第10話「待ち伏せ」
【登場人物紹介】
天羽 翔
普通だったはずの日常を追われることになった主人公。
多重人格という異能を宿す。
如月 澪
翔の同居人。
翔の過去とNABについて何かを知る謎多き女性。
僕
翔を守るために存在する、気弱で優しい守護人格。
お嬢
優雅さと苛烈さを併せ持つ、お嬢様気質の人格。ロマン重視。
賢者
冷静沈着で理知的な人格。分析や判断を担う。
戦闘狂
戦いそのものを好む、荒々しく危険な人格。
悪の権化
翔の中に潜む、最も謎深く不気味な人格。
喫茶店を離れてから、どれくらい走っただろうか。
窓の外を流れていく景色は、いつの間にか都心の雑踏から外れ、無機質な高速道路へと変わっていた。
昼間だというのに、車内の空気は妙に重い。
エンジン音とタイヤがアスファルトを擦る音だけが、張り詰めた沈黙を埋めていた。
俺は助手席に身体を預けたまま、バックミラー越しに後方を確認する。
今のところ、不自然に追ってくる車は見当たらない。
……だからといって、安心できるわけじゃなかった。
「……追ってきてる様子は?」
前を見たまま、俺は運転席の澪に問いかける。
澪はハンドルを握ったまま、小さく息を吐いた。
「今のところは、多分大丈夫」
「……多分か」
自分でも分かっている。
“絶対安全”なんて言葉が、今の俺たちに存在しないことくらい。
窓の外では、灰色の防音壁が延々と続いていた。
どこまでも似た景色が続くせいか、余計に現実感が薄れていく。
『追跡が目視とは限りません。断定は避けるべきでしょう』
頭の奥で、賢者の冷静な声が響いた。
相変わらず機械みたいな口調だ。
「……まぁ、向こうがどうやって追ってくるか分からないしな」
俺がそう呟くと、澪は静かにハンドルを切りながら口を開く。
「レイヴンも慎重な人よ。簡単には足は掴ませない」
澪が頼ろうとしている相手。
けど、俺からすれば正体も分からない男だ。
「そのレイヴンって人、本当に信用できるのか?」
俺の言葉に澪は少しだけ黙り込んだ。
道路脇を通り過ぎていく標識の音だけが、短い沈黙を埋める。
「信用できるかじゃない。今は頼るしかないの」
その言葉に、俺は小さく舌打ちした。
結局、他に当てがないってことか。
「……で、こんなところに本当にアジトがあんのか?」
俺が窓の外を見ながら尋ねると、澪さんは首を横に振る。
「今向かってるのは、ただの合流地点よ」
「アジトとは違うのか?」
「最初からアジトで会うのは、双方にとってリスクが伴うわ」
なるほど、と内心で納得する。
もし尾行されていた場合、アジトの場所ごと割れる可能性がある。
『アジトの露見を回避するためですね。合理的です』
再び賢者が淡々と補足する。
『随分と面倒な待ち合わせですこと』
今度はお嬢が、呆れたように肩を竦める声を響かせた。
『チッ……逃げ回るばっかで退屈だな』
低く苛立った戦闘狂の声まで混ざり、思わず眉間を押さえる。
「……少し黙ってろよ、お前ら」
小さく漏れたその言葉に、澪がちらりとこちらを見る。
「……また誰かと話してるの?」
「……ああ、賑やかなもんさ」
そう返すと、澪さんはそれ以上追及してこなかった。
けれど、横顔に浮かぶ僅かな不安までは隠し切れていない。
俺は小さく息を吐き、再び前を向く。
都内を抜け、人気の少ない道路を走り続けるこの車が、どこへ向かっているのか。
その先で待っている“レイヴン”という男が、本当に味方なのか。
――正直、まだ何一つ分からなかった。
◇ ◇ ◇
高速道路を降りてから、更にしばらく車を走らせた頃には、周囲の景色は完全に変わっていた。
並んでいたビル群は消え、代わりに古びた倉庫や人気のない物流施設が目立ち始める。
昼間だというのに、人の気配はほとんどない。
錆びついたフェンスに色褪せた看板。
そして積まれたまま放置されたコンテナ。
まるで、この一帯だけ時間が止まっているみたいだった。
やがて澪が、道路脇へゆっくりと車を寄せる。
「……着いたわ」
低く呟かれたその言葉に、俺は前方へ視線を向けた。
そこにあったのは、大型の閉鎖倉庫だった。
外壁は所々剥がれ、シャッターには赤茶けた錆が広がっている。
敷地を囲う金網フェンスも一部が歪み、長い間管理されていないことが一目で分かった。
「ここが合流地点か……」
思わずそう呟きながら、俺は周囲を見回す。
停まっている車はなく、人影も見えない。
風が吹くたび、どこかで金属の軋む音だけが響いていた。
澪はエンジンを切ると、小さく周囲を確認した。
