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憧れの御曹司が、なぜか私にだけ甘すぎる。けれど私はまだ、あの日の男の子だと気づけない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第88話 冗談みたいに言われた“付き合ってるんでしょ”が、思ったより刺さる

 文化祭の衣装合わせが終わった翌日も、私はまだ少しだけ落ち着かなかった。


 執事服の恒星くん。

 そして、仮装衣装を着た私を見たときの、あの“彼氏の目”。


 思い出すだけで、今でも胸の奥が少し熱くなる。

 しかも厄介なことに、あの時間は私だけじゃなく、周りにもかなり見られていた。


 準備室の中には衣装係の女子もいたし、ひまりもいたし、たまたま出入りしていた準備委員の子たちもいた。

 つまり、私たちの“ちょっと危ない空気”は、もう二人だけのものじゃなかったということだ。


「……やだな」


 朝、靴箱で上履きに履き替えながら、私は小さくつぶやいた。

 やだ、というのは文化祭が嫌という意味じゃない。

 昨日の空気を、今日みんなにどこまで拾われているんだろう、という意味だ。


 昨日の私は、かなり顔に出ていたと思う。

 恒星くんも、たぶんかなり分かりやすかった。


 そう思うと、教室へ向かう足がほんの少しだけ重くなった。


   ◇ ◇ ◇


 教室へ入ると、案の定、ひまりが私を見るなり笑いをこらえた顔をした。


「おはよ」

「……おはよう」

「今日も引きずってる」

「……」

「しかも昨日の衣装合わせだけじゃなくて」

「……」

「そのあと、みんなにどう見られてたかも気にしてる」

 私は鞄を机に置いて、深いため息をついた。

「何で分かるの」

「分かるよ」

 ひまりは前の席に座って、にやっとする。

「だって昨日、準備室ちょっとざわついてたもん」

「……」

「一条くんの執事服もやばかったけど」

「……」

「それ見た栞の顔もかなりやばかった」

 私は机に突っ伏したくなった。

 やっぱりそうなのだ。

 私が思っていたより、外から見ても分かりやすかったのだ。


「……最悪」

「最悪じゃないよ」

「何で」

「読者は喜ぶ」

「ひまり」

「はいはい」

 ひまりは肩をすくめる。

「でもまあ、今日はちょっと何か言われるかもね」

「……」

「冗談っぽく」

 その予告は、嫌なくらい当たった。


   ◇ ◇ ◇


 二時間目の休み時間。

 私は文化祭の進行表を持って、教室の後ろでクラスメイト数人と話していた。


「ここ、当番入れ替えた方がいいかな」

「あー、そっちの方が回りやすいかも」

「一条くん、その時間そっち手伝える?」

 そう聞かれて、恒星くんが少しだけこっちを見る。

「うん、大丈夫」

 たったそれだけのやり取り。

 でも、最近はその一瞬の目線すら妙に空気を含む。


 そのときだった。


 クラスの男子が、冗談っぽい笑顔で言った。


「ていうかさ」

「ん?」

「もう二人、付き合ってるんでしょ?」

 その一言で、空気が一瞬だけ止まった。


 冗談みたいな声だった。

 軽い調子。

 笑いの延長。

 でも、そのぶん余計に逃げ道がなかった。


 私はとっさに何も言えなかった。

 恒星くんも、一拍だけ黙る。

 周りの何人かが「あー」とか「言うと思った」とか、半分笑いながら様子を見ている。


 たぶん、みんな本気で詰めたいわけじゃない。

 ただ、答え合わせをしたいのだ。

 最近の空気に対する。


「……」

 胸の奥がどくんと鳴る。

 こういうの、前よりずっと怖くなくなってきたと思っていた。

 でも、真正面から言われると、やっぱり全然別だった。


「え、なにその沈黙」

 別の子が笑う。

「逆に怪しいじゃん」

「ていうかほぼ答えでは?」

「やっぱそうなんだ」

 周りが少しだけざわつく。

 私は視線を上げられなかった。

 否定したいわけじゃない。

 でも、ここでどう答えるのが正しいのか分からない。


 そのとき。


「はいはい、そこまで」

 ひまりが割って入った。

「文化祭の進行決めてるんだから、恋バナで止めない」

「えー」

「いいじゃん少しぐらい」

「よくない」

 ひまりは軽く笑いながらも、ちゃんとそこで流れを切った。

「当日まわらなくなったら誰が責任取るの」

「それは嫌」

「でしょ。ほら続き」

 その一言で、空気はどうにか戻った。

 完全に消えたわけじゃない。

 でも、これ以上の追及は止まった。


 私はそのまま、進行表の数字を見るふりをしながら、どうにか呼吸を整えた。


   ◇ ◇ ◇


 そのあとも、心臓はしばらく落ち着かなかった。


 冗談みたいに言われた“付き合ってるんでしょ”。

 たったそれだけなのに、思っていた以上に深く刺さった。


 否定しなかった。

 できなかった。

 でも、それは“違う”と思ったからじゃない。


 むしろ、違わないから困ったのだ。


 私は今まで、“そう見られること”に慣れていないだけだと思っていた。

