第22話「教団内部」
近づくにつれて、建物の持つ圧迫感がより強くなる。
この場所そのものが俺達を観察しているかのような錯覚すら覚える。
やがて女が重厚な扉へ手を掛けた。
鈍い音を立てながら扉がゆっくりと開き、俺達は無言のままその中へ足を踏み入れる。
そして、扉が静かに閉まる音が背後で鈍く響いた。
長い通路はひんやりとした空気に包まれており、高い天井へ並ぶステンドグラスからは淡い光が差し込み、赤や青の色彩を床へ静かに落としている。
その幻想的な光景とは裏腹に、胸の奥に張り付くような緊張感は消えない。
「こちらです」
先を歩く女が、落ち着いた声でそう告げた。
表向きには穏やかで丁寧な態度。
しかし、入り口で交わしたあの小声を知ってしまった今では、その静かな口調すらどこか作り物めいて感じられる。
――観測派のスパイ。
彼女は何事もないような顔で俺達を案内していた。
隣を歩く澪もまた、周囲を警戒するように視線を巡らせている。
俺自身も無意識に肩へ力が入っているのを感じていた。
ここは福音の門本拠地。
NABとは別の意味で危険な場所――そんなイメージを抱いていた。
だが、通路を抜けた先で、俺は思わずわずかに目を見開くことになる。
広々とした礼拝堂には、数人の信徒たちが祈りを捧げていた。
巨大な聖像の前に並ぶ姿は穏やかで、狂気じみた叫び声も、不気味な儀式も存在しない。
聞こえてくるのは、どこか静謐な空気と、小さな祈りの声だけだった。
さらに奥の中庭へ視線を向けると、今度は子供たちの笑い声が耳へ届く。
追いかけっこをする子供たち。
その中には、掌へ小さな光を浮かべて遊んでいる少女の姿もあった。
異能――。
けれど、その力を恐れる者も、咎める者もいない。
俺がその光景へ目を向けていることに気づいたのか、女は足を止めないまま小さく口を開いた。
「ここでは、“普通”ですから」
「……普通?」
「異能も。人格も。否定されません」
淡々と告げられたその言葉は、どこか不思議な重みを持っていた。
異能を持つ者や人格を抱える者。
社会から弾かれ、危険視される側の人間。
そんな存在を受け入れる場所。
それだけ聞けば、救いのようにも思える。
「あまり、安心しすぎないでください。ここは、優しいだけの場所ではありませんから」
女はそれ以上余計なことを語ろうとはせず、そのまま再び通路を歩き始めた。
俺と澪も無言のまま後を追う。
中庭から離れるにつれ、子供たちの笑い声は徐々に遠ざかっていき、代わりに柔らかなカーペットを踏みしめる足音だけが響いていた。
いくつもの通路を曲がり、階段を上がった先で、女はようやく足を止める。
長い廊下が続き、一定間隔で扉が並ぶその光景は、どこか宿舎を思わせる造りになっている。
「居住区です」
女は短くそう説明すると、そのうちの一室の前へ歩み寄った。
小さく鍵を回す音が響き、続いて扉が静かに開かれる。
「こちらが、お二人の部屋になります」
室内へ足を踏み入れた俺は、思わず周囲を見回した。
白を基調とした部屋の中には、向かい合うように二つのベッドが置かれ、小さな机と棚、それに最低限の生活用品が整えられている。
質素ではあるものの、不自由を感じるほどではない。
むしろ妙に“普通”だった。
敵組織の本拠地という印象とは、あまりにもかけ離れている。
「……相部屋なんだな」
俺がそう呟くと、女は感情を見せないまま頷いた。
「外部から来た方を、一人で自由に行動させるわけにはいきませんので」
穏やかな口調ではあるが、その言葉には監視の意図がはっきりと滲んでいた。
「盗聴とかは?」
澪は警戒しながら室内へ視線を巡らせる。
「少なくとも、この部屋に監視装置はありません」
女はそう答えた後、ほんのわずかに言葉を切った。
「……他派閥については、保証できませんが」
「派閥?」
女の一言に、俺は眉をひそめる。
「福音の門は、一枚岩の組織ではありません」
返されたその言葉には、どこか諦めにも似た響きが混じっていた。
「現在、大きく分けて三つの派閥が存在しています」
女はそう言いながら、窓の外へ一瞬だけ視線を向けた。
「まず一つ目が“救済派”。異能者や多重人格者を保護する、福音の門最大派閥です」
脳裏に、先ほど中庭で見た子供たちの姿が浮かぶ。
あの穏やかな空気は、少なくとも偽物には見えなかった。
「二つ目が“開門派”。異能の暴走や人格変質すら肯定する思想派閥です」
その瞬間、部屋の空気がわずかに張り詰めた気がした。
「……それ、ヤバくねぇか?」
