第42話「地下への侵入」
目前には、張り出すように設けられた保守作業用デッキ。
レイヴンは高度計を一瞥すると、鋭く叫んだ。
「この高さが限界だ!」
『問題ねぇ!行くぜ!』
頭の奥で戦闘狂が豪快に笑った。
次の瞬間、意識の主導権を戦闘狂へ委ねた。
全身へ熱が駆け巡り、筋肉の一つひとつへ力が満ちていく。
躊躇なくヘリのドアを開けると、吹き荒れる風が全身を叩いた。
『ハハッ!最高だァ!』
そのまま大きく踏み込み――宙へ躍り出た。
眼下の保守作業用デッキが、一気に迫る。
ドォンッ!!
轟音と共に両足がコンクリートを叩きつけた。
衝撃が地面を揺らし、足元から蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
舞い上がる土埃の中、戦闘狂はゆっくりと立ち上がった。
『シャアッ!』
口角を吊り上げ、獲物を探すように周囲へ視線を走らせる。
保守作業用デッキは山肌から張り出すように造られており、周囲は転落防止用の金属柵で囲まれていた。
壁際には工具箱や資材コンテナが規則正しく並び、保守点検用の機材が静かに眠っている。
人の気配はない。
聞こえてくるのは、遠ざかっていくヘリのローター音だけだった。
『へへっ……』
完全に一人になったことを確認すると、正面に据え付けられた重厚な鉄扉へ視線を向けた。
施設内部へ続く唯一の入口。
無骨な取っ手を掴み、力任せに押し開けると、重い金属音が静寂を切り裂いた。
扉の先には、無機質なコンクリートの通路が真っ直ぐ伸びている。
天井には幾重もの配管やケーブルが張り巡らされ、壁際には制御盤や保守機材が整然と並んでいた。
油と金属の匂いが鼻を掠める。
足を踏み入れるたび、乾いた足音だけが静かな通路へ反響していく。
『さて……』
警戒する様子も見せず通路の奥へ歩き出す。
戦場独特の張り詰めた空気。
いつ敵が現れてもおかしくない静寂が、むしろ戦闘狂の闘争心を掻き立てていた。
その時だった。
通路の先から規則正しい足音が聞こえてくる。
やがて姿を現したのは、ライフルを携えた二人の警備兵だった。
巡回中だったのだろう。
こちらへ視線を向けると、二人の表情が驚愕へと変わる。
「侵入者だ!」
一人が慌てて無線機へ手を伸ばし、もう一人はライフルを構えた。
『遅せぇよ!』
コンクリートへ亀裂が走るほどの踏み込みで瞬時に間合いを詰める。
「なっ――!」
驚きの声が漏れるより早く、拳が男の腹部へ深くめり込んだ。
鈍い衝撃音と共に警備兵の身体が宙を舞い、そのまま壁へ激突する。
もう一人が咄嗟に引き金へ指を掛ける。
しかし、発砲よりも早く、回し蹴りがライフルごと男の腕を弾き飛ばした。
「ぐあぁっ!」
ライフルが乾いた音を立てて床を滑る。
警備兵もまた受け身を取ることすらできず、その場へ崩れ落ちた。
『……こんなもんか』
肩を鳴らしながら倒れた二人を見下ろし、頭を掻いた。
『……で?どっちに行きゃいいんだ?』
『ククッ……相変わらず考えるのは苦手なんだねぇ』
悪の権化の声と共に、全身を満たしていた熱がゆっくりと引いていく。