 でも、今日分かった。

 慣れていないだけじゃない。

 その言葉には、ちゃんと現実を突きつける強さがある。


 私たちは、本当に恋人なのだ。

 周りから見ても、それを疑われるくらいには。


   ◇ ◇ ◇


 昼休み。

 私はひまりに引っ張られるようにして、人気の少ない階段の踊り場まで連れていかれた。


「大丈夫?」

「……」

「顔、ちょっと飛んでた」

 私は壁にもたれながら、深く息を吐いた。


「……思ったより、刺さった」

「うん」

「冗談っぽかったのに」

「うん」

「それが余計に」

 言いながら、自分でも整理がついていないのが分かる。

「笑って流せばよかったのかな」

「たぶん無理だったと思う」

 ひまりが即答する。

「何で」

「だって栞、否定したくないんでしょ」

 私はその言葉に、少しだけ黙った。


 否定したくない。

 たしかに、その通りだ。

 前の私なら、とっさにごまかしていたかもしれない。

 でも今は違う。

 “違います”と言うことの方が、たぶん苦しい。


「……うん」

 小さく頷くと、ひまりはやわらかく笑った。

「だから刺さるんだよ」

「……」

「もう“噂されると困る関係”じゃなくて」

「……」

「“ほんとうにそうだから、どう受け止めるか迷う関係”になってる」

 その言葉が、妙にしっくりきた。


 そうか。

 私はただ恥ずかしいだけじゃない。

 本当だからこそ、どう扱うべきか迷っているのだ。


「……」

「で、一条くんは?」

「……まだちゃんと話してない」

「そりゃあとで来るね」

 ひまりは少しだけにやっとする。

「たぶん、“嫌だった?”って聞く」

「……それは、たぶん聞く」

「でもそこ、ちゃんと答えな」

 私は小さく頷いた。


 嫌だったわけじゃない。

 ただ、びっくりして、恥ずかしくて、逃げ場がなくて。

 でも、全部が嫌だったわけではない。

 そこを、ちゃんと言いたかった。


   ◇ ◇ ◇


 放課後、文化祭準備の作業が終わってから。

 私は資料を片づけながら、ずっと少しだけ落ち着かなかった。


 恒星くんも、たぶん同じことを考えている。

 それは、向こうが私を見るタイミングで分かった。

 今日のその目は、いつもの甘さに加えて、少しだけ確認したい色が混ざっていた。


 準備室を出て、廊下の角を曲がったところで、恒星くんが静かに呼ぶ。


「栞」

「……何」

「今日のあれ」

「……」

「嫌だった?」

 やっぱり、そう聞く。


 私はしばらく黙った。

 廊下には誰もいない。

 でも、学校の中だから距離は近すぎない。

 その微妙な空間で、私は正直に言うことを選んだ。


「……嫌ではなかった」

「……」

「でも」

「うん」

「すごくびっくりした」

「うん」

「あと」

 私は少しだけ息を吸う。

「冗談っぽく言われたのに」

「……」

「ちゃんと本当のことだから」

「……」

「思ってたより、刺さった」

 そこまで言うと、恒星くんがほんの少しだけ息を吐いた。

 安心と、同じものを感じていたみたいな表情。


「そっか」

「うん」

「俺も」

「……え」

「思ってたより、きた」

 その言葉に、私は少しだけ目を見開いた。

「何が」

「“付き合ってるんでしょ”って」

「……」

「冗談みたいに言われたのに」

「……」

「ちゃんと、栞とのことだって実感した」

 その言い方に、胸の奥が少しだけやわらかくなる。


 私だけじゃなかったのだ。

 刺さったのは。

 あの軽い冗談の中にある現実味が、彼にもちゃんと届いていた。


「……」

「でも」

 恒星くんが続ける。

「否定したくはなかった」

 その一言に、私は小さく息を止めた。


「……私も」

 気づけばそう答えていた。

「うん」

「何て返すのが正解かは分からなかったけど」

「……」

「でも、“違う”とは言いたくなかった」

 そこまで言うと、恒星くんの表情がふっとほどけた。


「それ、かなりうれしい」

「またそれ」

「だって、本当に」

 彼は少しだけ近づく。

 学校の中だから、ほんの少しだけ。

 でも、その“ほんの少し”が、今はすごくあたたかい。


「次」

「……何」

「また言われたら」

「……」

「俺、ちゃんと答えたくなるかも」

 私はその言葉に、心臓がまた大きく鳴るのを感じた。


 ちゃんと答える。

 それがどういう意味か、分からないわけがない。


「……恒星くん」

「うん」

「それ」

「うん」

「かなり強いです」

「知ってる」

 でも、その顔は冗談じゃなかった。

 本気だ。

 今すぐじゃないにしても、いずれそうしたいと思っている顔だった。


 冗談みたいに言われた“付き合ってるんでしょ”が、思ったより刺さる。

 でも、その刺さり方は、もう痛いだけじゃなかった。

 それはたぶん、私たちが少しずつ“隠す恋”から“持っていく恋”へ変わり始めているからだ。

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