になれる。
ここで終われば、もう苦しむことも、傷つくこともない。
そんな弱い考えが、一瞬だけ頭を過った。
だが、その考えはすぐに打ち消される。
ここまで俺を支え続けてくれた人格達。
命を懸けて道を切り開いてくれた父さん。
そして、今も俺の帰りを信じて待っている澪。
皆の想いが胸の奥から次々と溢れ出し、折れかけていた心へ再び火を灯していく。
「俺は――諦めたくない!ここまで戦ってきたんだ!あいつの好きなようにさせてたまるか!」
『その言葉を待っていました』
賢者は穏やかに頷いた。
『それでこそ翔様ですわ』
続けてお嬢も誇らしげに微笑む。
その瞬間だった。
僕の身体が淡い白い光に包まれ始める。
「……僕?」
『始まったみたい』
僕は少しだけ驚いたように自分の身体を見下ろすと、優しく笑って俺の前へ歩み寄った。
『翔、もう怖くない?』
「怖いさ」
真っ直ぐ僕を見つめ返す。
「でも、それでも守りたい想いがあれば、前に進めるって、お前が教えてくれた」
僕は嬉しそうに頷いた。
『うん。それでいいんだよ』
僕の身体は眩い白い光へと変わり、一つの光球となってゆっくりと俺の胸へ吸い込まれていった。
続いて、お嬢の身体が深紅の光に包まれる。
お嬢は気高く微笑みながら俺の前へ立った。
『翔様。優雅に、華やかに、そして――』
「ロマン、だろ?お前の信条、貫いてみせるさ」
『ええ、その意気ですわ』
深紅の光は舞い上がり、俺の胸へと溶け込んでいった。
今度は戦闘狂の身体が橙色の光を纏う。
『最後はテメェが殴れ!』
「ああ。俺の拳で終わらせる」
戦闘狂は満足そうに笑った。
『ハッ!それでこそ翔だ!』
橙色の光は勢いよく宙へ跳ね上がり、そのまま俺の身体へ飛び込んでいく。
次に賢者の身体が青白い輝きに包まれた。
『常に冷静に分析するのです』
「ああ、任せろ」
『貴方なら、きっとできます』
青白い光は穏やかに俺の中へ吸い込まれていった。
最後に残ったのは悪だった。
胸の傷を押さえながら、いつものように口元を吊り上げる。
その身体は漆黒に紫が混じる光を纏い始めていた。
『ボクは君の悪意や憎悪を押し付けられて生まれた。だから本当は協力なんてしたくないんだけどね』
「……分かってる。今まで俺は、お前を見ないようにしてきた。こんな感情を持つ自分を認めたくなかった」
『ククッ……』
「でも違う。怒りも、憎しみも、全部俺の感情だ。もう、お前を拒んだりしない。お前も俺なんだ」
悪は一瞬だけ目を見開いた。
やがて、いつもの笑みを浮かべる。
『ククッ……ようやく受け入れたね。ならアイツに見せてやるといい。とっておきの悪夢を』
その言葉を最後に、悪の権化の身体は漆黒と紫が混じる光へと変わる。
光は静かに宙へ浮かび上がると、迷うことなく俺の胸へ吸い込まれていった。
白い空間へ再び静寂が訪れる。
ゆっくりと周囲を見回した。
そこにはもう、誰の姿もない。
「みんな……」
返事はない。
けれど、不思議と寂しさはなかった。
皆が消えたのではない。
俺の中へ還ってきた。
そんな確信だけが胸の奥に残っていた。
その時だった。
ピシッ――。
小さな音が響く。
俺が顔を上げると、どこまでも続いていた白い空間へ一本の亀裂が走っていた。
それは瞬く間に広がり、天井も床もない世界を覆い尽くしていく。
パキッ。
パキパキパキッ――。
白い世界が、まるでガラスのように砕け始めた。
無数の白い欠片が宙へ舞い上がり、光の粒となって消えていく。
「……行くぜ」
誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からない。
それでも、胸の奥では確かに五人の存在を感じていた。
やがて、眩い光が俺の視界を包み込む。
その輝きは白い世界も、俺自身も飲み込み――。
俺の意識は、現実へと解き放たれた。
僕『翔……もう、僕たちは出られないけど』
お嬢『力はすべて貴方へ託しましたわ』
賢者『後は、貴方自身の答えを示すだけです』
戦闘狂『最後の一発、ぶちかましてこい!』
悪の権化『ククッ……最高の悪夢を見せてやるといい』
翔「……ああ。みんなと一緒に、この戦いを終わらせる」
翔「次回、『五つの想い』――行くぞ、一条蓮司」




