第14話「キメラの記憶」
「……っ」
そこは、表のバーとはまるで別世界だった。
薄暗い部屋の中では、複数のモニターが青白い光を放っている。
壁一面には地図やメモ、写真が貼られ、その横には無線機器や数台のPCが並んでいた。
さらに奥には、無造作に積まれた武器ケース。
机の上には偽造身分証らしきカードや、NABのロゴが入った資料まで散乱している。
生活感と危険性が、異様な形で同居していた。
「ようこそ、俺のアジトへ」
レイヴンは振り返りながら、再び軽い調子で笑う。
「……すご」
思わず声が漏れる。
以前、澪に連れられて入った喫茶店の地下基地も十分異質だった。
でも、あちらが“隠れ家”だとするなら――。
ここはもっと、生々しい。
逃亡、潜伏、情報戦。
そういう“裏の世界”そのものが凝縮されているような空間だった。
澪は入口付近から動かない。
腕を組み、警戒したままレイヴンを見据えている。
「……持ってる情報を出して」
その声には明確な警戒心が滲んでいた。
レイヴンはそんな澪の態度にも気を悪くした様子はなく、近くにあった缶コーヒーを手に取る。
「せっかちな人だねぇ」
プルタブを開ける音が、小さく部屋に響いた。
そして、レイヴンは缶を軽く傾けながら、俺へ視線を向ける。
「――坊や。お前、自分がどれだけ危険視されてるか分かってるか?」
その瞬間、部屋の空気がわずかに変わった気がした。
灰色の瞳が、真っ直ぐこちらを見据える。
その視線に、思わず息が詰まりそうになる。
「……NABに追われてるってことくらいは分かってる」
そう返すのが精一杯だった。
「認識が甘いな。連中はただ“危険な能力者”を追ってるわけじゃない」
その声音から、さっきまでの軽さが少し消えていた。
レイヴンは机の上に散らばっていた資料の一枚を手に取る。
そこには、俺の写真が貼られていた。
いつ撮られたのかも分からない。
「NABは、お前を“確保対象”として扱ってる。しかも優先度はかなり高い」
レイヴンの言葉に、俺は小さく息を吐いた。
「ああ……今日の戦いでなんとなく感じた」
廃倉庫での戦闘が脳裏をよぎる。
統率された動きに迷いのない突入。
そして、明らかに過剰な武装。
ただ“捕まえる”だけにしては、あまりにも本気だった。
レイヴンはそんな俺を見て、感心したように眉を上げる。
「なんだ、若いのに中々状況判断できてるじゃないか」
「まぁ、こいつらのおかげでな」
そう言って、俺は自分の頭を軽く指で叩いた。
人格たちの誰かが表に出ている時も、俺自身の意識が完全に消えるわけじゃない。
まるで少し離れた場所から、自分を俯瞰して見ているような感覚がある。
『ふふん、もっと褒めてもいいんだぜ?』
頭の奥で戦闘狂が愉快そうに笑う。
『状況分析能力の向上は、我々の恩恵でもありますからね』
続けるように賢者の落ち着いた声も響いた。
レイヴンはそんな俺の反応を見ても驚いた様子はない。
むしろ、最初から理解していたように静かに頷く。
「連中は、お前の能力を是が非でも取り戻したいんだよ」
レイヴンの言葉に、俺は小さく肩をすくめた。
「そりゃ、滅多な能力じゃないしな」
人格ごとに変わる戦闘スタイル。
常人離れした身体能力。
普通じゃないことくらい、自分でも分かっている。
だが、レイヴンは呆れたように笑った。
「軽く言ってくれるねぇ」
缶コーヒーを机へ置きながら、レイヴンの瞳が真っ直ぐこちらを射抜く。
「澪の嬢ちゃんからどこまで聞いてるか知らないが――」
レイヴンは数秒だけ間を置き、静かに続けた。
「お前は、あの実験の唯一の成功例……いわば“プロトタイプ”なのさ」
「……あの実験?」
聞き返した俺を見て、レイヴンは椅子の背もたれへ深く身体を預けた。