「ですが、内部への影響力は強いのです」
俺は思わず眉をひそめた。
異能暴走なんて、下手をすれば人が死ぬ。
人格変質だって普通じゃない。
ほとんど人体実験だ。
「そして最後が、“粛清派”。異能者を迫害する社会への復讐を掲げる武装派閥です」
「……テロリストみたいなもんか」
俺が低く呟くと、女は否定しなかった。
「そう認識されても仕方ありません。福音の門の暗部とも呼ばれています」
穏やかな聖堂の印象が、少しずつ崩れていく。
俺は小さく息を吐きながら、改めてこの組織の異質さを実感していた。
「……思ったより危険な教団なのね」
澪は小さく息を吐きながら、わずかに目を細めた。
その呟きに、俺は複雑な気分のまま視線を落とす。
救済を掲げながら、その裏では危険思想や武装派閥まで抱えている。
「……そんな教団を仕切っているのが、俺の母親」
「ええ。御門詩織様、その人です」
「だったら、早く会わせてくれよ」
思った以上に強い声が出たが、女は動じることなく、首を小さく横に振った。
「……大司教様に直接会うことは簡単ではありません」
「息子の俺でもか?」
俺が眉をひそめると、女は短く目を伏せる。
「大司教様は、福音の門の象徴です」
その声音には、先ほどまでの説明とは違う種類の慎重さが滲んでいた。
まるで、軽々しく触れてはいけない存在について語っているようだった。
「突然、新規入信した信者と私的に接触すれば、余計な憶測を呼びます」
「確かに、パニックを引き起こしかねないわね」
澪が腕を組みながら、小さく息を吐く。
その横顔は冷静だったが、完全に否定できないといった表情をしていた。
教団の頂点に立つ存在が、突然一人の新規信者へ接触する。
しかも、それが個人的な理由を含んでいたとすれば――内部がざわつくには十分すぎる。
「それに……大司教様自身が、どう反応されるかも分かりません」
ほんの一瞬だけ、女の視線が揺れる。
……どう反応するか分からない。
それはつまり、母親として喜ぶかもしれないし、逆に拒絶する可能性だってあるということだ。
俺は小さく目を細めながら、改めて女を見た。
「……アンタ、本当に観測派のスパイなんだよな?」
女の発言は、詩織を庇っているようにも聞こえる。
あるいは――妙に“大司教側”へ配慮しているようにも。
「……スパイだからこそ、慎重になるんです」
その返答には感情的な色はほとんどない。
ただ、冷静に危険性を見極めている――そんな響きだった。
「確かに、下手したら貴女の素性を探られるかもしれないものね」
澪は腕を組み、わずかに肩を落とす。
「ええ、ですので今は不用意に近づけるべきではないと判断しています」
女の言葉で、部屋の中に再び静かな空気が落ちる。
確かに理屈は分かる。
分かる、けど――。
「……じゃあ、どうすれば会えるんだよ」
抑えきれない苛立ちが、少しだけ声に滲んだ。
女は数秒だけ考え込むような間を置いた後、静かに口を開いた。
「……月に一度、定例集会があります」
「集会……?」
「救済派を中心に、各区画の信徒達も参加する大規模な集まりです」
その説明だけで、この教団が思っていた以上に巨大な組織なのだと改めて実感する。
澪はわずかに眉を寄せながら、女へ視線を向けた。
「その集会に、御門詩織も参加するのね?」
「はい。対話は難しいでしょうけど、少なくとも姿を確認することはできます」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
顔も覚えていないし、本当に母親なのかという実感すら薄い。
それでも、“会える”とわかっただけで、心のどこかが妙に落ち着かなくなる。
女はそこで、わずかに声の調子を落とした。
「姿をご覧になれば、貴方の記憶にも何かしらの影響が生じると思います」
「……なるほどな。やっぱりアンタはNABの人間だな」
『……ククッ。早く会えるといいねぇ。どんな顔をするのかなぁ?』
頭の奥で響いた悪の権化の声は、やけに愉しそうだった。
まるで、これから始まる“再会”そのものを待ち望んでいるみたいに。
お嬢『大司教との対面ですわね。紅茶くらいは出ますの?』
翔「集会だぞ!?」
戦闘狂『で?そこで戦えんのか?』
翔「戦う場所じゃねぇよ!」
悪の権化『ククッ……母親が教団の偶像だなんて、皮肉な話だねぇ』
僕『皆落ち着いてよぉ…』
賢者『緊張感の欠片もない方々ですね』
翔「次回、『閉ざされた門』――あれが……俺の母親?」




