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五つの人格を宿す俺は、秘密組織に狙われている  作者: 白井黒也
第一章『閉ざされた記憶』
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第17話「深層へ」

『巡回ルート接近まで七十秒』


頭の奥で賢者が静かにカウントを始めた。

高台の斜面を、俺達は静かに駆け下りていく。


夜風が頬を打つ。

遠くで警備車両のライトがゆっくりと移動していた。


NAB日本支部。

巨大な白い施設は、近づくほど異様な威圧感を放っていた。


正面側は煌々と照らされている。

だが、レイヴンに教えられた搬入口側は違った。


建物裏手。

大型搬送用シャッターが並ぶその一帯は、表側に比べて明らかに人の気配が少ない。

それでも。


『監視カメラ二基。巡回警備一名。巡回通過まで残り三十秒です』


賢者の冷静な声が響く。

俺達は搬送コンテナの陰へ身を潜める。

冷たい金属へ背中を預けながら、静かに息を整えた。


隣では、澪も施設の動きをじっと見つめている。

緊張しているんだろう。

握り締めた拳へ、僅かに力が入っていた。


「……こうして戻ってくるなんて、思ってなかった」


ぽつり、と澪が呟く。

その声は、夜風へ溶けそうなくらい小さかった。


「後悔してるか?」


俺が聞くと、澪は少しだけ黙り込む。

やがて、小さく首を横へ振った。


「……分からない」


その答えが妙に澪らしかった。

強がって誤魔化すわけでもなく、綺麗事を言うわけでもない。

ただ、本音だけを零している。


『巡回通過。今です』


賢者の声と同時に、遠くで警備員の足音が離れていく。

その瞬間、俺達は一気に物陰から飛び出した。

夜の搬入口を、低い姿勢のまま駆け抜ける。


心臓が大きく脈打つ。

バレるな。気付かれるな。

頭の中で、そんな言葉ばかりが反響していた。


やがて、搬入口脇の保守用扉へ辿り着く。


電子ロック。

認証端末。

赤い待機ランプ。


『カードキー式電子ロックですね。恐らく外周保守スタッフ用。ここはまだ警備レベルが低い』


賢者が端末を見据えたまま呟く。


「まだ、って言い方やめろよ……」


俺は小声で返した。

澪が静かにポケットから一枚のカードキーを取り出す。

白地に黒い識別コードが刻まれた、無機質なカード。


「レイヴンが用意してくれたものよ。裏ルートで極秘に入手したって」


「そんなことまでできるのか、あの人……」


「だから情報屋として生き残れてるんでしょうね」


どこか呆れたように澪が返す。

そして、カードキーが認証端末へかざされる。


――ピッ。


短い電子音。

赤かったランプが、緑へ変わった。

重たいロック音を響かせながら、保守用扉がゆっくりと開いていく。


ひやりとした空気が、通路の奥から流れ出してきた。


白い壁。

無機質な照明。

静かに響く機械音。


頭の奥が、微かにざわついた。


『……ここ、嫌だ』


僕が怯えた声を漏らす。

白い通路を見ているだけで、断片的な記憶がちらつく。


冷たいベッド。

拘束具。

誰かの声。


「……大丈夫だ」


自分に言い聞かせるみたいに、小さく呟く。

そして俺達は、静かに施設内部へ足を踏み入れた。


保守通路は思ったより狭い。

天井には無数の配線と配管が走り、低く唸るような機械音が壁越しに響いている。


『右前方、監視カメラ一基。旋回周期、約五秒』


賢者の声と共に、頭の中へ自然と監視ルートが浮かび上がった。


「……今だ」


カメラが反対方向へ向いた瞬間、俺達は一気に通路を横切る。

靴音を極力殺しながら、壁際へ身を寄せる。


心臓がうるさい。

こんな少しの音でも、全部響いてる気がした。


『警備員接近』


賢者の声と同時に、遠くから足音が聞こえてくる。

俺達は咄嗟に物陰へ身体を滑り込ませた。


規則正しい足音。

やがて、白い制服姿の警備員が通路を横切っていく。


その腰には警棒。

胸元には認証カード。


『現在位置を維持』


賢者が低く告げる。

警備員が視界から消えるまで、数秒。


けれど、その数秒が異様に長く感じた。

やがて足音が遠ざかっていく。


「……はぁ」


思わず小さく息を吐く。

澪も同じように緊張していたのか、僅かに肩の力を抜いていた。


「まだ入口付近よ。ここから先の方が警備は厳しくなる」


澪が小声で呟く。

その声には、かつてこの施設にいた人間だからこその実感が滲んでいた。


『前方分岐を左です』


賢者の指示に従い、俺達はさらに奥へ進んでいく。


保守通路。

狭い連絡路。

薄暗い機械区画。


施設内部は、まるで巨大な迷路みたいだった。

そして進めば進むほど。

頭の奥が、少しずつざわついていく。


『……知ってる』


不意に、僕が小さく呟いた。