まるで、面倒な昔話でも始めるみたいに。
「“プロジェクト・キメラ”――そう呼ばれてた」
聞いたこともない名前だった。
だが、その響きだけで嫌な予感がする。
レイヴンはモニターの一つを操作し、古びたデータファイルを画面へ映し出した。
そこには、複雑な脳波データと人体構造図のようなものが並んでいる。
「NABが裏で進めていた人体実験さ」
淡々とした声だった。
まるで天気の話でもするように、軽い。
だが、その内容は軽くなかった。
「目的は、一人の人間の中へ複数の人格と戦闘特性を人工的に共存させること」
レイヴンの指が、画面上のデータをなぞる。
「状況ごとに人格を切り替え、最適な能力を引き出す。戦術、演算、殺傷、感情制御……全部を一人へ詰め込む計画だった」
そこでレイヴンは、ふと思い出したみたいに視線を澪へ向けた。
「……そういや、澪の嬢ちゃんもその計画に参加してたよな?」
空気が、止まった気がした。
「……っ」
澪の表情が僅かに強張ったのを俺は見逃さなかった。
「……澪」
頭の中で、以前聞いた言葉が蘇る。
――私は、そこの末端の研究者だったの。
あの時は、それ以上深く聞かなかった。
でも今の話を聞いた後だと、その意味が全然違って聞こえる。
「確かに……私も、そのプロジェクトの一員だった」
澪は静かに認めた。
その声には、わずかな震えが混じっている。
「けど――」
「澪…いいんだ」
「……翔?」
弁明しようとした澪の言葉を、俺は遮り、小さく息を吐いた。
正直、驚いてないわけじゃない。
でも――。
「澪が俺を助けてくれたことには、変わりないんだから」
地下基地でのあの言葉が頭を過る。
――罪悪感……かしらね。
あの時の澪の表情は、演技には見えなかった。
だから今は、その言葉を信じたいと思った。
レイヴンはそんな俺達を見ながら、小さく口元を歪めた。
「……甘いねぇ、坊や」
その言葉に、思わず眉をひそめる。
馬鹿にされた――というより。
何かを“知っている側”から見下ろされたような、不快感があった。
「……何がだよ」
低く返すと、レイヴンは肩をすくめる。
だが、その瞳だけは笑っていなかった。
缶コーヒーを軽く揺らしながら、レイヴンは机へ身体を預ける。
「お前、自分がどんな実験を受けてたのか、本当に理解してるか?」
「……っ」
その瞬間、胸の奥がざわついた。
まるで、頭の奥に無理やり指を突っ込まれたみたいに。
知らないはずなのに。
聞きたくないはずなのに。
身体のどこかが、その続きを“知っている”気がした。
「やめて!」
澪が鋭く遮る。
だがレイヴンは止まらない。
「連中は人格ごとに役割を持たせようとしてたんだよ。戦闘、演算、防衛……って具合にな」
その言葉を聞いた瞬間だった。
『……白い部屋、冷たい椅子……いっぱい痛かった』
頭の奥で、僕が震える声を漏らす。
途端に鋭い頭痛が走った。
「っ……!」
思わず額を押さえる。
脳の奥を無理やり掻き回されるような感覚。
『ぶっ壊れるまで殺し合いさせられたこともあったなぁ』
戦闘狂が愉快そうに笑っているはずなのに、その声には妙な生々しさが混じっていた。
『薬物投与、神経刺激、強制適応試験……実に非効率な実験でした』
賢者が、まるで過去の記録を読み上げるみたいに静かに続ける。
『ホント、汚らわしい方々でしたわ』
嫌悪を滲ませたお嬢の声。
そして――。
『……ククッ、ボクは悪くなかったけどねぇ』
悪の権化が楽しそうに笑った。
「……おい、待てよ」
呼吸が浅くなる。
頭の中で響く声は、どれも妙に現実味を帯びていた。
作り話なんかじゃない。
本当に“見てきた”みたいに。
「……お前ら、どこまで覚えてんだよ」
掠れた声が漏れる。
頭の奥で響く記憶の断片は、どれも妙に生々しかった。
