第26話「特別な存在」
祭壇の前へ飛び出した俺を見て、信者達の間にざわめきが走る。
「何者だ?」「順番を守れ!」
そんな声が周囲から聞こえてくるが、不思議と耳には入ってこなかった。
今の俺の視界に映っているのは、目の前の詩織ただ一人だ。
俺を見下ろす詩織の表情は驚くほど穏やかだった。
突然信者達の列を飛び出してきた人間を前にしているというのに、怒りも戸惑いも見せず、まるで一人の信者へ向けるのと変わらない眼差しを向けている。
「お悩みは何でしょうか」
その声音には優しさすら感じられた。
けれど俺は相談をしに来たんじゃない。
聞きたいことがある。
確かめなければならないことがある。
俺は気付けば拳を握り締めていた。
「……あんた。俺のこと、分からないか?」
喉の奥から絞り出すように声を出す。
心臓が嫌になるほど脈打っていた。
詩織は僅かに首を傾げた。
その反応は本当に初対面の相手へ向けるものと変わらない。
「申し訳ありませんが、どこかでお会いしましたか?」
その様子に演技めいたものは感じられない。
「天羽翔だよ。――あんたの息子の」
言葉を吐き出した瞬間、自分でも分かるほど声に力が入っていた。
その場の空気が僅かに変わる。
周囲で様子を見守っていた信者達もざわめき始めた。
詩織は初めて目を細める。
まるで記憶の奥底を探るように。
「……天羽、翔?」
小さく呟いたその声には、ほんの僅かな引っ掛かりがあった。
だが次の瞬間、詩織は本当に理解できないというように眉を寄せる。
「それに……私の子供?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
覚えていないかもしれない。
そんな可能性は考えていた。
それでも心のどこかでは期待していたのかもしれない。
名前を聞けば、顔を見れば、何か思い出してくれるんじゃないかと。
けれど、現実は違った。
「覚えて……ないのかよ」
絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
「申し訳ありません。私には子供はいません」
その一言が胸へ突き刺さった瞬間――胸の奥で何かが切れる音がした。
「……俺はあんたの息子だ!」
抑え込んでいた感情が堰を切ったように溢れ出す。
礼拝堂がざわつき、周囲の信者達が何事かと顔を見合わせ始めるが、それでも詩織は表情を変えなかった。
静かな瞳で俺を見つめたまま、小さく首を傾げる。
「何かの勘違いでしょう」
穏やかな声だった。
怒りも戸惑いもない。
本当に見覚えがない相手へ向けるような声音だった。
その一言が、油を注ぐように俺の怒りを煽る。
「勘違いな訳あるか!」
思わず声を荒げながら祭壇へ一歩踏み出した、その瞬間だった。
「大司教様から離れろ!!」
礼拝堂へ怒声が響き渡る。
振り返るより早く祭壇脇の扉が勢いよく開かれ、武装した男達が雪崩れ込むように姿を現した。
手には斧や鎖付きの鉄球、刃の付いた長柄武器が握られており、そのどれもが銃器ではなく異能者との近接戦闘を前提とした武装だった。
こいつらがスパイの言っていた粛清派の連中か。
「異端者を拘束しろ!」「大司教様へ近付けるな!」
礼拝堂にいた信者達は慌てて道を開き、その場から距離を取っていった。
俺も咄嗟に後退するが、すでに包囲は始まっていた。
左右から二人。正面から三人。
逃げ道を塞ぐように粛清派の兵士達が迫ってくる。
「抵抗するな!」
先頭の男が斧を振り上げる。
俺はその一撃を横へ飛んで避けたが、鈍い衝撃音と共に石畳が砕け散り、続けざまに横から唸りを上げた鎖付きの鉄球が迫ってきた。
「チッ!」
身を屈めて回避する。
だが避けた先には別の兵士が待ち構えていた。
完全に連携されている。
(くそっ……!)
