第25話「歪んだ祝福」
やがて俺達は大聖堂の一角へ辿り着く。
以前は集会のことで頭がいっぱいだったせいか気付かなかったが、大聖堂の奥には人目につきにくい細い通路が続いていた。
女スパイは迷うことなくその先へ足を踏み入れる。
俺と澪も顔を見合わせると、その後を追った。
通路の中は薄暗く、一定間隔で設置された燭台の火だけが石壁をぼんやりと照らしている。
揺らめく炎によって伸びた影が壁を這うたびに、どこか落ち着かない気分になった。
石造りの床を踏みしめる音だけが静かに響く。
やがて通路の先に下へ続く階段が姿を現した。
幅広の石階段は地下深くまで続いており、先は薄暗くてよく見えない。
階段を降り始めると、空気が少しずつ変わっていくのが分かった。
そして、耳を澄ませた時だった。
どこからともなく声が聞こえてくる。
小さく、低く、幾重にも重なり合う祈りの声。
一段降りるごとにその声は大きくなり、やがて意味の分からない詠唱のようにも聞こえてくる。
階段を降り切った先で、女スパイが足を止めた。
その視線の先には巨大な鉄扉がある。
表面には福音の門の紋章が刻まれており、長い年月を経ているはずなのに不思議なほど手入れが行き届いていた。
「この先が地下礼拝堂です」
女スパイは声を潜めながらそう告げると、周囲を確認してから鉄扉へ手を掛けた。
重々しい音が静かな地下通路へ響き渡る。
ゆっくりと開いていく扉の隙間から、青白い光が漏れ出した。
その光に思わず目を細めながら、俺は礼拝堂の中へ視線を向ける。
そして、俺は息を呑んだ。
地下礼拝堂という名前から想像していたのは、せいぜい地下に作られた集会所のような場所だった。
けれど、その予想は完全に裏切られることになる。
目の前に広がっていたのは、地下とは思えないほど巨大な空間だった。
「思ったより本格的だな……」
何本もの石柱が高い天井を支え、その奥行きは一目では把握できないほど広い。
壁面には青白い光を放つ結晶が埋め込まれており、その淡い光が礼拝堂全体を幻想的に照らしていた。
その光景だけを見れば神秘的ですらある。
宗教施設としての威厳も十分に備わっていた。
正面には巨大な祭壇が据えられていた。
その背後には福音の門の象徴である巨大な門のレリーフが鎮座している。
礼拝堂の中には既に大勢の信者達が集まっていた。
白いローブを纏った人々は整然と並べられた長椅子へ腰掛け、それぞれ静かに祈りを捧げている。
普通なら厳かな空気だと感じるはずだったが、俺にはどうしてもそう思えなかった。
「……なんか嫌な感じがするな」
思わず本音が漏れる。
すると隣を歩く澪も同じような表情を浮かべていた。
「奇遇ね。私もよ」
澪は小声で答えながら周囲を観察している。
その視線は信者達だけではなく、祭壇や警備の配置、出入口の位置まで確認しているようだった。
女スパイは振り返ることなく前を向いたまま口を開く。
「ここでは一般信者として振る舞ってくださいね」
その忠告を聞いていると、礼拝堂の照明が僅かに落とされた。
信者達の祈り声がぴたりと止まる。
空気が変わった。
ざわめき一つない静寂の中、全ての視線が祭壇へ向けられる。
どうやら――儀式が始まるらしい。
やがて祭壇の奥にある扉が静かに開き、信者達の視線が一斉にそちらへ向く。
現れたのは数人の男女だった。
全員が純白の法衣を身に纏っている。
その中心を歩いているのは司祭と思われる白髪混じりの壮年の男だった。
痩せた身体に穏やかな笑みを浮かべているが、その奥に何か得体の知れないものが潜んでいるように見えた。
そして、その男の後ろからもう一人の人物が姿を現した。
その瞬間、俺の心臓が大きく脈打つ。
御門詩織…福音の門大司教。
そして――俺の母親かもしれない人物。
あの時よりもずっと近い距離にいる。