『そりゃあね、君がボク達に押し付けたんだから』
悪が、喉の奥で愉快そうに笑った。
「……何をだよ」
『痛みも、苦しみも、憎しみも――全部だよ』
悪のその言葉が鳴り響いた瞬間、ズキリ、と頭の奥が痛んだ。
視界が一瞬だけ揺らぐ。
知らないはずの光景が、脳裏を掠めた。
白い天井、誰かの悲鳴、赤く染まった床。
「っ……!」
思わず机へ手をつく。
『アハハッ!思い出すのが怖くなったかい?』
呼吸が乱れ、頭の奥で悪の笑い声だけがやけに響いていた。
その声に合わせるように、ズキズキと頭痛が強くなる。
「ぐっ……!」
断片的な光景が、無理やり脳へ流れ込んでくる。
「翔!大丈夫!?」
澪の声が聞こえるが、上手く返事ができない。
『ホラ、君達も何か言ったらどうだい?』
悪がどこか楽しそうに他の人格たちへ促す。
『……うん、すっごく怖かったよ。いっぱい痛かったし、ずっと苦しかった』
震えるような僕の声が響く。
その弱々しい声に、胸の奥が締め付けられる。
『でも……僕は……翔を守れて、よかったって思ってる』
一瞬だけ、僕の声が柔らかくなった。
「……えっ」
思わず声が漏れる。
頭の奥が、静かに揺れた気がした。
『そうですわね。あんな場所で、翔様が全部一人で抱え込んでいたら――きっと壊れてしまっていましたもの』
今度はお嬢が、いつもの気取った声音で囁く。
だけど、そこには微かな優しさが混じっていた。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
『我々は合理的に機能したまでです。人格分散による精神負荷の軽減。結果として、生存率は大きく向上しました』
続いたのは賢者が相変わらず淡々とした口調で語る。
まるで分析結果でも読み上げるような言い方だった。
『……翔が生き延びられたのなら、それで十分です』
賢者がそんな言葉を口にするとは思わなかった。
そして――。
『ハッ、何しんみりしてやがんだ。オレは単純にムカついてたんだよ。好き勝手弄びやがって』
戦闘狂が豪快に笑う。
その声には、怒りが混じっていた。
『だから全部ぶっ壊してやりたかった。それだけだ。お前が壊れるのは、なんか気に食わなかったしな』
乱暴な言い方。
でも――。
「……お前ら」
言葉が、上手く続かなかった。
頭の中で響く声は、どれも異質で、普通じゃなくて。
それなのに――ずっと、俺を守ろうとしていた。
『ケッ、君達はつまらないねぇ。いいさ。今はボクが引くとするよ』
悪が吐き捨てるように笑った。
その声音だけが、明らかに他とは違う。
まるで舞台から降りる役者みたいな口調だった。
だが、その奥には冷たい悪意が滲んでいる。
『君が“更なる深淵”に触れた時――壊れるのを、愉しみにしてるね』
悪の声が、ゆっくりと脳の奥へ沈んでいく。
最後に、愉快そうな笑い声だけが残った。
頭を締め付けていた痛みが、ふっと遠のいていく。
「っ……はぁ……」
荒い呼吸を吐きながら、俺は机へ手をついた。
嫌な汗が額を伝っている。
部屋の中は静まり返っていた。
澪が心配そうにこちらを見る。
レイヴンは何も言わない。
ただ、灰色の瞳だけが静かに俺を観察していた。
頭の奥では、人格たちの気配がまだ微かに残っている。
――プロジェクト・キメラ。
唯一の成功例。プロトタイプ。
さっき聞かされた言葉が、何度も脳内で反響していた。
俺は……一体、何なんだ。
翔「プロジェクト・キメラ……もっと俺は知らなきゃいけない」
悪の権化『ククッ……なら、あそこへ行けばいい』
翔「あそこ?」
悪の権化『そんなに焦らなくても、答えはすぐそこさ』
翔「……もったいぶりやがって」
翔「次回、『知るために』――いいさ、どこにだって行ってやる」




