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五つの人格を宿す俺は、秘密組織に狙われている  作者: 白井黒也
第一章『閉ざされた記憶』
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第19話「起源」

低い冷却音。

青白いモニター光。

床へ倒れた研究員の荒い呼吸。


全部が遠い。


俺の視線は、画面へ表示された最後の一文へ縫い付けられていた。


BLACKは、実験過程で発生した人格反応である。


つまり、悪の権化だけが“後から生まれた”。

だったら、僕は、お嬢は、賢者は、戦闘狂は最初から。


『……ええ。我々は、実験によって作られた存在ではありません』


賢者の静かな声が落ちる。

だが、その奥にはどこか重い響きが混じっていた。


『ごめんね……でも、翔が自分で辿り着かなきゃいけないって思ったから』


僕の不安そうな感情が、頭の奥へ静かに滲む。

怯えるような、申し訳なさそうな気配が伝わってくる。


「お前ら……知ってたのか?」


『……うん』


僕の小さな返事だけが返ってくる。

けれど、それが妙に胸へ刺さった。


『どうやら、あなたが受け止められない情報は、私たちも口にできないようです』

静かに口を開いたのは賢者だった。


『何度伝えようとしても、その話題になると言葉が出ません』

賢者は一度言葉を切り、自らの現象を整理するようにわずかに思案した。


『まるで、あなた自身が心の奥底へ鍵を掛け、その鍵が私たちの口まで縛っているかのように』

その冷静な説明を聞いても、すぐには理解できなかった。


「……そんなことが、本当にあるのか?」


『少なくとも、私たちはそのように認識しています』

賢者は淡々と答える。


『ハッ、今更だろ。オレらは最初からお前の中にいた。“そういうモン”だと思ってたぜ』


今度は戦闘狂の苛立つような熱量が流れ込んでくる。


「最初から……」


喉がひどく乾く。

じゃあ、俺は何なんだ。

何で人格なんてものがいる。

何で、こんな風になった。


「……私も、翔のデータを見たことがあったわ」


「……俺の?」


「ええ。担当じゃなかったけれど、翔の記録は何度か目にしたことがあった」


澪は表示された記録を見つめながら、何かを思い返すように目を伏せた。


「人格ごとの異能変化。肉体変化。適応率。人格安定性――翔は全部が異常だった」


「……異常って」


「NABが“最高適合”って判断するくらいには」


「じゃあ……何で、何で、俺は分かれたんだよ」


自分でも驚くくらい、声が掠れていた。


その瞬間だった。


――ガンッ!!