それなのに、不思議と現実感がなかった。
礼拝堂の信者達は一斉に立ち上り、全員が深々と頭を垂れる。
それは王が現れたかのようだった。
詩織は祭壇中央へ歩み出ると、信者達を静かに見渡した。
その表情は穏やかで優しげですらある。
しかし、その瞳には感情らしい感情がほとんど見えなかった。
やがて司祭が祭壇中央へ進み出る。
「福音の門に祝福あれ」
「祝福あれ」
穏やかな声が礼拝堂へ響き、それを合図にしたかのように、信者達が一斉に応えた。
何十人もの声が完全に一致している光景は、信仰心というより統率された集団を見ているようだった。
司祭は満足そうに頷き、隣に立つ詩織へ一礼してから再び信者達へ向き直った。
「今宵もまた、新たな福音へ至る者が選ばれました」
その言葉に信者達から静かな拍手が起こる。
司祭が片手を掲げると、祭壇脇の通路から、一人の少女が姿を現した。
年齢は十代半ばほどだろう。
まだ幼さの残る顔立ちをしている。
信者達と同じ白いローブを纏っているが、その表情には隠しきれない緊張が浮かんでいた。
少女は司祭に導かれるまま祭壇中央へ進み、そして詩織の前で跪いた。
彼女は少女を見下ろしながら静かに口を開く。
「恐れる必要はありません。門は貴女を受け入れるでしょう」
詩織の言葉を受けた少女は深く息を吸い込む。
緊張していた表情は幾分和らぎ、その瞳には期待の色すら浮かんでいた。
周囲の信者達も穏やかな眼差しを向けている。
誰もがこれから行われる儀式を祝福しているようだった。
「では始めましょう」
司祭の言葉と共に礼拝堂へ再び祈りの声が響き始めた。
最初は静かなものだった。
信者達は目を閉じ、それぞれ胸の前で手を組みながら祭壇へ向けて祈りを捧げている。
やがて、その声には少しずつ異質な響きが混じり始めた。
祈りの言葉はいつしか意味の分からない詠唱へ変わり、幾重にも重なった声が礼拝堂全体を震わせていく。
壁へ埋め込まれた青白い結晶が呼応するように淡く明滅を始めた。
祭壇中央に跪く少女の身体が小さく震える。
最初は緊張によるものだと思ったが、少女の呼吸が徐々に荒くなっていく。
額には汗が滲み、肩が上下している。
少女は苦しそうに胸元を押さえ、小さな呻き声が漏れた。
「うっ……あ……」
「心配はいりません。これは祝福へ至る過程です。門へ近付く者は皆、この試練を乗り越えるのです」
それでも司祭は穏やかな笑みを崩さず、儀式を続ける。
誰一人として疑問を抱いていない。
少女の苦しむ姿を見ても、それを当然のこととして受け入れている。
少女の容態はさらに悪化している。
肩の震えはやがて全身へ広がり、荒かった呼吸は苦しげな喘鳴へ変わる。
「あ…ああああっ!」
少女の口から苦痛に満ちた声が漏れる。
それを見てもなお、礼拝堂にいる誰も儀式を止めようとはしなかった。
まるで少女の苦しみなど最初から織り込み済みであるかのように。
そして祭壇の上から、その様子を静かに見下ろしている詩織の姿が、俺にはひどく異様に見えた。
少女の苦しむ姿を見つめながら、俺は無意識のうちに拳を握り締めていた。
爪が掌へ食い込むほど強く握っていることに気付いても、それを緩めることはできなかった。
あんなものを見せられて平然としていられるほど、俺は冷たい人間じゃない。
少女の口から漏れる苦痛の声が耳へ届くたびに、胸の奥がざわついた。
(っ……!)
思わず身体が前へ出そうになった、その時だった。
『助けたいんだろ?止めればいいじゃないか』
頭の奥で聞こえたのは、悪の権化の楽しそうな声だった。
少女を助けたいという感情へ寄り添いながら、破滅へ誘おうとしているのが分かる。
『翔、目的を忘れないでください』
賢者の声には感情らしい感情はない。
それでも、その一言は不思議なほど俺の頭を冷やしてくれた。
俺達がここへ来た理由は何だ?