「え?」


『ここ……なんか、知ってる気がする……』


頭の奥で、白い部屋の光景が一瞬だけフラッシュする。


耳鳴り。

薬品の匂い。

誰かの声。


思わず足が止まりそうになる。


『止まらないでください。次の巡回まで残り二十秒。前方ゲートを突破します』


賢者の平然とした声が、意識を引き戻した。

そして通路の先、より厳重な警備区域へ続く、自動隔壁がゆっくり視界へ現れた。


自動隔壁の横には、認証端末が設置されていた。

画面中央には赤い警告表示。


《LEVEL-3 AUTHORIZATION REQUIRED》


『中層区画へのアクセス制限ですね。登録職員によるID認証、および個別パスコード入力が必要と思われます』


賢者の淡々とした声が響く。


「つまり、カードだけじゃ駄目ね」


澪が小さく呟く。


『……なるほど。認証システムの一部が旧式のまま残されています』


「旧式?」


『施設全体を完全に更新するとコストが掛かるのでしょう。古い認証プログラムがそのまま使用されています』


その瞬間、視界がわずかに揺れ、思考速度が加速する。

賢者が表へ出てきた。


賢者は静かに端末へ手をかざす。

淡い蒼色の魔法陣が、指先の下へ展開された。

細かな光の文字列が、端末表面を流れていく。


「……魔術?」


澪が小さく息を呑む。


『通過ログへ介入します。直近の認証履歴から、使用頻度の高いパスコードパターンを解析』


賢者の声は落ち着き払っていた。

青白い光が、端末内部へ染み込むみたいに広がっていく。


次々と流れていく認証記録。

職員ID。通過時刻。入力履歴。


『……特定完了』


賢者の指先が、迷いなくテンキーへ触れ、入力する。

そして――。


《ACCESS GRANTED》


赤かったランプが、緑へ変わる。

重たい駆動音と共に、自動隔壁がゆっくり左右へ開いていった。


その向こうから流れ出してきた空気は、さっきまでの保守通路とは明らかに違っていた。


冷たく、無機質で、息苦しい。

まるで施設そのものが、侵入者を拒絶しているみたいだった。


『中層区画へ到達』


頭の奥で、賢者が囁く。

俺達はゆっくりと隔壁の向こう側へ足を踏み入れた。


白い床。

規則正しく並ぶ照明。

一定間隔で配置された監視カメラ。


視界へ入る情報量が、一気に増える。


いや――違う。

俺が認識しているんじゃない。


今、表に出ている賢者が、この空間を解析しているんだ。

脳内へ次々と情報が流れ込んでくる。


監視ルート。

死角。

巡回周期。


普通なら見逃すような細かい違和感まで、異様な精度で拾い上げていく。


『ここから先は警備レベルが上昇します』


賢者の声音には、相変わらず感情の揺れがない。

俺の感覚も残っているはずなのに、今は思考の大半を賢者が支配していた。


(……十分嫌な予感しかしないな)


俺の心の声に賢者は反応せず、施設内部を解析し続けていた。


『監視カメラ四基、巡回警備二名。接近中』


遠くの通路奥から、複数の足音が聞こえてくる。

澪が咄嗟に壁際へ身体を寄せた。

賢者も反射的に機材ラックの陰へ滑り込む。


規則正しい足音。

それに混じって、低い電子音も聞こえてきた。

白い通路の奥から現れたものを見て、思わず息を呑む。


「……ドローン?」


警備員だけじゃない。

人の頭ほどのサイズをした黒い監視ドローンが、通路中央をゆっくり巡回していた。

赤いセンサー光が、一定周期で周囲をスキャンしている。


『熱源感知型です。通常の視覚監視だけではありません。最新警備機構なのでしょう』


(おいおい……聞いてないぞそんなの)


俺の不安をよそに、賢者は冷静なままだ。

だが、その時だった。


『……嫌だ。あれ……知ってる』


頭の奥で、僕が小さく震える声が聞こえ、白い光景がフラッシュする。


固い拘束具。

眩しい照明。

そして、赤い光を点滅させながら、こちらを見下ろす監視ドローン。


(っ……!)


不意に呼吸が浅くなる。

心臓が嫌な音を立てた。


『落ち着いてください。現在位置は未探知。まだ問題ありません』


賢者の声が、静かに意識を引き戻す。

その間にも、監視ドローンの赤いセンサー光が、ゆっくりこちらの方向へ向き始めていた。

まるで獲物を探しているみたいに、赤い光が薄暗い通路をなぞっていた。


『熱源走査開始』


賢者が声を潜める。

頭の中へ周囲の情報が一気に流れ込んできた。


通路構造、機材配置、空調循環、温度分布。

まるで施設全体を俯瞰して見ているみたいだった。


『熱源感知のみでは警報は作動しません。誤検知対策でしょう。この施設内部には恒常的な機械熱が存在します』


赤いセンサー光が、こちらの物陰付近をゆっくりスキャンしていく。


『熱源検知後、追加走査によって“人型熱源”と判定された場合のみ、警備システムへ通知される仕様と思われます』


(つまり……?)