このままじゃ捌き切れない。
そう思った瞬間だった。
『翔、どけ。ここは俺に任せな!』
戦闘狂の声と同時に、身体の奥で何かが切り替わる感覚が走った。
心臓の鼓動は一気に加速し、血液が沸騰するような高揚感が全身を駆け巡った。
黒かった髪は深紅へ染まり、纏う空気までもが一変する。
さっきまで身体を支配していた焦りや苛立ちは消え失せ、その代わりに胸の奥から湧き上がってくるのは純粋な闘争本能だった。
戦闘狂は迫り来る粛清派の兵士達を見渡しながら、獰猛に口元を吊り上げる。
『ハッ!ようやく面白くなってきたじゃねぇか!』
「気を付けろ!」「異能だ!」
粛清派の兵士達が警戒の声を上げる。
だが、その頃にはもう戦闘狂は床を蹴っていた。
踏み込んだ石畳が砕け散り、その身体は一瞬で先頭の兵士の懐へ入り込む。
「なっ――」
兵士が驚愕の声を上げるより早く、振り抜かれた拳が腹部へ突き刺さった。
鈍い衝撃音と共に男の身体が宙を舞い、後方にいた兵士達を巻き込みながら吹き飛んでいく。
『ヘッ、軽いな!』
戦闘狂は鼻で笑う。
そこへ左右から斧とモーニングスターが迫る。
だが、その程度で怯むような男じゃない。
振り下ろされた斧を紙一重でかわすと、戦闘狂の拳が下から突き上げられ、強烈なアッパーが顎へ直撃する。
鈍い衝撃音と共に兵士の身体が仰け反り、そのまま糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
『遅ぇ!』
更に横から迫るモーニングスターの鎖を片手で掴み取る。
勢いよく引き絞られた鎖がギリギリと音を立てる。
「なっ!?」
鎖ごと相手を強引に引き寄せ、そのまま顔面へ拳を叩き込んだ。
「囲め!」
「陣形を崩すな!」
粛清派も素人ではない。
仲間が次々と倒されているにもかかわらず恐慌に陥る様子はなく、それぞれが距離を保ちながら隊列を組み直していく。
前衛は盾と近接武器で牽制し、中衛はモーニングスターや長柄武器で間合いを支配する。
無闇に飛び込んでくる者は一人もいない。
目の前の相手が常人ではないと理解した上で、確実に追い詰めようとしていた。
だが、その様子を見た戦闘狂はむしろ楽しそうに笑った。
『そうだよなぁ!一人ずつ来るほど馬鹿じゃねぇよな!』
獰猛に口元を吊り上げながら、拳を握る。
『だからまとめて来いよ!全員ぶっ飛ばしてやるからよ!』
粛清派の兵士達は武器を構え直し、再び包囲を狭め始めたことで状況は一気に張り詰め、今にも戦闘が再開されようとしていた。
「――おやめなさい」
その時、詩織の穏やかな声が響く。
決して大きな声ではない。
それなのに、その場にいた全員の動きが止まった。
「ですが、大司教様!この者は危険です!」
一人の信者が声を上げるも、詩織は静かに首を横へ振った。
その視線は俺――いや、戦闘狂へ向けられている。
まるで珍しい何かを観察するような目だった。
「問題ありません。彼は異端者ではありません」
その言葉は静かなものだったが、不思議と反論を許さない重みを帯びていた。
礼拝堂のあちこちでざわめきが広がる。
信者達は顔を見合わせ、粛清派の兵士達も困惑したような表情を浮かべていたが、詩織はそんな反応を気にした様子もなく言葉を続けた。
「むしろ――非常に興味深い存在です」
その言葉を聞いた瞬間、戦闘狂の奥で俺は眉をひそめる。
息子だと言った時には何の反応も示さなかったくせに、今はまるで珍しい標本でも見つけたかのような目をしている。
詩織は一歩前へ出ると、信者に向けて淀みなく告げた。
「ユーディアを呼びなさい」
粛清派の兵士達は一斉に姿勢を正し、先程まで怒号を飛ばしていた男達でさえ緊張した面持ちを浮かべていた。
「……シスター・ユーディアを?」
「ええ。この方については、彼女にも見てもらう必要があります」
詩織の言葉を受けた兵士の一人が慌てて礼をすると、そのまま礼拝堂の奥へ駆けていく。
残された信者達の間には小さなざわめきが広がっていた。
「シスター・ユーディアが……?」「まさか直接お呼びになるとは……」「粛清派隊長だぞ……」
交わされる声はどれも小さい。
だが、その反応だけで彼女が教団内で特別な地位にいることは十分伝わってきた。
『へぇ、そんなに偉い奴なのかよ』
戦闘狂は鼻を鳴らす。
(気を付けろ)
『ハッ、言われなくても分かってる』
戦闘狂は軽口を叩いてはいるが、その視線は礼拝堂の奥へ向けられたままだった。
やがて礼拝堂の奥にある扉が開き、その瞬間、それまで漂っていたざわめきが嘘のように消え失せる。
姿を現したのは一人の女性だった。
黒を基調とした修道服に身を包み、頭部はヴェールによって覆われている。
その姿だけを見れば敬虔な修道女にしか見えない。
だが、修道服の隙間から覗く金属の柄と、一切の無駄を感じさせない歩き方が、その印象を否定していた。
女性は周囲へ目もくれず祭壇へ向かって歩いていく。
その間、誰一人として口を開かない。
粛清派の兵士達ですら背筋を伸ばし、その到着を待っていた。
やがて祭壇の前へ辿り着いた女性は詩織の前で立ち止まると、胸へ手を当ててゆっくり頭を下げた。
「お呼びでしょうか、大司教様」
凛とした声だった。
感情を抑えたその声音には、修道女というより歴戦の軍人を思わせる鋭さがある。
「ええ、ユーディア。彼を見てどう思いますか?」
その言葉を受けたシスター・ユーディアは初めてこちらを見る。
その目は冷たかった。
興味でも好奇心でもない。
ただ危険性を測るような鋭い眼差しが、真っ直ぐ戦闘狂を捉えていた。
「危険です。人格変異型の異能者でありながら、高い身体能力を有しています」
その一言に、礼拝堂の空気が張り詰めた。
「加えて戦闘への適応能力も高い。教団への脅威となる可能性があります。」
ユーディアは事実だけを並べるように淡々と続ける。
「直ちに拘束すべきかと」
その言葉に粛清派の兵士達が頷く。
どうやら彼女達にとっては当然の判断らしい。
しかし、詩織は表情を変えず首を横へ振った。
「いいえ。この方は異端者ではありません。むしろ私は可能性を感じています」
「可能性、ですか」
ユーディアは詩織の言葉に僅かだが眉を動かした。
完全に否定する訳でもなく、かといって納得した様子もない。
ただ、その続きを促すように詩織を見つめる。
詩織は戦闘狂を見つめる。
その瞳には先程から変わらず、不思議な熱が宿っていた。
「この方は特別な存在です」
その言葉が耳に届いた瞬間だった。
(っ――!?)