頭の奥で、何かが叩き割られる。


「っ……!?」


脳を無理やり掻き回されるみたいな激痛が走った。

視界が揺れ、呼吸が止まる。

青白いアーカイブの光が、滲むように崩れていく。


そして、目の前には別の景色が広がっていた。


暗い部屋。

古びた天井。

湿った空気。

割れる皿の音。


【なんでアンタは――!!】


鋭い怒鳴り声が響き、身体が強張る。

頭より先に、恐怖の感情だけが全身を支配した。


【ごめんなさい……】


聞こえたのは、震えた幼い声だった。

泣きそうなくせに、必死に声を押し殺している。

俺の声だ。


【うるさいッ!!】


何かが飛ぶ。

ガラスの砕ける音。

反射的に身体が縮こまる。


――怖い。

――痛い。

――逃げたい。


今すぐ、この場所から消えたい。


場面が、ぶつ切りみたいに切り替わる。

今度は、薄暗い書斎だった。


【……また問題を起こしたのか。失望したぞ】


低く冷たい男の声。

怒鳴っているわけじゃない。


なのに、身体が動かなくなる。

胸の奥が、ひどく冷える。


【期待した私が馬鹿だった】


その言葉だけで、息が詰まりそうになる。


違う。

頑張った。

ちゃんとやろうとした。

なのに…何も認めてもらえない。


――怖い。

――否定される。

――壊れる。


だけど、胸の奥で別の感情が暴れる。


――守らなきゃ。


――戦え。


――考えるのです。


――壊れないで。


幾つもの感情が、頭の中で無理やり引き裂かれていく。


「っ、ぁ……!!」


気づけば、俺は頭を押さえていた。

肺が上手く空気を吸えない。


心臓だけが、嫌なくらい暴れていた。

意識の内側が、一気に騒がしくなる。


『翔っ!!』


僕の怯えた声。

不安と恐怖が、そのまま流れ込んでくる。


『これ以上は危険です』


賢者の声は冷静だった。

けれど、その奥には隠しきれない焦りが滲んでいる。


『無理に思い出す必要なんてありませんわ!』


お嬢の感情も大きく揺れていた。

取り乱しかけているのが分かる。


『チッ……最悪の記憶じゃねぇか』


戦闘狂ですら、苛立ったような熱をぶつけてくる。


だけど、その中で一人だけ。

耳元へ甘く囁く声があった。


『ククッ……ようやく“入口”だねぇ』


悪の粘つくような愉悦が、頭の奥へ染み込んでくる。


『もっと思い出しなよ』


「……やめろ」


掠れた声が漏れる。

だが悪は止まらない。


『君は、そんなモンじゃないだろ?』


記憶の奥底へ、無理やり手を突っ込まれる感覚。


『壊れて、砕けて、それでも残ったから――今の君がいるんだ』


「やめろ……!」


『思い出しなよ。君が“何から逃げたのか”をさ』


悪の声だけが、妙にはっきり響く。


「やめろッ!!」


怒鳴った、その直後だった。


「――動くな」


低い声が、張り詰めていたアーカイブの空気を切り裂く。

反射的に顔を上げると、重たい隔壁がゆっくり開き、その奥から複数の武装兵が雪崩れ込んできた。


黒を基調とした強化装甲。

全面フェイスガード付きヘルメット。


胸部には追加装甲。

腕部には異能対策用らしき拘束装置まで装着されている。


ただの警備部隊じゃない。

最初から、“能力者との戦闘”を想定した装備だった。

無駄のない動きで散開しながら、銃口が一斉にこちらへ向けられる。


空気が、一瞬で塗り替えられた。

澪が咄嗟に俺の前へ出ようとする。


「翔――!」


「抵抗は推奨しません」


低い声が響く。

だが、その声は武装兵達のものではなかった。

部隊の奥から、一人の男がゆっくり姿を現れ、重装備の兵士達が左右へ割れる。


年齢は四十代後半くらいか。

白衣を纏った痩せた男だった。


銀縁の眼鏡の奥に見える鋭い目。

そして、その表情だけが異様なほど穏やかだった。

武装集団の中心にいるのに、まるで研究室にでも立っているみたいに男は俺を見つめる。


その視線に、背筋が粟立った。


敵意じゃない。

そう、それは“研究対象”を見る目だった。


男は小さく口元を歪める。


「……ようやく、“扉”が開き始めたようですね」


その言葉を聞くなり、内側から爆発みたいな怒気が膨れ上がった。

叩き壊したい衝動が、一気に理性を押し流しかける。


――戦闘狂が出てこようとしている。


「テメェらァ!!」


自分の意思より先に、言葉が口から飛び出し、一歩踏み出しかける。


「おっと、戦闘人格。下手な真似をすれば、澪君の命はありませんよ?」


白衣の男が、穏やかな声で口を開いた。

同時に武装兵達の銃口が、一斉に澪へ向けられる。


「っ……!」


澪の表情が強張る。

その場の緊張が、一気に張り詰める。

頭の奥で、戦闘狂の激情が荒れ狂っている。


『チッ……!!……今は引く』


激しい舌打ち。

暴れようとしていた熱が、無理やり押し戻される。


苛立ちを滲ませながら、戦闘狂の熱がゆっくり奥へ沈んでいく。

代わりに戻ってきたのは、息苦しいくらいの緊張感だった。


白衣の男は、その様子を静かに眺めている。


「安心してください。我々は、君を排除しに来たわけではありません」


まるで研究発表でもしているみたいな、穏やかな声で言葉を紡ぐ。


「だったらその銃下ろせよ」


「それはできません。君は危険すぎる」


その言葉に、頭の奥で戦闘狂が不快そうな熱を滲ませた。

