第21話「静かな聖域」
「…は?」
間の抜けた声だった。
理解が追いつかない。
いや、理解したくなかったのかもしれない。
御門――詩織。
頭の奥で、何かが軋むような感覚が走った。
冷たい視線。
張り詰めた空気。
息苦しいほど静かな部屋。
――ガシャンッ!!
何かが叩きつけられる音。
――”どうして分からないのッ!!”
――”どうしてそんな風に振る舞うの!?”
――”どうして理解できないの!?”
女の怒鳴り声が、頭の奥へ鋭く響く。
そこで記憶はぶつりと途切れた。
次に浮かんだのは、暗い部屋の中で頭を撫でられる感覚。
――“貴方は特別なのよ”
――“他の子とは違う”
――“選ばれた子なの”
優しい声だけどその響きは、どこか狂気じみた熱を孕んでいた。
断片的な感覚だけが浮かんでは消えていく。
『……翔』
僕の小さな声が響く。
不安そうで、どこか怯えを滲ませた声音だった。
『冷静に。感情の急激な変動を確認』
賢者の声が続く。
淡々とした口調だったが、その奥には僅かな緊張が混じっていた。
俺は無意識に拳を握り締めながら、御堂を睨む。
「俺の母親が……大司教だと?」
プレハブ内部の空気が、わずかに重くなった気がした。
御堂はこちらを見つめたまま、小さく息を吐く。
「君が動揺するのも無理はない。彼女は現在、“福音の門”の実質的指導者だ」
御堂は組んでいた指をゆっくり解き、まるで既に決まっていた事実を確認するような口調で続けた。
「先代開祖の死後、その思想を最も深く継承した人物として彼女は選ばれた」
御堂はそこで一度言葉を切ると、銀縁眼鏡のブリッジへ指を添え、軽く押し上げた。
白い照明がレンズ表面を淡く照らし、その奥の視線を一瞬だけ見えなくする。
「異能者や多重人格者の保護と救済を掲げ、多くの信徒から支持を集めている」
胃の辺りがざわつく。
断片的に浮かぶ記憶の中の“母親”と、御堂の語る“救済者”の姿がどうしても結びつかなかった。
「……そんな母親に、会えって言うのかよ」
低く漏れた声に、御堂はこちらを見つめ返す。
「ああ。彼女と接触すれば、君の記憶は揺れ動かされ、新たな可能性を観測できるだろうからね」
その言い方は、まるで人間じゃなく実験動物でも観察するみたいだった。
「ただし、簡単には会えない。教団内部は少々複雑でね」
「……どういうことだ?」
御堂の軽い口ぶりに、思わず眉をひそめる。
ただの宗教団体じゃない。
それくらいは、ここまでの話だけでも十分伝わってきていた。
人格の解放と異能者の救済。
そして、母親がその中心にいるという事実。
断片的な情報だけなのに、内側へじわじわと嫌な感覚が広がっていく。
御堂はそんなこちらの反応を観察するみたいに目を細めた。
「それは入信すれば分かるよ」
「……もったいぶるわね」
澪が警戒を隠さないまま低く呟く。
武装工作員達は依然として無言のまま、その場の空気だけが張り詰めていた。
そんな中でも、御堂だけは妙に落ち着き払っている。
「ははっ、まぁ翔君の能力を見せつければ、案外すぐ会えるかもしれないね」
その声音には、どこか試すような響きが混ざっていた。
「……だといいんだがな」
俺は低く返しながら、意識の底のざわつきを押し込める。
「……一つ聞いてもいいかしら?」
澪が小さく息を吐き、御堂へ鋭い視線を向ける。
「何かね、澪君」
御堂は相変わらず穏やかな口調のまま答える。
「翔が入信するとして、私はどうなるの?」
御堂は数秒だけ澪を見つめ、それから小さく口元を緩めた。
「安心したまえ。澪君も保護監督者として一緒に入信してもらうよ」
「……あら。人質として拘束されるのかと思ったわ」
「我々は強硬派とは違うのでね。手荒な真似はしたくないのだよ」
「十分“手荒”だろ、今の状況」
御堂は俺の言葉など意に介さず、背後へ軽く視線を向けた。
「もちろん、無条件で自由行動を許可するつもりはない。――おい、例のものを澪君に」
「はっ!」
武装工作員の一人が即座に動く。
しばらくして戻ってきたその手には、小型ケースが握られていた。
御堂はケースを受け取ると、ゆっくり蓋を開く。
中に収められていたのは、黒銀色の細いブレスレットだった。
無駄のない滑らかなデザイン。
だが、妙に冷たい印象だけが強く残る。
「生体モニターだ。位置情報、心拍、精神波形を常時観測する」
「……監視装置じゃねぇか」
俺が低く吐き捨てても、御堂は悪びれる様子すら見せなかった。
「それくらいの“保険”は当然だろう?まぁ、君達が妙な真似をしなければ問題ないさ」
「……妙な真似をしたら?」
空気が、わずかに張り詰める。