代わりに胸の奥から広がっていくのは、ぞくりと背筋を撫でるような冷たく粘つく感覚。
口元は自然と歪み、愉しげな笑みが浮かんでいた。
身体の主導権は、静かに悪へと移る。
悪は倒れた警備兵の一人の前へしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
「まだ意識はあるみたいだね」
警備兵は苦しそうに息を荒げながら悪を睨みつける。
しかし、悪が肩へ手を添えると、身体が小さく震え、その表情からみるみる生気が失われていく。
『ククッ……そう、そのまま』
悪は優しく語り掛けるような声で囁いた。
『君の知っていることを教えてよ。この施設で、一番重要な場所はどこ?』
警備兵の口が、自らの意思とは無関係にゆっくりと開く。
「……地下……重要区画は……地下に……」
『ククッ……十分だ』
悪は満足そうに立ち上がり、静かに笑みを浮かべた。
「地下……か」
その言葉を胸の内で反芻する。
少しの沈黙の後──賢者が結論を導くように口を開いた。
『保守区画から地下へ通じる搬送用エレベーターがあるはずです。まずは地下へ向かいましょう』
「なら、連中が湧いてくる前に急ごう」
『ねぇ。この子はもう使わないのかい?』
悪は精神干渉を受けた警備兵を見下ろしながら、愉しげに口元を歪める。
男は、焦点の定まらない瞳で虚空を見つめ、小刻みに身体を震わせていた。
「……これ以上、聞き出せることはなさそうだからな」
俺がそう答えると、悪は肩を竦めるように笑った。
『だってさ。じゃあね』
悪が警備兵の肩へ添えていた手を離すと、男の身体がびくりと大きく跳ねる。
「がっ……!」
押し殺したような苦鳴を漏らし、そのまま力なく床へ倒れ込んだ。
全身は小さく痙攣を繰り返している。
精神干渉から解放された反動なのだろう。
もう男が立ち上がる気配はなかった。
『ククッ……人間って、本当に脆いねぇ』
悪はその姿を満足そうに見下ろし、小さく笑みを零す。
「……後は戦闘狂、頼んだ」
その言葉と共に、身体の主導権を再度戦闘狂へ委ねる。
『任せろ!エレベーターなんざ、すぐ見つけてやるぜ!』
コンクリートの通路へ乾いた足音を響かせながら、保守区画の奥へ向かって一気に駆け出した。
◇ ◇ ◇
搬送用エレベーターの扉が静かに閉まり、重い駆動音と共にゆっくりと下降を始めた。
腕を組みながら狭い箱の中を見回すと、天井の隅に取り付けられた小さなカメラが目に入った。
『……あ?』
レンズの真正面まで歩み寄ると、不敵な笑みを浮かべた。
『見えてんだろ?隠れる気なんざ最初からねぇ!まとめて来やがれ!』
そう言い放つと、床を勢いよく蹴り、軽々と宙へ跳び上がる。
振り抜かれた右足が監視カメラを正確に捉えた。
バキィッ!!
乾いた破砕音が狭いエレベーター内へ響き渡る。
監視カメラは粉々に砕け散り、火花を散らしながら天井からぶら下がった。
『ハハッ!』
エレベーターは何事もなかったかのように地下へ向かって降り続ける。
やがて駆動音がゆっくりと弱まり、エレベーターが停止した。
軽い振動と共に扉が左右へ開く。
その瞬間だった。
ウゥゥゥゥゥ――――ッ!!