『確認処理へ入る前に、別方向へ誘導します』


賢者が静かに指先を持ち上げる。

淡い蒼色の魔法陣が、空中へ静かに展開された。


複雑な紋様が、薄く発光する。

通路奥の機材ラック付近で、小さく空気が揺らいだ。


じわり、と熱が生まれる感覚。

監視ドローンの赤いセンサー光が、即座にそちらへ向きを変えた。

ドローンはゆっくりと偽装熱源へ接近していく。


『熱源反応を誤認。追加走査開始まで残り四秒』


賢者は指示を澪に送り、靴音を殺しながら物陰から飛び出して、一気に通路奥へ駆け抜けた。

ドローンはなおも、偽装熱源の解析を続けていた。


『突破成功』


賢者の声に、張り詰めていた息がようやく少しだけ漏れた。


その後も、俺達は賢者の指示に従いながら施設内部を進み続けた。

賢者は迷いなく施設構造を読み解き、その度に魔術でセキュリティへ静かに介入していく。


その精度は、正直異常だった。

もし賢者がいなかったら、俺達は最初の区画すら突破できていなかっただろう。


そして――。


『前方区画を抜ければ、アーカイブです』


賢者の声の先に見えたのは、黒い文字が表示されている、分厚い隔壁扉。


《ARCHIVE》


ついに、俺達は“アーカイブ”の目前まで辿り着いていた。

扉の横には、これまでとは明らかに違う認証端末が設置されていた。


虹彩認証。

指紋認証。

静脈スキャン。

複数の認証装置が、無機質な光を放っている。


『高権限研究員クラスの生体認証が必要と思われます。電子的介入は困難です』


賢者は認証端末を一瞥しただけで、淡々と結論を口にした。


短い沈黙が落ちる。

そして。


『ククッ……ようやく、ボクの番だね』


頭の奥で、悪の権化が愉快そうに笑った、その瞬間だった。

視界が、大きく揺れる。

ぞわり、と。


身体の奥から、粘つくような何かが這い上がってくる。

今まで賢者が支配していた静かな思考が、黒い感情へ塗り潰されていく。

頭の奥で響いていた理性的な感覚が、ゆっくり沈んでいった。


そして、視界の端で、深い青色だった髪がゆっくり黒へ染まり直していく。

口元が、自然に吊り上がる。

まるで、自分じゃない誰かが笑っているみたいに。


澪が息を呑んだ。


「……っ」


『大丈夫、少しだけ、“お願い”するだけだからさ』


その声色は妙に優しい。

俺――いや、悪は、楽しそうに笑っている。


『前方通路。研究員一名接近中』


賢者がそっと告げる。

疲れた顔をしており、無防備な足取りの研究員男が、通路奥から歩いてくる。


視界の奥で、ぞわりと黒い何かが滲む。

頭の奥から冷たい感情が広がっていく。


『――ねぇ』


その声が響いた瞬間、研究員の足が不自然に止まる。

男の瞳から、ゆっくり光が消えていった。


研究員は虚ろな目のまま、こちらへ歩いてくる。

まるで糸で操られているみたいだった。


『そのまま、認証して』


悪が愉快そうに囁く。

男は無言のまま認証端末へ手を置く。


――ACCESS AUTHORIZED.


緑色のランプが点灯する。


直後、重たい駆動音と共に、“アーカイブ”の隔壁がゆっくり開き始めた。

低い振動音が、静まり返った通路へ響いていく。

その様子を見ながら、悪はふと研究員へ視線を向ける。


『……うん、まだ使えそうだね』


悪が楽しそうに笑う。


(使うって、おい……)


俺の意識が思わず反応する。


『だって便利じゃないか。高権限研究員なんて、そう簡単に拾えないんだからさ』


悪はまるで悪びれもしない。

その言葉と同時に、研究員がぎこちなく身体を動かした。

関節が微かに軋むような、不自然な動き。


澪が小さく眉を寄せる。


「……本当に大丈夫なの?」


『壊れてないよ。まだね』


悪はクスクスと笑った。

その言い方が、逆に怖い。

悪と澪、そして一人の傀儡は、ゆっくりとアーカイブ内部へと歩き出した。

翔「これで全部分かるんだよな……?」


澪「そうとは限らないわ」


賢者『真実とは、必ずしも望む形ではありませんよ』


戦闘狂『へっ、今さら怖気づいたか?』


悪の権化『ククッ……楽しみだねぇ』


翔「何がだよ」


悪の権化『君が“壊れ始めていく”のがさ』


翔「次回、『観察記録』――これが俺達の……」

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