だが男は気にした様子もなく、白衣の裾を揺らしながらゆっくり前へ出る。


「申し遅れました。私は観測派最高責任者、御堂透という者です」


「観測派……」


澪が警戒を滲ませる。

御堂は、そんな澪を一瞥した後、再び俺へ視線を戻した。


その目には敵意がない。

だが、だからこそ不気味だった。

何かを観察するような、冷たい興味だけがそこにあった。


「君達がアーカイブへ到達することは、既に想定済みでした」


「……泳がされてたって訳か」


「ええ。君には、“記憶”へ辿り着いてもらう必要がありましたので」


さっきの記憶が焼き付いていた。

それなのに、目の前の男はそれすら“観測結果”として眺めている。


「どういうことだ?」


掠れた声で問い返すと、御堂はわずかに目を細め、静かな口調のまま告げた。


「単刀直入に言いましょう。君は未完成なのです」


空気が止まった気がした。

御堂の声には、一切の迷いがない。


「確かに君は、プロジェクト・キメラ唯一の成功例です。ですが、まだ進化の途中段階に過ぎない」


「進化……?」


理解できない。

だが御堂は当然のことみたいに頷いた。


「人格分離は欠陥ではありません。人は極限状況下において、自らを分割し、生存可能性を高める」


御堂は感情を交えず語る。

その声色は人間の話をしているように思えなかった。


「そして君は、その可能性を極めて高水準で実現している」


御堂の視線が、まっすぐ俺へ向けられる。


期待…興味…執着。

その全部が混ざった目だった。


「強硬派は更なる実験によって、我々観測派は記憶の補完によって、その先を見出そうとしているのです」


「記憶の、補完?」


掠れた声が漏れる。

御堂は小さく頷き、なおも穏やかな口調で囁く。


「真実を知りたくはありませんか?BLACK以外の人格が、何故生まれたのか」


「――ッ!?」


心臓が大きく跳ねる。

頭の奥で、一気に感情がぶつかり合った。


『ダメだよ……!思い出したら、また翔が壊れる!』


最初に響いたのは、僕の声だった。

強い不安と恐怖が、そのまま流れ込んでくる。


『精神負荷が高すぎます。現在の記憶復元は極めて危険です』


賢者の声も鋭い。

いつもの冷静さを保ちながらも、その奥には明確な警戒が滲んでいた。


『過去を知ることだけが正しいとは限りませんわ。無理に傷を抉り返す必要なんてありませんの』


今度はお嬢。

その感情には、珍しく焦りが混じっていた。


頭の奥が騒がしい。

拒絶、警戒、不安。

人格達の感情が、次々と流れ込んでくる。


だが、その中で一人だけ、悪が粘つくような、愉悦を滲ませる声を漏らす。


『ククッ……知りたいんだろ?自分が“何なのか”をさ』


「……っ」


――何故、人格が生まれたのか。

その答えだけが、嫌に頭から離れなかった。


「俺に……どうしろって言うんだ」


頭の奥では、まだ人格達の感情がぶつかり合っている。

その全部を押し流すみたいに、御堂は静かに口を開いた。


「簡単です。我々の指示に従い、ある団体と接触してほしいのです」


「団体……?」


「ええ。正確には、その中にいる“ある人物たち”に――ですがね」


その言い方に、妙な引っ掛かりを覚えた。

それは、最初から俺が“誰に会うべきか”まで決まっているみたいだった。


『……誘導するつもりですか』


頭の奥で、賢者の意識が鋭くなる。


「誘導?」


俺が問い返すより先に、御堂はわずかに笑みを浮かべる。


「君には、自分自身の過去と向き合ってもらう必要があります」


感情を感じさせない声音だった。

それなのに、その言葉だけで胸の奥がざわつく。


「彼らと接触することで、失われた記憶は必ず刺激される」


「……っ」


「おっと、拒否するのであれば、澪君はここで処分します」


御堂の声と共に、武装兵の一人が澪の背後へ回る。

銃口が、ぴたりと澪へ向けられた。


「っ……!」


空気が、一瞬で凍りついた。

あまりにも自然な口調だった。

それは“当然の条件”でも提示するようだった。


「翔……ダメ」


澪が、小さく首を振る。

銃口を向けられているのに、それでも俺を止めようとしていた。


怖い。

思い出したくない。

あの記憶の続きを見れば、何かが壊れる気がする。


なのに、胸の奥では別の感情が消えない。


――知りたい。


俺は何なんだ。

何故、こうなった。


そして、澪を失いたくない。

拳を強く握り締める。

爪が掌へ食い込む感覚だけが、妙に現実的だった。


「……分かった。誰に会えばいいんだ?」


人格達の感情が、一気に揺れた。

それでも俺は、御堂から視線を逸らさない。


その問いに、御堂は僅かに目を細めた。

ようやくここまで辿り着いたとでも言いたげに。


「それは――君の母親だよ」

翔「母親……本当に会えるんだよな」


澪「会えるでしょうね。でも、期待しすぎない方がいいわ」


僕『……怖いよ。翔が壊れないか』


お嬢『どんな結末になろうと、わたくし達は翔様の味方ですわ』


賢者『向き合う時が来たということです』


戦闘狂『邪魔する奴はなぎ倒してやらぁ!』


悪の権化『ククッ……“感動の再会”になるといいねぇ』


翔「次回、『福音の門』――俺の母親ってどんな人なんだ?」

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