耳をつんざくような警報が地下区画へ鳴り響く。
赤色灯が天井で激しく回転し、通路一帯を赤く染め上げていく。
『ようやく歓迎してくれる気になったか!』
獰猛な笑みを浮かべると、迷うことなく通路を駆け出した。
立ち止まっている暇はない。
敵が集まる前に、地下のさらに奥へ進まなければならない。
乾いた足音が地下区画へ響き渡る。
赤色灯が明滅する通路を一直線に駆け抜け、勢いよく曲がり角へ差しかかった。
「いたぞ!」
曲がり角の向こうから、ライフルを構えた迎撃部隊が駆け込んできた。
互いの姿を認識したのは、ほぼ同時。
『遅ぇ!』
床を蹴り砕く勢いで踏み込み、一気に間合いを詰める。
迎撃部隊が銃口を持ち上げるよりも早く、その拳が先頭の兵士へ叩き込まれた。
「がっ……!」
兵士の身体が大きく吹き飛び、後続の隊員を巻き込みながら床へ転がる。
『シャアッ!』
勢いを殺さず、次の獲物へ向け、さらに駆け抜ける。
「撃てぇっ!」
迎撃部隊の怒号と共に、一斉に銃口が戦闘狂へ向けられる。
『遅ぇッ!!』
「ぐぁっ!」
拳が兵士の鳩尾へ突き刺さる。
男の身体は軽々と吹き飛び、そのまま床へ転がった。
「止めろ!止めるんだ!」
乾いた銃声が地下区画へ響き渡る。
しかし、戦闘狂は弾道を見切るように最小限の動きで身を躱し、その度に距離を詰めては、一撃で兵士を沈めていく。
『シャアッ!』
一人の兵士がライフルを捨て、腰からナイフを引き抜いた。
「はぁぁぁっ!」
『いいねぇ!』
刃が鼻先を掠める寸前、身体を半歩だけ捻って躱す。
空を切った兵士の腕を掴み、その勢いのまま腹部へ膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ……!」
兵士は苦悶の声を漏らし、その場へ崩れ落ちる。
『近付いてくる奴の方が好きだぜ!』
歓喜にも似た笑い声を上げながら、なおも迎撃部隊の中へ突っ込んでいく。
悲鳴と銃声が入り乱れる中、兵士達は次々と倒れていった。
やがて地下区画に再び静寂が訪れる。
肩を鳴らしながら、戦闘狂は倒れ伏す迎撃部隊を見渡した。
『全然足りねぇな』
その言葉を残し、地下区画のさらに奥へ向かって再び駆け出した。
通路のあちこちでは防火シャッターがゆっくりと降下を始めている。
赤色灯が絶え間なく明滅し、遠くからは慌ただしく駆け回る足音や声が反響してくる。
地下施設全体が、侵入者を排除するため一斉に動き始めたのが伝わってきた。
『施設中、大騒ぎじゃねぇか!』
嬉しそうに笑う声とは裏腹に、俺は周囲の状況を冷静に見極めていた。
「……このまま戦っていても埒が明かない」
『迎撃部隊は次々と投入されるでしょう。目的は殲滅ではありません。先へ進むことです』
賢者が落ち着いた口調で答える。
『……で?結局、どこ行きゃいいんだ?』
走る勢いを落とさないまま頭を掻く。
左右へ伸びる無機質な廊下。
並ぶ無数の鉄扉。
どこへ向かえば中枢へ辿り着けるのか、まだ分からない。
その時だった。
前方の通路を、一人の兵士が全力で駆け抜けていく。
男は肩越しにこちらを振り返ると、その表情を強張らせた。
「くっ……!」
何かを決意したように唇を噛み締め、そのまま通路脇の重厚な鉄扉へ飛び込む。
『逃げたな。あいつ……絶対何か隠してやがるぜ!』
閉まり始めた鉄扉へ一直線に飛び込む。
――ドゴォォンッ!!
轟音と共に鉄扉が内側へ吹き飛び、激しく床へ叩きつけられる。
勢いそのままに部屋へ踏み込むと、反射的に周囲へ視線を走らせた。
『……なんだぁ、ここは?』
戦闘狂『……あの女、どっかで見たことがある気がするぜ』
僕『戦闘狂が知ってる人なの……?』
賢者『だとすれば、彼女は翔の失われた過去に関わる人物なのでしょう』
お嬢『ですが、今は目の前の戦いに集中するしかありませんわ』
悪の権化『ククッ……果たして、どんな記憶が眠っているのかなぁ』
翔「……俺は、あの人を知っているのか?」
翔「次回、『拳の先、眼差しの先』――俺は一体、何を忘れているんだ……?」