御堂はしばらく無言のままこちらを見つめ、それから澪へ視線を向けた。
「……君は賢い。説明は不要だろう?」
「っ……」
澪の表情が僅かに強張る。
その沈黙だけで、十分すぎる答えだった。
御堂は小さく息を吐き、椅子から立ち上がった。
銀縁眼鏡の奥の視線が、真っ直ぐこちらへ向けられる。
「さて、それでは早速向かってもらおうか。“福音の門”の本拠地へ」
◇ ◇ ◇
黒塗りのセダンは、山道を静かに走り続けていた。
窓の外には、深い森がどこまでも広がっている。
昼間だというのに、木々の密度が濃すぎるせいか、差し込む陽光は薄暗かった。
舗装された道路。
だが、ここへ来るまでに対向車は一台も見ていない。
街の気配は、とっくに消えていた。
車内には、エンジン音とタイヤが路面を擦る音だけが淡々と響いている。
運転席と助手席には黒服の男達。
バックミラー越しに視線を向けてくることはあっても、無駄な会話は一切しない。
「……随分と山奥なのね」
小さく呟く澪の左手首には、黒銀色のブレスレットが嵌められている。
無機質な金属光沢だけが、妙に目につく。
「宗教施設ってより、隔離施設だな」
俺はそう返しながら窓の外を見る。
高い木々に長い山道。
外界から切り離されていく感覚だけが、じわじわと胸へまとわりついていた。
『……嫌な感じがする』
最初に響いたのは、僕の不安そうな声だった。
怯える感情が、そのまま胸の奥へ滲んでくる。
『現在位置は山岳地帯。逃走経路は限定的です』
続く賢者の声は冷静だった。
だが、その分析自体が状況の悪さを淡々と示している。
『ハッ、逃げ場がねぇってことか』
戦闘狂は逆に熱を滲ませていた。
『女性へ監視装置を付け、無言の男達で囲み、山奥へ連行するなど……趣味が悪すぎますわ』
今度はお嬢だった。
露骨に不快そうな感情が流れ込んでくる。
『ククッ……いいねぇ。“閉じた場所”って感じがするよ。逃げ場もないし、監視もされてる。おまけに帰れる保証もない――』
最後に響いたのは、悪の権化の粘つくような笑い声だった。
愉悦が、ゆっくり頭の奥へ染み込んでくる。
『ようやく“壊れる舞台”っぽくなってきたじゃないか』
「……うるせぇよ」
悪へ小さく釘を刺す。
だが、その言葉を完全には否定しきれない自分がいるのも分かっていた。
黒塗りのセダンは、さらに山道を進み続ける。
やがて、深い木々の密度が少しずつ薄れていき、不意に視界が開ける。
「……っ」
そこに広がる光景に、自然と視線が止まった。
森の奥には、古い聖堂を思わせる巨大な石造建築が静かに佇んでいた。
灰白色の石壁に空へ伸びる尖塔、それに幾何学模様の巨大ステンドグラス。
まるで中世の教会を、そのまま山奥へ切り取ってきたみたいだった。
セダンが石畳の広場へゆっくり停車する。
数秒後、運転席の黒服が短く告げた。
「……降りろ」
俺と澪は重たいドアを開け、外へ出る。
ひやりとした空気が肌を撫でた。
視線を上げると、その巨大な建築物の圧迫感に、自然と喉が渇く。
「……本当に、宗教施設なのね」
澪の声には、警戒が滲んでいた。
セダンは短くエンジン音を鳴らすと、そのまま石畳の広場を離れていく。
タイヤの走行音が少しずつ遠ざかり、やがて周囲には、山奥特有の静寂だけが残った。
「――ようこそ。“福音の門”へ」
落ち着いた女の声が聞こえた。
視線を向けると、聖堂入口付近へ一人の女が立っている。
黒と白を基調とした修道服風の衣装。
長い髪を後ろで束ねた、落ち着いた雰囲気の女だった。
穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その目だけは周囲を観察するみたいに妙に鋭かった。
女はゆっくりこちらへ歩み寄る。
石畳を踏む足音だけが、やけに周囲に小さく響く。
「私は案内役を任されています。よろしくお願いします」
そこまで言った直後だった。
すれ違いざま、女の唇がほんの僅かに動く。
「……観測派です。話は後で」
「っ……」
あまりにも自然だった。
隣で、澪の視線が僅かに鋭くなる。
だが女は何事もなかったみたいに微笑みを崩さない。
「どうしました?」
その声音は、完全に“教団側の人間”そのものだった。
翔「子供たちが……平気で異能を使ってる」
澪「ここじゃ当たり前の光景みたいね」
僕『ちょっと安心したかも……』
お嬢『ふふっ、穏やかな光景のように見えますわね』
賢者『この教団は、一筋縄ではいかないようですね』
戦闘狂『ケッ、この空気は信用ならねぇな』
悪の権化『ククッ……綺麗な場所ほど、裏は汚れているものさ』
翔「次回、『教団内部』――この教団、本当に救済だけが目的なのか?」