少女を助けるためではない。詩織と話すためだ。
ここで飛び出せば、その全てが無駄になるかもしれない。
(くっ……っ)
奥歯を噛み締めながら震える拳を握り直す。
それでも、さっきまで暴れ回っていた衝動は少しだけ静まっていた。
その時だった。
「――ああああああっ!!」
少女の悲鳴が礼拝堂へ響き渡る。
今まで必死に耐えていたものが決壊したかのような叫びだった。
身体が大きく仰け反り、それに呼応するように壁へ埋め込まれた結晶が一際強い光を放つ。
眩い閃光が礼拝堂を包み込み、少女は糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。
それと同時に礼拝堂を満たしていた詠唱もぴたりと止み、先ほどまで空間を震わせていた祈りの声は跡形もなく消え失せる。
信者達も誰一人として口を開かない。
広大な礼拝堂を支配しているのは重苦しい沈黙だけだった。
倒れた少女はぴくりとも動かなかった。
まさか――そんな考えが脳裏を過った時だった。
司祭は少女の傍らへ膝をつくと、その身体へ静かに手を添えながら容態を確認する。
やがて司祭の口元がゆっくりと吊り上がった。
「成功です」
その一言が礼拝堂へ響く。
張り詰めていた空気が一気に緩み、信者達の間から安堵と歓喜の声が漏れ始めた。
「おお……!」「素晴らしい……!」「祝福だ……!」
その歓声に応えるかのように、少女の身体の周囲へ淡い光が現れる。
無数の光の粒が空中へ浮かび上がり、まるで意思を持つかのように少女の周囲を漂い始めた。
信者達の歓喜が礼拝堂を包み込む中、詩織は一歩前へ出る。
その姿を見た信者達は自然と口を閉ざし、先ほどまで広がっていた熱気も少しずつ静まっていった。
「新たな福音の誕生に祝福を」
「祝福を」
詩織の穏やかな声に信者達が続き、礼拝堂へ静かに響き渡る。
その様子を眺めながらも、俺の視線は祭壇の上で倒れたままの少女から離れなかった。
確かに能力は発現した。
けれど、その代償のように少女本人は意識を失い、未だ目を覚ます気配もない。
やがて詩織は両手を広げる。
「それでは、悩みを抱える者は前へ。私が話を聞きましょう」
その言葉を合図にするように、信者達が次々と祭壇へ向かい始めた。
どうやら女スパイの言っていた時間らしい。
すると隣にいた女スパイが、誰にも聞こえないほど小さな声で囁く。
「……今です」
その一言が耳へ届いた瞬間だった。
胸の奥で張り詰めていた感情が一気に溢れ出す。
少女の苦しむ姿。
それを止めなかった信者達。
そして何も言わず見守っていた詩織。
様々な感情が頭の中で渦巻き、気付けば俺は信者達の間を縫うように前へ飛び出していた。
「翔っ!?」
背後から澪の声が聞こえたが、もう足は止まらなかった。
祭壇へ向かう信者達を追い越していると、周囲から驚きの声が上がり始める。
開門派の人間達も異変に気付いたのだろう。
それでも俺は構わず走り続けた。
そして祭壇の前へ辿り着くと、詩織を真っ直ぐ見上げる。
集会で遠くから見た時とは違う。
手を伸ばせば届きそうなほど近い距離に、その女は立っていた。
激しく脈打つ心臓を感じながら、俺は震えそうになる声を押さえ込む。
「……あんたに聞きたいことがある」
翔「あの人……本当に俺が誰か分からないのか?」
賢者『記憶を意図的に消去している可能性がありますね』
僕『そんなの……悲しいよ』
戦闘狂『ハッ! なんか面白くなりそうじゃねぇか! 血がたぎるなぁ!』
翔「お前はもう少し自重しろ」
翔「次回、『特別な存在』――俺はアンタの息子だ!」