頭の奥に鋭い痛みが走り、礼拝堂の光景が一瞬だけ遠ざかる。
視界が揺らぐ中、聞き覚えのある声が脳裏へ響いた。
【貴方は特別な子なのよ】
それは幼い頃の記憶だった。
夕日が差し込む部屋の中で、一人の女性が優しく微笑みながら自分を見つめている。
【翔、貴方は選ばれた子なの。他の子とは違う】
そう言いながら頭を撫でる手の感触まで鮮明に蘇る。
温かかった。
安心するはずの記憶だった。
それなのに胸の奥が妙にざわつく。
【だから誇りなさい。貴方は特別な子なのだから】
その言葉は一度ではない。
何度も、何度も、まるで刷り込むように繰り返し聞かされていた。
忘れていたはずだった。
いや、忘れていたのではない。
思い出さないように心の奥へ押し込めていたのだ。
視界が大きく揺れ、遠ざかっていた礼拝堂の光景が再び現実として戻ってくる。
(思い……出した……)
それは断片的な記憶に過ぎない。
それでも一つだけ確信できることがある。
目の前にいる女は間違いなく俺の母親であり、俺へ何度も”特別な子だ”と言い聞かせていた張本人だった。
ユーディアは戦闘狂を見据えたまま言葉を発した。
「失礼ながら大司教様。教団の安全を考えるのであれば、拘束の上で調査を行うべきかと」
誰もが詩織の返答を待っていた。
だが、詩織は慌てる様子もなく小さく首を横へ振る。
「ユーディア。貴女は我々の信仰を忘れたのですか?」
その一言に、ユーディアの表情が僅かに引き締まった。
「門は可能性を拒みません。理解できないものを恐れ、排除するのは我々の教えではないはずです」
詩織はそう言いながら、まるで戦闘狂の奥にいる俺を見透かすように微笑んだ。
「この方は特別な存在です。だからこそ見極めなければなりません」
そして詩織は小さく微笑みながら続けた。
「それともユーディア。貴女は門の導きを疑うのですか?」
「……失礼いたしました」
ユーディアは胸へ手を当てて一礼すると、それ以上は何も言わなかった。
納得した訳ではないのだろう。
その証拠に、戦闘狂へ向けられる瞳から警戒心が消えることはなかった。
だが、大司教の命令には逆らえない。
「撤収します」
短く告げると、ユーディアは踵を返す。
粛清派の兵士達も武器を収めながら後に続き、やがて礼拝堂には再び静寂が戻った。
それを見届けた瞬間、身体の奥で張り詰めていた何かが緩む。
『チッ、もう終わりかよ』
戦闘狂が不満そうに舌打ちする。
(十分だろ)
『まだ暴れ足りねぇんだけどな』
そんな言葉を最後に意識が沈み、身体の主導権が俺へ戻ってくる。
深紅だった髪は元の黒へ戻り、高揚していた感情も少しずつ落ち着いていった。
けれど胸の奥だけは落ち着かない。
思い出した記憶。
詩織の言葉。
そして、俺を見つめるあの視線。
俺が複雑な感情を抱えたまま詩織を見上げると、彼女は静かに微笑んだ。
「天羽翔」
その名前を呼ばれた瞬間、胸が僅かに揺れる。
しかし次に続いた言葉は、俺の期待を簡単に打ち砕いた。
「貴方について、もっと知りたくなりました」
戦闘狂『あのユーディアって女、強そうだったよな』
翔「……まぁ、教団の粛清派隊長だしな」
戦闘狂『今度は兵士じゃなくて、アイツと本気で戦ってみてぇ!』
僕『えぇ!?危ないよぉ……』
賢者『まずはその思考回路を改めるところから始めましょう』
悪の権化『ククッ……ボクも少し興味あるかな』
お嬢『あなた方、少しは品というものを持ちなさいな』
翔「……お前ら、頼むから静かにしてくれ」
翔「次回、『忘れられた言葉』――“特別な存在”って……なんだよ」