「……おかしいわね」
「何がだ?」
「レイヴンなら、もう来てる時間のはずよ」
その言葉に、俺は小さく周囲を見渡した。
けど、やっぱり人の気配はない。
喫茶店を出る前、追跡対策としてスマホは全部廃棄してきた。
だから今は、向こうへ連絡を取る手段もない。
……そもそも、この待ち合わせ自体が予定通り成立しているのかも分からなかった。
俺は車の窓越しに倉庫を見つめる。
入口脇の鉄扉は半開きになっていた。
その隙間から、倉庫内の暗がりがわずかに見えている。
……妙だ。
『警戒してください』
頭の奥で、賢者の声が響く。
さっきまでと違う。
ほんの少しだけ、声色が鋭かった。
「……何かあるのか?」
『静かすぎます。廃倉庫なら不自然ではありませんが……“待ち合わせ場所”としては不自然です』
賢者の言葉に、俺は小さく目を細めた。
確かにそうだ。
もし本当にレイヴンがここを使っているなら、何かしら人の痕跡があってもおかしくない。
それなのに、この場所には妙な“空白感”があった。
『チッ……嫌な匂いがするぜ』
今度は戦闘狂が低く呟く。
お嬢も珍しく軽口を叩かなかった。
車内の空気が、じわりと張り詰めていく。
澪さんはゆっくりとドアへ手をかけた。
「……行きましょう」
その声を聞きながら、俺も静かに車のドアを開けた。
車を降りた瞬間、乾いた風が吹き抜けた。
錆びたフェンスが軋み、どこかで金属同士がぶつかる音が響く。
昼間だというのに、この一帯には妙な静けさがあった。
俺は閉鎖倉庫を見上げる。
外壁は剥がれ、長い間使われていないことが一目で分かる。
「……行くわよ」
澪が低く言って、先に歩き出す。
俺も周囲を警戒しながら、その後を追った。
足音がコンクリートに響く。
近づくほど、倉庫の中から流れてくる冷たい空気が肌を撫でた。
澪は半開きになった鉄扉へ手をかけると、そのままゆっくり押し開けた。
ギィィ……という鈍い金属音が、倉庫内へ反響する。
中は薄暗かった。
天井近くの窓から昼の光が差し込んでいるものの、奥までは届いていない。
古い木箱やコンテナが乱雑に積まれ、埃っぽい空気が漂っていた。
俺たちは慎重に中へ足を踏み入れる。
倉庫の中は、不気味なくらい静かだった。
澪は周囲を見渡しながら、少し声を張る。
「……レイヴン?」
返事はない。
静寂だけが返ってくる。
「レイヴン、いるんでしょ?」
……やっぱりおかしい。
『警戒を』
頭の奥で、賢者の声が響いたその瞬間だった。
――ガンッ!!
突然、背後で凄まじい金属音が響き渡った。
俺と澪が同時に振り返ると入口の鉄扉が、勢いよく閉じられていた。
「っ!?」
次の瞬間――
視界が白く弾けた。
「ぐっ……!?」
強烈な閃光。
遅れて耳を裂くような破裂音が倉庫内へ反響する。
スタングレネード――!
目が焼け、平衡感覚が狂う。
頭の奥でキィィィィンという耳鳴りが反響した。
『っ……!?』
僕の怯えた声。
『音波干渉……!』
賢者の声が僅かに乱れる。
直後、倉庫内の天井スピーカーから、低いノイズ音が流れ始めた。
不快な振動が頭蓋を直接揺らしてくる。
思わず膝が揺らぐ。
「……くっ……!」
『不愉快ですわね……!』
お嬢が苛立ったように吐き捨てる。
『チッ……頭に響きやがる……!』
戦闘狂まで舌打ちした。
そして、ノイズ混じりの機械音声が、倉庫内へ響く。
「――被験体S-01を確認。人格干渉処理を開始する」
耳鳴りの残る中、澪が苦しそうに顔を上げた。
「……読まれてた……!?」
悔しさを滲ませたその声が、倉庫内へ小さく響く。
俺たちの行動は、最初から予測されていたんだ。
その直後だった。
ガコン、と乾いた音が頭上から響く。
倉庫上部の通路。
積み上げられたコンテナの影。
さっきまでは誰もいなかったはずの場所に、黒い装備を纏った人影が次々と姿を現していた。
「……っ!」
黒いヘルメットに防弾装備。
そして、手に構えられた銃口。
その全てが、こちらへ向けられている。
そして――複数の赤いレーザーサイトが、澪の身体へ重なった。
「澪ッ!」
俺は咄嗟に澪を庇うように飛び出す。
その瞬間、身体の感覚が切り替わる。
視界が揺らぎ、心臓が大きく脈打った。
翔「ヤバくねぇか、この状況……」
澪「まさに危機的状況ね」
僕『だ、大丈夫……僕が守るから……!』
翔「ああ、頼んだぜ……!」
お嬢『わたくしも華麗に参りますわよ!』
翔「舞踏会じゃねぇんだからな!」
戦闘狂『次回、第11話『守と攻』――で、俺の出番はまだかよ!?』




